第23話 七つ下がりの外待ち雨
今日は、久しぶりにただ楽しいだけの日だった。
偶然にも高校時代の友達と再会して、話も盛り上がり。それから彼女の勧めで行訪れた
何も心配事のない、ストレスもない、ただ楽しいだけの1日だった。
途中までは、そうなると思っていた。
『すみませーん、抹茶プリンパフェ1つくださーい!』
その声に振り返ってしまったのが、運の尽きだったのかもしれない。
偶然見てしまった彼女――
せっかく旧友――なおちゃんが連れてきてくれたイチオシの場所を、楽しんでいられなくなってしまった。
昼過ぎの一際眩しい陽光に照らされたプラタナスの並木道でも、ダイヤのように輝く池の周りを彩るスイートアリッサムの花々を見ているときも、少しずつ冷たさを増してきた風をよけようと上着のボタンを全部閉めて口元を覆っているなおちゃんの姿を見て「相変わらず寒がりなんだなぁ」とか思っていても、見える風景のどこかに卯月さんの姿を重ねてしまっていて。
「じゃ、また今度ね。しばらくこっちにいるから、会ったらよろしく」
「あぁ、今日は楽しかったよ。色々教えてくれてありがとう」
「あのさ、こうちゃん。何か悩み事があるなら言いなよ?」
「……、ありがとう」
最終的には、心配をかけた状態で別れることになってしまった。そういう流れになって別れるつもりなんてなかったのに。
恨みがましい気持ちになりながら、四季園の中でもらったメッセージを見返す。
『ちょっと久しぶり! さっきの人だれ?』
そんな何気なく軽い調子の――しかしどこか心を刺し貫いてしまうような痛みを感じさせるものだった。
ふと、思う。
じゃあ、君の向かい側であんなに楽しそうにしていたのは誰なんだよ、って。それを訊いてしまってよければ、言ってもいいような気がした。
だけどきっと、駄目だというのだろう。
卯月さんというのは、たぶんそういう人だ。
浅いところなら、誰にでも解き放って触れさせてくる。
だけど深いところは固く閉ざしていて、触れることはおろか見ることすらできない。きっとそれが、卯月このかという人なのだろう、と。下手に近づいてしまおうとすると、どんどん遠ざかってしまう。
その得体の知れなさを、普通だったらきっと気味悪がって遠ざかろうとするのだろう。僕だって、そうするだろうと思っていた。
よく小説やマンガに出てくるような、どこまでも謎があったり、心の中に一物を抱えていそうだったり、暗い影を宿していたり、それを押し隠すように普段明るく――傍若無人ともいえるほどに強引な振る舞いをしていたり。時々覗く真実の気配に、周りの人物はたちまち引きずり込まれてしまう。
関わらずにはいられなくなってしまう。
そんなもの、実際にはありえないと思っていた。
実際にそんな人物がいたら、周りはたまったものではないだろう。
疲労感だったりストレスだったり、そういうものは並大抵のものではないだろう。時々覗いた影があったとしても、いや、そんな影を見せられてしまったらきっと、通常ならそれ以上の付き合いなど続けられない。
そもそも人と付き合うときに、そこまで深い所まで知りたいとは思わない。
知るのは、自分との接点に関する情報だけでいい。
仕事場が一緒の相手だったら、仕事に関すること。あとは、時々一緒に飲むときに話せるようにお互いの軽い趣味だったりやんわりと家族構成について。
もう少し付き合いのあるプライベートな友達であったとしても、会って話したりするときに盛り上がる――暗くならずにいられる情報だけでいい。
趣味の友達だったら趣味以外のことはそこまで必要ない。もしかしたら悩みの相談はするかも知れないけれど、積極的に知ろうとは思わない。
そんなものだ。
人と付き合うとき、相手のことをあまり知り過ぎると、身動きをとれなくなってしまう。
都合が悪い――踏み込まれたくない、踏み込みたくない箇所にまでお互いの手が伸びてしまったときに、ただそれを受け入れることしかできなくなってしまう。だから、ある程度の逃げ道は確保した状態で付き合っていくためにも、知る範囲と知らない範囲は決めておくべきだ。
それを逸脱しないように気を付けておかなくてはいけない。
じゃないと、現実での人付き合いは不便で仕方なくなる。
現実は、物語の世界とは違う。
誰しもが特別な才能に目覚めるわけでもない。誰しもが必要な場面で機転を利かせられるわけでもない。誰しもが目の前に降りかかった災難を解決できるような意志の強さを持っているわけではないし、諦めないことで事態が開けてくるなんてことも保証されてはいない。
だから、知るべきところと知るべきでないところの区別は必要で、自分でどうにもならない部分については、知るべきではない。
中途半端な興味なんかで深いところまで踏み込んだりしてはいけない。
そうしたら、お互いが傷ついてしまうだけだから。
どうすることもできないくせに、問い詰めたくなってしまうから。
戻れない状況にまでなってから追い縋るなんていうことを、僕はもう繰り返したくなかった。
僕も、そしてたぶん
それでも、僕は彼女を――卯月さんを知りたいと思ってしまっている。
僕の知らないところで、きっと僕に見せてくれているのと同じような顔を誰かに見せているのだろうと思っただけで、胸が重くなる。息が苦しくなる。
どうしたんだろう、僕は。
これじゃまるで、思春期の子どもじゃないか。
そんな冷笑を敢えて自分に向けてみても、それじゃ気持ちが止まらなかった。
なおちゃんと別れた後、行き場のない気持ちに任せて、駅の周りを歩いている。
駅周辺のいかにも都会――恐らく多くの人が「都会」という言葉からイメージする賑わい・適度で人工的な緑地・立ち並ぶ飲食店・摩天楼と言われてもいいような高層ビル群……そんなものが揃った街並みは、今の気分にはうるさ過ぎた。
だから、駅から離れるように十数分歩く。
賑わいが消えた細い道を、僕の住むアパートのある地区も通り過ぎて、どんどん歩いていく。少し前につき始めた街灯の明かりに見下ろされながら、足はいつの間にか、この数日で何度か足を運んだ場所に向かっていた。
長い階段を上がって、またいつもの公園だ。
町やその更に遠い所を見渡すのに最適な快晴の昼間とかではないけれど、初めて卯月さんと出会ったときみたいな雨の日でもない。その次に出会ったような夕暮れ時でもない。
中途半端な時間帯。
だけど、きっと、今なら。
ふと芽生えた誘惑に駆られるように、公園内を見回す。
いや、誘惑とも言えないだろう。
だって、ずっと気にはなっていたのだから。あの日――不吉さすら感じる夕闇の中で、彼女が汚い感情を吐露して、そして、恐ろしい言葉を発した日から。
きっと、今なら卯月さんはまだ戻らない。
たぶんさっき四季園で一緒だった彼と、楽しい時間を過ごしているのだろうから。
ふとしてしまった想像に、胸を掻き毟られながら。
僕は、公園内を探す。
まさか、とは思いながらも。たぶん、彼女は冗談のような――きっとあの場の沈みきった気持ちに任せて言ったのだ、そう自分に言い聞かせながら。
それでも、胸騒ぎのようなものが離れない。
あの日、彼女から初恋の話を聞いた。聞いた場所は、古びて誰も寄り付かなくなった、とうの昔に廃線になっているバス停。そこで求め合って、肌を重ねたときに聞いたのだ。
だけど、その記憶に近いくらい鮮明に焼き付いてしまっているものも、ある。
『ねぇ、死体ってどうやって隠したらいいかな?』
そう問うた彼女の手は、夕焼け以外の赤に染まっているように見えていた。
まさか。
そう思いながらも、僕の足はあのとき卯月さんが現れた木陰を目指していて。大きな松の木の下。妙に色の違う一画の土は、つい最近この辺りの土をいじった誰かがいたという気分の悪くなる符合を示していて。
妙に多い羽虫の音を聞きながら、僕には立ち尽くすしかできなかった……。
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