第8話 秋夜の長雨
「わたしもそういう感じのとき、あったんだよ? まぁ、そのせいでこんな風になったんだけどねー」
その言葉は、もしかすると彼女の過去に繋がるものかも知れなくて。
彼女の過去に興味を引かれなかったといえば、もちろん嘘になる。だけど、
だけど、そんなわけにはいかなかった。
彼女は抵抗しない代わりに、僕をただの「いいやつ」にはしてくれない。
「聞きたい?」
突然話すわけでもなく、話を変えるでもなく、僕にそう問う。
覗き込むような瞳は、僕に尋ねることを強いているようにも思えて。わかっている、「強いている」なんて身勝手な責任転嫁に過ぎないってことくらい。結局、僕のことなんだから僕が選択するしかない――そういうことなのだろう。
わかってはいるけれど、思わず恨み言の1つでも言いたくなってしまうくらい、卯月さんの問いかけには力があった。
覗き込むような瞳。
その瞳は、僕に傷だったり膿だったりを吐き出す場所を求めているようにも感じられたし、それとも……。
「ま、今まで話した相手のほとんどは引いちゃって、さっきもフラれたばっかりなんだけどね~」
……僕のことも、その今までと同じように興味本位で自分に近付くものと見ているのか。困ったような、まるで他人事みたいな苦笑いの中でも笑みを作っていないその瞳は、何を思っているのだろう。
もちろん、後者ではない……そう思いたかった。
決してただの興味本位なんかじゃないと。
そう、これは彼女に始まったことではないのだから。
ある頃から、何か悩んでいそうな人のことは放っておけない
たとえただ話を聞いてもらうだけだとしても、たったそれだけのことで気持ちが救われることだってあるんだってことを、身を以て知っているから。
そうやって僕を救ってくれた彼女を救うことは、できなかったけれど。
目の前にいる卯月さんがそうやって膿を出したいと望んでいるのなら。だったら僕がそれを拒むことなんて……できるわけがない。
卯月さんを、拒みたくない。
突き放したくない。
気付けるところにいながら気付けなくて後悔するなんて、もう嫌だ。どこか彼女に似た雰囲気を帯びた卯月さんが、望むのならば。
その捌け口になるのだって、別に構わない。
そう自分に言い聞かせて、僕は小さく頷いた。
小さく「あ、そう」と答える彼女の声音からその心情を読み取れなかったのがよかったのかよくなかったのか、そんな自問にすら僕は答えを見つけられない。
そんな僕に構うことなく、卯月さんは自分の過去を――彼女の言うこんな風になってしまったきっかけを話し始めた。
* * * * * * *
こうやって思い返すとわりと最近なんだけど、高校最後の文化祭が終わった後だから、去年? その頃、個人的にいやなことあったんだ。ううん、今思い返せばどうってことないんだけど、その時付き合ってた人に別の好きな人ができちゃって。
まぁ、よくわかんないけどさ。
そのときのわたしってけっこう本気で運命とか信じちゃってたし、この人しかいない――なんて思っちゃってたんだよね。
なのに、話聞いてみたらその人、別に私のこと好きでも何でもなくて、そもそもそういう風に思わせぶりな態度をとった覚えもないとか言うんだよ? そんなの信じられないっていうか……信じたくないっていうか。
それで、その人とのこととかよく相談に乗ってもらってた知り合いのところに行ったんだよね。何か、もう愚痴ってたら呼ばれて、そのまま?
何かね、どうにかして現状を壊さないと心が壊れちゃいそうな気がしてたの。だから、多少思うところはあったけど、うん。まぁ、相談に乗ってくれてるうちから何か怪しい感じはしてたんだけどさ。行ってみたら、案の定?
……何かすごい顔してる。
でもさ、安心して?
そりゃ怖かったし痛かったけど、でも、わたし思ってたんだよね。これで何かが変わるって。もしかしたら、何か新しいものを見つけられて、そのとき感じてた寂しさとか全部消えるって。
結局、特に何が変わったわけでもなかったんだけどね。
その知り合いが
で、残ったのは妙な虚しさだけ植え付けられたわたしだけ? それを埋めたくてこんなことしちゃってるんだけど……。もしかしたら、って思ってるんだよね。あいつとかじゃ無理だったけど、もしかしたら、今度こそ「運命」なんてあったら、そんな寂しさなんて全部嘘みたいに消えちゃうようなこともあるんじゃないかな……って。
なんてね!
* * * * * * *
最後だけおどけた笑みを見せた卯月さん。
だけど、その告白は決して軽々しく聞いていいようなものではなくて。何を言えばいいのか、何を返せば彼女を傷つけずに済むのかわからなくて。むしろ、何もするべきではないのか?
ただ話せば軽くなる……そんな気休めじみた言葉を向けられる気がしなくて。
あまりに重くて、抱えきれない。
気づかないうちに思わず目を伏せていた僕の正面から寂しげな溜息が聞こえたような気がしたけれど、顔を上げられなかった。
別れ際に交換した連絡先に表示されたアイコンで笑っている猫のキャラクターが、何だか妙に虚しく感じられて。近くの自販機で買ったいつもの缶コーヒーが、思わず吐き出してしまいそうなほど苦く感じられた。
遠ざかっていく小さな後ろ姿は、さっきより弱まった雨の向こうに揺らめいてすぐに見えなくなった。
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