第30話 それでも泡雪は降っている

前島まえじまって、このかちゃんの知り合いなの?」

「えっ……、っと、」

 室谷むろやが突然投げかけて来た言葉に、僕はもう何を答えたらいいのかわからなくなっていた。というより、そんなことを室谷が訊いてきた意図が掴めなくて困惑するしかない。


 それに対する僕の答えに、室谷は何を求めている?

 室谷はそれを僕に訊いてどうするつもりなんだ?

 

 僕と卯月うづきさんの関係は、いったい何だ?


 そんな自問自答が頭を渦巻いて、どうしてもまとまった言葉を発させてはくれない。やっとできたのは、注文してから数分ほど――室谷のそんな質問から1分弱くらいして麦焼酎と出されたお通しの鯖の味噌煮を口に入れることだけだった。

 ただ、答えられないそんな反応は室谷からすれば、というより傍から見れば如実な答えだったのだろう。室谷は一瞬納得したように頷いてから「まぁでもとりあえず自分の口でも言ってみ?」とまた僕を促した。


「え、えっと、まぁ、まぁ……。うん、知り合いかな?」

 そうやって答えた僕の顔を、室谷は「あー……」と訳知り顔で頷いてから、いつの間にか注文していたらしい砂肝を口に入れて「やめときなよ」と言った。

 たぶん、その顔は本当に僕のことを心配しているようにも見えた。

 でも、それってどういう意味なんだ、と言いたくなってしまった。


「たぶんだけどさ、あの子とあんま関わり過ぎるとろくな目に合わなそうなんだよなぁ。何つーか、ハマっちゃう人はとことんハマっちゃいそうな感じっての? ちょっとのめり込み過ぎは危ないと思うわ」


 室谷の言葉は、続く。


「俺もさ、最初に会ってから何回かくらいはほんとに色々あったからね。最初にシたときの話だったりとか、それからあったいろんなこと聞かされたりとかして。それで何となく同情したりもしたけどさ、それも怖いな、って」


 彼女のは、どうやらみんなのものだったようだ。


「ていうか本当の相手って何だ、って話になってさ。そりゃ同情はしたよ? まぁ可哀想だよなって。ちょっとその相手のことぶん殴ってやりたくなったし。だけどさ、それってば俺らのすることじゃないじゃん。大体なんて言うのさ、俺らだって同じ穴のむじななくせして」


 室谷の言葉は、まるで僕自身が発しているみたいにすんなり入ってきた。


「だからさ、俺は思うんだよ。あの子はたぶん、単なる相手って見なしちまうのが正解なんだよ。深いところまで関わると戻ってこられないところまで引きずり込まれそうな気がしちゃってさ。だから、ちょっとな」


 わかる気はした。だけど、納得ができない。


「それにたぶん、あんまり深く行こうとすると距離とられんだろ。それで『ここが引き際かもな』とか思ってさぁー」


 何で、お前がそこまで彼女を語れるんだよ……!?

 思わずそう言いたくなるのをこらえながら、僕は黙って聞いていた。

 あとどれくらい待てば、彼女の話――間接的な罵倒ともいえるこの言葉は終わるのだろう、そんなことを考えながら。


「だって、お前いまそれで悩んでんだろ?」

「――――っ!!?」


 顔を覗き込むようにして、室谷が突然僕に尋ねてくる。両眉が心配そうに下がったその顔はありがたかったけれど、それよりも僕が抱えていることに気付いているのだろうか、と驚いてしまった。まさか、彼女はそんなことまでたち全員と共有しているのだろうか?

 足下が揺らいで崩れていくような感覚は、酒に酔ってきたせいなのか、それとも違うものなのか。

 それはきっと考えるまでもないことだったけれど、思わず持っていた箸を落としてしまった。

 ステンレス製の箸が床に転がり、カラン、と軽い音を立てる。

 その音がちょうど僕らの間に流れる硬直した空気をほぐしたのだろうか、室谷は「あぁ、悪い」と慌てたように替えの箸を頼んでくれて、それからはそのまま出される料理に舌鼓を打つ時間が流れた。


 その間に交わされるのは、日頃の会社での仕事に関する愚痴。僕と違って複数人の部下を抱えるところまで出世しているらしい室谷でも悩んでいることは似通っているらしくて、どういえば相手のを踏まずに注意したり提案したりできるかという話になったり、たぶん周りで聞いている人がいたらさぞつまらないだろうな、という話が続いた。


「でさぁ、っんとに言い方変えないとめんどくさいっていうか……!」

「あぁ、それわかる。そもそも向こうのミスのくせに何でこっちが気を遣わなきゃいけないんだかわからないよなぁ」

「それな!」

 酒が進んでからはとにかく似たような話を繰り返していただけのような気もしたけど、やっと室谷と楽しく過ごすことができた。

 

 駅まで戻るという室谷を送り届けることになった夜道。

 前に飲んだ時よりもずっと酔っているらしい室谷がしなだれかかってくる左肩に重さを感じながら、ワインゴールドに輝く街路樹に照らされる通りを歩く。数時間ほど飲んでいたからだろうか、店に入る前に通り沿いの店前にたくさんいた人の波は少し静かになっている。


 通行人ともあまりすれ違わなくなった冬の夜道。


 街頭テレビには最近注目されているアーティストの最新アルバムの発売情報が流れていて、そのファンと思しき青年が足を止めてそのテレビを見上げている。信号待ちをしている僕も見ようと思ったけれど、その瞬間別の映像に切り替わってしまった。

「相変わらず持っれねぇら~、前島くんよ」

 呂律が回っていない肩の声には答えず、僕は静かな夜道を歩き続ける。響くのは、辛うじて規則性を保っている僕の靴音と、時々引きずるような音の混ざる室谷の靴音だけ。


「なぁ室谷、大丈夫か? 何だったら今日くらい泊まって行ったらどうだ?」

「えぇ~、送り狼ならぬ連れ込み狼じゃねぇか~、俺の貞操をどうするつもりなんだ~うわぁ~」

「そんな失礼なことを言いながら僕の尻を揉んでくるようなやつを電車で帰らせられないなぁ……」

「すー、すー」

「寝るなー」

「…………」

「ほんとに寝たのか?」

 うぅ、酒臭い。

 アルコール臭のする寝息を隣に感じながら、僕は室谷の希望を聞き入れず自分の提案を通すことにする。どうせ近くなのだからこちらの方がいいだろう――そう思ったのだ。


 大通りから逸れて、狭くて暗い裏道を歩く。

 周りの家々ではぽつぽつと明かりが灯っていて、やっぱりそれなりに遅い時間なんだな、と改めて感じさせられた。

 そういえば今頃、ちょっと公言しにくいけど酒の席では盛り上がる雑学が紹介される番組がやってるんだったなぁ。帰ったら見よう――そう思いながら、アパートへの近道である、十数段ほどの石段を昇ろうとしたとき。


「あれ~? 今日も遅いんだね、光輝こうきくん」


 階段の上から、聞き慣れた声。

 白い無機質な街灯の明かりに照らされながら、卯月さんが微笑んでいた。

 外は、雪が降りそうなほどに寒く感じた。

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