第38話 こしまり雪は、溶けないまま
「
僕の胴に跨って、薄く笑う
まるで交わった相手をそのまま食らってしまうカマキリのような、狂気じみた獰猛な微笑。
過度に暖房が利いた部屋の中、絞られた照明に照らされる彼女の肩は艶やかに輝いている。コートや上着を脱いだ華乃ちゃんの姿は、はっきり言ってしまえばとても煽情的で、昔のことを知っている相手じゃなかったら、たぶん僕の理性は持たなかっただろう。
それに、もう1つ。
華乃ちゃんの手に、卯月さんが失くした――奪われたと言っていたロケットが握られていなかったら。
「は、はぁ、は――――」
一体、何が起こっている?
どうして、僕はこんなベッドの上で華乃ちゃんに乗っかられている?
どうして、華乃ちゃんがそのロケットを持っている?
どうして、華乃ちゃんが卯月さんを知っている?
いったい、僕はどうすればいい?
そんな疑問が頭の中で溶け合って、まともな思考を奪われる。這わされる指の感触で、僕の服も肌に直接着ているシャツ以外脱がされていることに気が付いた。
「あれ~、
おかしそうに笑いながら、華乃ちゃんは僕の胸に指を這わせる。
ゆっくりと、円を描くように。
「――――」
思わず漏れる息に、華乃ちゃんは「ふふふ」とまたおかしそうに笑う。そして、またゆったりとした指遣いで僕の体をいじくり始める。弱々しい力が却ってくすぐったくて、思わず体が震える。
そんな自分が、情けない。
僕は、卯月さんのロケットを奪った誰かから、それを取り返す為にこの場所に来ているのに。卯月さんのことを想っているはずなのに。
情けなくて、涙が滲んでくる。
懸命に堪えてもどうやらその効果はなかったようで、表面張力の限界を超えた雫が目尻からこめかみの方へ流れていく。その様も、どうやら華乃ちゃんにとっては面白かったらしい、また薄い含み笑いが耳についた。
「ん~、前島さんって可愛いですよね? そっか、何か嫌がる人を無理やり……ってなくならない理由がわかった気がする。……する側にならないとわかんないですね、こういうのって」
一瞬差した影を振り切るように、華乃ちゃんは手に持つロケットを僕の眼前で振ってみせる。そして、囁いた。
「ねぇ、このかさんってそんなにいいんですか?」
その声は、さっきまでのどこか楽しんでいるようなそれとは明らかに色合いが違った。
「前島さんは、こんなになってまでこのロケットをほしがるくらい、このかさんのこと好きなんですか? あの人にそこまでするほどの魅力ありますかね? 前島さんが苦しんだり、こんな風に辱められるほどの価値、あるんですかね。ねぇ、これは前島さんのことなんですから、ちょっとは何か考えて答えを出してくださいよ」
冷たくなった声。
その声に反抗したくて、「君は、彼女の何を知っているんだ……」と途切れる声の合間に言う。
と、僕の胸を這いまわっていた華乃ちゃんの指が、僕の脚に伸ばされる。
「随分御大層なことを言ってくれますね、前島さんは」
そのまま、その手を僕の――
「――――っ!」
思わず、ひと際大きく、たぶん高くなった声が漏れる。
握りしめる手の冷たさが身体中に伝わるような感覚がして、思わず全身が震える。そのまま、手指を細かく動かしながら、華乃ちゃんは小さな声で告げた。
「わたしはたぶん、あなたよりはこのかさんのこと知ってますよ」
それから、華乃ちゃんは話し始めた。陰鬱な声で、暗い、憎しみに満ちた声で。
「さっき前島さん、就職が決まったの喜んでくれましたよね。でもね、それって別に嬉しいことじゃないんですよ。そりゃね、煩わしい就活から解放されたのは嬉しかったですよ? でも、だから何? みたいな。そんなの、来年の春までの猶予がちょっと長引くだけっていうか。来年の春になったらまた優等生しなきゃいけないじゃないですか」
そう告げる彼女の顔には、これまでずっとその優等生でいることを強いられ続けてきた――そう言いたげな諦めだったり静かな怒りだったりが渦巻いているように見えた。
そんな感情を吐き出すように強い溜息を吐いた後、「そもそもお姉ちゃんだって……」と、僕のかつての同級生で、彼女の姉である
「お姉ちゃんだって、いつも周りの顔色ばっかり窺っておかしくなったくせに、それから学んでくれないんですよね、うちの親。だったらもう1人のわたしがいるからいいや、みたいな? で、もうわたしはあの人たちのコースに乗せられて、ずっと優等生ですよ。
そりゃ楽ですよ? 怒られたりもしないし、まぁそれなりにいい思いもしましたし。でもね、大学に入って、何てことないことでも楽しそうにしてる人たち見てたら、何か急につまんなくなっちゃったんですよね。
あー、わたしの人生何なんだろう、とか。この人たちのご機嫌とって終わるのかな、とか? それで色々やってみて、まぁそのせいでちょっと持ち上げられて浮かれて処女失くしましたけど、まぁそれも仕方ないかな、って。それだけわたしの世界が狭くて小さかったってことなんだな、なんて思ってみることにしたんで。
でね、そんなこんなして、どうにか今までとは違う自分になれたような気になってたんですけど、就活始めて気付いちゃったんですよね。わたしってもう、どうしようもないくらい安定志向なんですよね。あの人たちとおんなじ。
結局、わたしが大学入ってからしてたことって何だったのかな、って。小中高とあの人たちが望んでた優等生やって、でもそれが何だか虚しくなって色々やって、それでどうにか脱け出した気になってて。
ほんと、いろんなことしてみたんですよ? 何年も経ってない今から思い返したってバカなことしたな、って笑いたくなるようなことも。うん、もしその直前に戻れたら全力で止めますね。ただ虚しくなるだけでしたから。……あぁ、別に前島さんには関係ないことですから、気にしないでくださいね?」
僕の身体中を指先でまさぐりながら、暗い笑顔を浮かべて華乃ちゃんは言葉を続ける。
「……でも、それも全部ただのメッキだったんだな、って。メッキというか、もうただの塗装? ちょっとのことでなかったことになっちゃうようなものだったんだ、て痛感しました。そんな自分が嫌で、嫌で、もう消えちゃいたいな――なんて思っちゃってて」
その感情に、どうしてだろう。
どこか覚えがあるような気がして。
「そのときにね、確か強い雨が降ってた日に会ったんですよね。卯月このかさんと」
僕はその言葉に、ただ引き込まれていた。
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