第41話 雪解けは遥か遠く

 華乃はなのちゃんが取り出したのは、小さなメモリーカードだった。驚くと同時に、さっき彼女がこのロケットをグラスに注がれた水に入れようとしていた理由がわかった。


 卯月うづきさんのは、この中にこそあったんだ、と。

 そんなこと、卯月さんは一言だって僕に教えてくれていなかったけれど。


「たぶん、これがずっとあの人を縛り付けてるんですよ。というか、自分から望んでそこに留まってるんですよ。そのくせに、そのことに酔うだけで何もしてないんです」

 悲劇のヒロインごっこは他所よそでやれっての――そんな吐き捨てるような囁き声には敢えて返事をせずに、僕は取り出されたメモリーカードを自分のスマホに差し込んでみる。読み込みが成功して、次に出てきたのは2つのフォルダ。


『動画』


 一瞬、嫌な想像に総毛立つのを感じた。まさか、この中にあるのは……?

 だけど、すぐにそれを打ち切る。もし仮にがあるとして、そんなものを後生大事にするはずがない。もちろん人目に触れては困るだろうけど、隠し場所は絶対に他のところを選ぶに違いない。

 何故なら、このロケットの表の写真は、卯月さんの想う相手と卯月さん自身が写る、言うなら宝物みたいな写真なのだから。


 そうは思っても、どうしても躊躇する感情は抑えられなくて、僕は少し迷ってからフォルダを開き、1番上に来ていたファイルを再生した。

「何を考えたか、あたしはわかりましたよ? ほんとに男って似たようなのばっかですね」

 冷たい目で吐き捨てる華乃ちゃんに「い、いやそういうわけじゃ……」と言い繕っていると、扉が開くような音が聞こえた。


『今日はゆっくりできるんだよね?』

『うん……』

『何かさ、さっきは心配かけてごめんね? でも別にさっき部長と話してたはそういうんじゃないから』

『わかってるけど、でも不安にはなるから』

『えぇ~? 綺音あやねさんって外ではちゃんとしてるけど、うちに来るとき甘えん坊さんになるね』


 まだ暗い画面。どうやら電気が点けられていないらしい。

 だけどその声には、聞き覚えがあった。

 音声の中には2人が出てきているみたいだけど、たぶん2人とも同じ日に会っている。たぶん、雪の日の帰り道。

 ようやく電気が点いて、姿を現したのはやっぱり、雪の日にレストランへの行き方を僕に尋ねてきた風香ふうかさんと、その彼女を迎えに来た女の子――綺音さんだった。あのとき、綺音さんから僕に向けられた視線を思い出す。きっと、彼女は幾度となく不安を感じながら風香さんに惹かれているのだろう。そしてたぶん、風香さんも綺音さんのことを想っている。

 このメモリーカードに収められた映像に映っている姿だけでも、それがひしひしと伝わってくる。

 痛いほどに。

 沁みるくらいに。

 ここから伝わる、感情。

 伝播して、痛む。


「それ、引きません、けっこう?」

 隣から華乃ちゃんの声が聞こえる。

「あたしはけっこう引いたんですよ、最初。他のフォルダもそればっかりだったし、それに随分昔からそれ付いてたみたいで、1番古いファイルなんて別の人映ってましたし。あの人はずっとそんなのを見続けてきたのか、って。

 でもね、最近は思うんです。ここまで誰かを好きになっていられるって、ある意味ではけっこう幸せなことなんじゃないかなって」

 たぶん、それは僕も思っていることかも知れない。


 絶対に報われない――この映像を見てしまえば嫌でも痛感せざるを得ないそんな事実を突きつけられて尚、卯月さんは風香さんに、未だに恋している。

 僕なら、そんなことはできない。

 そもそも、ここまでして相手の全てを知ろうなんて思えない。

 知ってしまったら傷付くことだってあることがわかっているから。

 知ることで傷付けてしまうことだってあるって知ってるから――それによって僕自身がまた傷付いてしまうことが、たまらなく苦痛だから。

 そんな痛みを感じたくはないから。

 ましてや、自分に絶対振り向かない相手のことを……。

 きっと卯月さんは、振り切ろうとしているはずなんだ。何度も、何度も、何度もそのことを聞かされてきた。初恋は終わったんだ、と何度も言っていた。それでも、精神安定剤のように彼女は見続けているのだろう、自分の好きな相手がその好きな相手と一緒にいる姿を。

 思わずにはいられない。


 卯月さんは、どんな思いでこれを見ていたのだろう。

 望まない相手と交わった後、最愛の人の姿を見続ける。

 それは、どんな気持ちなのだろう。

 愛情のかよったその笑顔を、どんな思いで。

 こんなものを見ているのに、こんなものを聴いているのに、こんなものを通してでも見続けていたいと思うほどに風香さんに惹かれているくせに、一体どんな無理をすれば風香さんへの恋をやめた――なんて思い込めるのだろう。


 結局、駄目なのだ。

 僕は僕でしかない。

 卯月さんが大事に想っている風香さんを大事に想うことはできない。そこに共感することは、きっとこの先もできない。まずは知っている卯月さんのことを案じてしまう。あそこまでの想いを持ち続けることも……、きっとできない。

 だから、僕と彼女は全くの別物なんだと、改めて思い知った。

 でも、理解はできるのかも知れない。

 偶然にも似たような境遇に陥った――陥っていたことをはっきりわかった今なら、彼女に対してこれだけは言うことはできる気がした。


 君は、まだ風香さんを想っている、と。

 傷付くことを、距離が開くことを恐れてその想いを押し殺すことを選んでしまった君には、この先きっと誰かを想うことなんてできないんじゃないか、と。

 殺された想いでは、どこかに向かうことはできないんだ、と。


「そんなこと言えるんですか、腑抜けのくせに?」

 どこかからかうような視線を受けながら、「……たぶん、もしかしたら」と返すと、華乃ちゃんは少し笑って、それから静かな声で続けた。どこか真剣な顔に戻って。

「まぁ、このロケット盗ったのはあたしですし、それはこのかさんに返さなきゃですから。背中を押すくらいはしますよ?」

「えっと……、ありがとう?」

「何で疑問形ですか」

「なんか、全然そういう雰囲気じゃなかったから」

 華乃ちゃんは僕の返事にわざとらしくむくれながら「そういうこと言うんですねー、前島まえじまさんは」と言ってから小さな声で「一応、あたしだってあの人のことは心配してますからね」と呟いた。



 卯月さんは、僕からの通話にすぐ応じてくれた。もしかしたら探し物に関わるものである可能性を考えて優先的に出るようにしてくれているのかも知れない。

 その証拠に、第一声は「何かあった?」だったから。

 だから、そんな彼女に僕は答える。

「ロケット見つかったよ。今から会える?」

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