第22話 この胸に降り注ぐ黒雨の名は
朝食をとっていた喫茶店での、突然の提案から小一時間が経った頃。
電車で数駅乗ったところにあるそこが、なおちゃん――
季節ごとに様々な花が咲き、その姿がとても美しいと評判の四季園。
その入口からしばらく、広大な薔薇園が広がっていた。色とりどりの薔薇が、それ自体が展示物になりそうなほど小奇麗な仕切りでその種類ごとに区切られて生けられている。
薔薇園は、その外側を回るだけではなくて、内側に儲けられているレンガの敷かれた通路を通り抜けることで、より近くかあ花々を見ることができるようになっている。まるで迷路のようになった通路の両脇を固める薔薇。よくこんな本数栽培できているな……と感心したりしていると、どこかから鐘の音が聞こえてきた。
「あっ、噴水の時間かぁ」
隣でなおちゃんが惜しいことをした、と言わんばかりの声を上げる。
「噴水?」
「うん。今日は別にいいけど、こうちゃんも気になる子とかいるんだったら、その子と来るときはチェックしといた方がいいよ? あー、でも昼間より夜かなぁ。噴水のイルミとかがほんと綺麗だから」
私も前に彼氏とね? という言葉からまたのろけ話が始まってしまいそうだったから、どうにか話を変えようと、辺りを見回していると、それぞれの薔薇の傍にちゃんと名前がわかるようにプレートが付いていることに気付いた。
「へぇ、いろんな名前あるなぁ」
正直なおちゃんの話から逃げるために見始めたけど、薔薇の名前というのはけっこう面白い。それに、色も。薔薇というと赤い花だったり、もしくは白いものがよくイメージされがちらしいけど、薔薇の花にはそれだけじゃなく、様々な色がある。
黄色い花びらに赤い縁取りがついたようなチャールストンだったり、紅色とオレンジの色合いが美しいスヴェニール・ド・アンネ・フランク(実在した人物に因んで名づけられている)、白と金色の色合いが本当に月そのものにも思えるムーン・スプライトとか、様々な品種が栽培されている。
別名として有名なおとぎ話の名前がついたものだったり、ある特定の人物に捧げるために作出されたものだったりするとそのままその対象の名前がつけられていたりする。ほとんど予備知識なんてない状態で来たけど、植物を見るのもわりと楽しいかも知れない。
そんな風に見て回っていたら、わりと長そうに見えていたレンガの通路もすぐに終わっていた。
その後に待っていたのは、夕陽のように色づいた葉を風に揺らすメタセコイアの並木道だった。背が高い木からは、昼頃の少し冷たい風によって空中を舞って葉が落ちてくるレンガの道は、通り抜ける前に全体を見渡した時、まるでどこかの映画のセットのようにも見えた。しかもそんなショットを見られる絶好の位置に、ちょうど休憩所を兼ねた食事処が設置されている。
多くの来園者たちの足が向かうその場所に、もちろん僕たちの足も向かった。
「あっ、ちょっと電話きた。何か適当に頼んでて」
席に通された直後、そう言ってなおちゃんは1度外に出た。少しだけ足取りが弾んでいたし、出た時の声が僕と話しているときと全然違っていたから、きっと例の彼氏さんなのだろう。
あーあー、可愛らしい声出しちゃって。二重人格なのか?
そんな下らない茶々を入れてから、改めて何か頼もうとメニューを見る。うっ、どれもちょっといい値段するんだな……。財布と相談しつつメニューとにらめっこをしていると、少し離れた席から、聞き覚えのある声が聞こえた。
「すいませーん、抹茶プリンパフェ1つくださーい。あとは、うんうん。あと、ウーロン茶1つで」
その声を最後に聞いてからは、まだ1週間も経っていない。
つい視線で追っていたその先には案の定、
似たような色調――黒を基調にして、ワンポイント的に赤が散りばめられたような衣服でお揃いのコーディネートをしている2人はとても仲よさそうに見えた。流れている気安い雰囲気から、それなりに付き合いが長そうなことも窺えて。
思わず目を逸らしてから、それでもやっぱり様子が気になって。
しかも位置取りもよくなかった。
2人が座っている席は、僕らがとった席からそれなりによく見える場所だったのだ。こればかりは運としか言いようがないけれど、何とも心を抉る偶然だ。
何とか気持ちを落ち着かせようと、とりあえずでほうじ茶ソフトを注文してからも、僕の目は卯月さんの方に釘付けで。どれくらいの間そんな風にしていただろう、しばらくしてからにやけ顔で戻ってきたなおちゃんに、「うわ、めっちゃ溶けてるよ!」と驚いた声でほうじ茶ソフトを指差されてしまった。いつの間に来ていたのだろう、全然気付かなかった。
「まぁいいや。早く食べよ? それじゃただの溶けたアイスだし」
少し呆れたような目で見つめられながら、僕はただのほうじ茶クリームとなったソフトを飲んだ。
その間に、卯月さんたちはもう食事処を後にしていて、あとはもうどこにいるのかさっぱりわからなかった。
「ん~、どうしたのこうちゃん? 何かあそこでお昼食べてからテンション低くない?」
「んー、いや別に?」
そう答えたものの、僕にだって今自分が何を考えているのかわからない。
不意に見かけてしまったのがいけなかったのか、他の人といるところを見かけたせいなのか、わからない。
もう、目の前の綺麗な庭園を頭の中に留めてはおけない状態になっていた。
代わりに頭の中を流れるのは、誰かよく知らない男の子と楽しそうに笑っている卯月さんの姿で。そればかりが頭の中でループして止まらなくて。
せっかく紅葉が綺麗な湖の畔を歩いていても、その色に釣られるように卯月さんと相手の男の子が着ていた服の赤いラインが蘇ってくるだけで。そんなどうしようもない状態だったから、携帯にメッセージが着いたことも、通知音に気付いてくれたなおちゃんに言われるまでわからなかった。
『ちょっと久しぶり! さっきの人だれ~?』
ここ最近ですっかり見慣れた、ネコのキャラクターが笑っているアイコン。
そこから発せられたそのメッセージに、僕はしばらく何も返せずに、ただ見ていることしかできなかった。
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