第37話 根雪の下から

 煌びやかなクリスマスイルミネーションが、冬の澄んだ夜闇に映える大通りを歩き、またあのホテルにやって来た。

 2日続けてこんな場所に来るなんて、何だか色々なことを誤解してしまいそうだ。ワインゴールドの照明に見上げられたホテルの豪華さは、何となく自分の価値まで高めてくれそうな感じがして、奇妙な高揚感があった。


 でも、そういうものに意識を向けても、やっぱり誤魔化せない。


 すぐ傍に、卯月うづきさんの秘密があるのかと思うと、それを想わずにはいられない。ただの興味本位だと言われても構わない。

 僕は今、たぶんここ最近ではなかったというくらい――たぶん卯月さんに初めて会ったときと同じくらい、興奮している。


「――――」

 吐き出される息の、白がもっと濃くなる。

 白くて熱い息に微妙に視界を遮られながら時計を見ると、8時ちょっと前。9時なんてちょっと遅すぎたかな。そう思いながら、ホテルのロビーに入る。

 昨日来たのは昼間だったからちょっと覚悟していたけど、夜に来たロビーはチェックイン待ちの宿泊客でいっぱいで、とてもゆっくり待ち合わせ相手を待っているような状況ではなかった。

 昨日の昼に遠島えんどうさんを待っている時間を潰していた喫茶店はちょっと前に営業時間が終わったらしい。ちょっとだけ残念な気持ちになりながら辺りを見回すと、喫茶店の代わりに、ロビーに併設されるようにして小さなバーがあるのが目についた。


 あと、1時間。


 その時間を潰すには、ちょうどいい場所だろう。

 入ってみるとカウンター席はほとんど埋まっていたけど、大体の人が待ち合わせ時間を潰すことに利用しているのか、客の回転は速そうだった。


 だから、ちょっと空いているところに入ればすぐに落ち着きそうだ……そう思って目を付けた席に向かって歩いていると、「あれ?」と声をかけられる。声のした方を見ると、懐かしい人影があった。

「あれ、華乃はなのちゃん?」

「やっぱり前島さんだ。お久しぶりです」

 にこやかな笑顔はすっかり大人びたけど、雰囲気は変わらない。そこにいたのは幣原しではら 華乃はなの――僕が中学校の頃に恋していた、幣原 葉乃はのさんの妹だった。


「どうしたんですか、こんな所で? まぁ、あれか。一緒に飲みません?」

 華乃ちゃんの隣がちょうど空いていたから失礼して、メニューを開く。普段飲まないカクテルの名前が並んでいて、ちょっと戸惑っていると、「どれどれ~?」と華乃ちゃんが覗き込んでくる。


「あっ、ブレイブブルとかどうですか? 甘くておいしいですよ?」

「ん、強いやつはあんまり飲めないんだけど……」

「大丈夫ですよ。マスター、こちらの方にブレイブブルを」

「えっ」

「いいじゃないですか、ここで会えたのも何かの縁ですよ。ちょっとくらい飲みましょ?」

「いや、明日も仕事だしさ……」

「じゃあ私と半分こ!」

「それもちょっと……」

「あっ、来ましたね」

 カウンターに置かれたグラスには、深い色をした液体が入っている。あんまりわからないんだよなぁ……と思いながら恐る恐る口を付ける。


「あっ、けっこう甘い」

「ね、飲みやすいでしょ?」


 そんな風に舌鼓を打っている間に、華乃ちゃんが頼んだソルティドッグが来て、2人で飲み始める。話はどんどん弾んで。

「えっ、華乃ちゃんあそこに就職するんだ、凄いじゃん! ていうか、そっか。華乃ちゃんもそういう歳なのか、早いなぁ……」

「でしょ~?」

 得意げに笑う華乃ちゃん。そういうところも、何だか昔と変わらない。でも何故か、その顔が一瞬自嘲気味に曇ったように見えて。

「あの、」

「前島さんは、今日どういう用事なんですか? まさか待ち合わせ?」

「うん、まぁね。ていうかまさか、って……。まぁ、そんないい話じゃなくて、失くしたものを拾ってくれた人に会うってだけなんだけどね」

 まさか、と言われてしまうのはまぁ、昔からか。そんなことを思いながら、思わずここに来た用事を言っていた。言ってから、あんまり堂々と言うことじゃないな、とも思ったけど。

「へぇ~」

 当の華乃ちゃんも、ソルティドッグを飲みながら聞き流している感じだったし、大丈夫かな? そう思いながら飲み続けていると、「ま~え~じ~ま~」と言いながら華乃ちゃんがしな垂れかかってきた。

「ちょっと、どうしたの華乃ちゃん!?」

「うるへぇどーてー!」

「ど……!?」

「さっびしーんですよ、こっちは」

 さっきまでと違う雰囲気の、しかもちょっと呂律の回らない彼女の言葉に戸惑う。あたふたしている僕を胸の中で笑いながら、「冗談ですよ」という華乃ちゃん。何だったんだろう……?

 身を起こしてまた飲み始めた華乃ちゃんを横目に、どうにか気持ちを落ち着かせようと残りのブレイブブルをあおる。甘いながらも喉が熱くなるのを感じて、それと、何だか奇妙な違和感。


 ……あれ?

 さっきまで何ともなかったのに、急に……?

「そっかぁ、前島さんだったのか……」

 ん、何が?

 そう訊けたかどうかもわからないまま、僕は



「あっ、起きました?」

 その声と一緒に目に飛び込んできたのは絞られた天井照明の仄明かりと、下腹部の辺りに感じるズシッ、とした重み。

 ようやくクリアになった視界の中央には、にぃ、と笑っている華乃ちゃん。着崩した服から露出した肩と、その手に持っているものが、照明の光の中で艶やかに光っている。


「これを知ってるってことは、前島さんあの人のことも知ってるんですよね?」

「あ、あの、人……?」

 目の前の状況についていけず、思わず訊き返す。

「わかってるくせにぃ~」

 クスクスという、いたずらっぽい笑い声。そして僕を冷たく見下ろす瞳を細め、艶やかに光る唇を歪めながら。


 卯月 このかさんに決まってるでしょう?


 耳元で囁く声には、何らかの感情を押し殺したような、不自然な静けさがあった。

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