第40話 雪持ちにたわむ
「あの人こそ、自分も含めたみんなに嘘を吐き続けてるんです。このかさんはね、結局あたしたちのうちの誰も好きじゃなかったんです。そのロケットの中の人以外、誰のことも好きにはなれない人なんだって、そう思うんですよ」
そう語る
「何か、それってすっごく可哀想じゃないですか?」
一瞬だけ、本心で哀れむように顔を歪ませていた。
だけど、華乃ちゃんにも卯月さんに対する憎しみ以外の感情があるんだ――そのことに呑気にも安心してしまった僕は、咄嗟に彼女を止められなかった。
「――――っ!?」
華乃ちゃんは、もう飽きたと言わんばかりに僕の胴体から離れて、呟く。
「でもさ、思いませんか? たぶんあたしたちの中でこのことをちゃんと知ってるのは、あたしだけなんですよ。あっ、いいこと思いついたわ。もしそうだったら――」
嫌な、予感がした。
「いろんなことを共有されちゃってるあの人のその秘密くらいは、あたしが独占したってよくないですか?」
言いながら、華乃ちゃんが手に持っていたロケットを開いて、グラスに注がれた水の中に入れようとした。その動作には、躊躇いなんて微塵も見えなくて。
「――――っ」
駄目だ。
そんなこと、しちゃ駄目だ。
やめてくれ。
思い留まれ。
冗談だろう?
待ってくれ。
ありとあらゆる言葉が浮かんでは、虚しく霧散する。いや、押し流される。芽生えた感情の中で、世界がありえないくらいに目まぐるしく色を変える。仄明るい照明の色なんて無視して、赤? 青? 白? 黒? 様々な色が、僕を急き立てる。
ただ、叫ぶ。
やめて。
駄目だ。
待って。
だって、そこには。
卯月さんの秘密が。
あの顔の――僕や、会社の近くで見かけたあの肥えた男との交わりの後に浮かべていたあの仮面のような無表情の訳が。
彼女の、本心が。
誰にも見せてくれなかった深い暗闇が。
たぶん、未だに終わっていない彼女の想いが。
卯月このかという、1人の女の子が。
「――やめろっ!!」
そう叫んだとき、僕はきっと――
もう、躊躇なんてすることはなかった。テーブルが揺れて、グラスが倒れる。中の水がこぼれて、床のカーペットに染みを作る。悲鳴に近い声を上げる華乃ちゃんを押して、揺すぶって、手段なんて問わずに、彼女からロケットを奪おうとした。
固く握り締められた手、邪魔だ。
白魚のように綺麗な、まだ若いハリを保っているその手を傷付けてしまうことも躊躇わず、床に打ち付け、その指先を必死にこじ開けて、まだ頑なに抵抗する指を開くために爪を手のひらと指の隙間に刺し入れて、食い込む爪の痛みに呻き、そんな痛みを与える彼女への怒りをそのまま力に変えて、必死に指をのたくらせて、爪が刺さることなんて一切考えずにこじ開ける。爪の辺りから軋むような音が聞こえたけど、それが僕のものか彼女のものかなんて、どうでもいい。今はただ、今は。
「――――っ、離せっ!」
まだ取り縋ってくる彼女を押しのける。
どこに何がどう当たったかなんて知らない、「ぎぁっ!?」と動物みたいな悲鳴を上げる彼女を尻目に、僕は奪い取ったロケットをすぐさま自分の上着にしまい込む。奪わせはしない。
これは、もう僕のものなのだから……っ!
そう思ったとき、僕はきっと――
「酷い顔してますね、
押しのけられて転がったカーペットの上で、濡れた声を上げる華乃ちゃんを見下ろす。腕で隠された顔はよく見えなかったけれど、たぶん彼女は今、僕のことを心の底から嗤っている。そして、たぶん哀れんでもいる。
わかっているよ。今の僕が酷い顔をしてるなんて、そんなことは。
きっと、さっき僕が華乃ちゃんに対して感じていたような軽蔑や恐怖、を受けるべき顔なのだと思う。
欲にまみれているに違いない。
それでも、やっぱり華乃ちゃんのようにそれを認めることなんてできずに、卯月さんの大切な物を損なわれたくないからなんて理由をこじつけて、そんな自分を正当化することしかできない。
「ねぇ、なんで駄目だったんですかね。あたしたちじゃ。あたしたちの方が、たぶん切実にあの人のことを求めてるに違いないのに」
華乃ちゃんの声は、いつの間にか降り始めていた雪のように、すぐ溶けて消えてしまいそうだった。でも、まるでぼた雪のように重く心にのしかかるような声にも聞こえて。
「そんなの、僕が知りたいよ……」
返した僕の声も、きっと彼女以外には聞こえないような声だった。
静かに嗚咽を漏らす華乃ちゃんの姿は、きっと僕の姿でもあったから。たぶんその時、ようやく僕らは再会したと言えるのかも知れない、そんなことを思った。
「じゃあ、見ます?」
泣き腫らした目の華乃ちゃんに促されて開いたロケットの中の写真には、卯月さんの写真が入っていた。幼い頃の、楽しげな笑顔。その隣に写っているのは、彼女のお姉ちゃん――
たぶん当時中学生くらいなのだろう風香さんは、確かに可愛らしくて、そしてたぶん、どこかでそれをわかって有効に使っているのではないか――そんな感じすら受けるその写真は、やっぱり卯月さんの想いを切実に物語っているように思えたけれど。
「そこじゃありませんよ。たぶんその人で合ってるけど、あの人の想いは、もっとずっと重い」
「え、どういうこと?」
そう訊く僕を無視するように、華乃ちゃんはロケットの写真の上部辺りを取り出したシャープペンの芯で強めに押した。すると、思いの外簡単に写真はロケットから取れて。
「これですよ、あの人の本当の気持ちは」
華乃ちゃんが取り出したのは、小さなメモリーカードのような物だった。
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