第43話 新雪の結晶は脆く
「ごめん、こんな時間に呼んじゃって。明日にした方がよかったかな」
「別にそれはいいんだけど、何でいんの」
日付も変わり、弱いながら雪も降っている夜のホテル。
ロビーに顔を出したとき、
実際、華乃ちゃんが直接彼女のロケットを奪おうとしたときは怪我をさせてまで抵抗している。それほどにまで大切な物だったのだし、何よりあの中に入っていたのは卯月さんにとって1番デリケートな秘密――もはや卯月さんそのものといってもいいくらいのものが詰まっているのだから。
それは、僕ももちろん知っていることだし、卯月さんだって僕がそれを知っていることには気付いているに違いない。だからこそ、ほとんど嫌悪に近い視線を送られても僕には何の言い訳もしようがなかった。
そんな僕に、卯月さんは容赦なんてしない。
「
あー、そっか。光輝くんも華乃さんとグルだったわけ? ならそこまで動きが速かったのにも納得だね。そっかそっかー」
言葉に詰まった途端、その瞳に込められた敵意が今度は僕に向く。
情け容赦なく、僕を言葉で殺してしまおうとでもしているみたいに。
自分の秘密に近付いた僕を。
秘密を暴こうと思った僕を。
知りたいと思っていた僕を。
「うん、そうだよねー。基本的に光輝くんってわたしとヤリたいだけだったもんね。わかってるんだよ、そういうの。それで変な独占欲とか理解者
でもさ、そういうのってけっこう気持ち悪いんだよ? ていうかどういう気分だった? ねぇ? 楽しかった? どうよ、どうなのよ、ねぇ」
敵意しかない言葉。
猜疑心に満ちた瞳。
そうなるくらいに。
彼女は怯えていた。
「卯月さん、僕は、」
「はぁ? このかさん何言ってんですか? こんなやつがあたしに協力なんてできるわけないってわかりません? 心外ですよ、まったく」
すかさず口を挟んできた華乃ちゃんの語気が、さっき僕を罵ったときよりも激しいものになっているような気がした。
「大体、これはあたしの気持ちです。あたし自身がしたくてしたことなんですよ。それを
叫ぶように、肺の中の空気を絞り出すように、苦しげに、叫び出したいのを堪えるように強く息を吐いた華乃ちゃんは、卯月さんの両肩を強く掴んだ。一瞬怯んで、次に鬱陶しそうな顔をした卯月さんの顔が、彼女に向けて上げられた華乃ちゃんの顔を見て驚きの色にサッと染まった。
どんな顔をしているのかは見えなかったけど、啜り上げるような息遣いではっきりわかった。
震える吐息と共に、華乃ちゃんが言葉を紡ぐ。
卯月さんだけを見つめながら。
「ねぇ、このかさん。何であたしじゃ駄目だったの? たぶんあなたが見てる人はあなたのことを見てなんてくれないのに。あたしはあなたをちゃんと求めてるのに……、そのロケットの中の人なんかより、ずっと……っ!」
崩れるようにもたれかかってくる華乃ちゃんに、卯月さんは小さく、優しくさえ聞こえる囁き声で「ごめんね、華乃さん」と答えた。
「……うん、わかってたよ。そう答えるって」
「ごめん、でもね、わたしには誰のことも好きになれない。好きになりたいのに、人を好きになれたらきっと楽なのに、だからずっと、こんなこと繰り返してるのに、何でだろうね。たぶんわたしが駄目なのかな。どうしてもね、人のことが好きになれないの」
そう寂しげに笑う卯月さんに、僕はまた迷っていた。
何を言うべきなのか、思い浮かんだ言葉を言ってしまっていいのか、迷った。
「甘えてんなよ……」
だから、また言うべきことを、華乃ちゃんに譲ることになった。
「ねぇこのかさん、あなたはわかってない。あなたはきっと、まだそのロケットの人のことが好きなんだよ! だからその人以外の誰のことも好きになれないんだ! そんなの、とっくにわかってんでしょ!? このかさんが言ってるのは、ただ傷付きたくないからって逃げてるだけの子どもと変わんないんだよ!」
血を吐くような叫びだった。
いや、たぶん、流していた。
華乃ちゃんはきっと、心からおびただしい量の血を流して、泣き叫んでいた。
「報われないのがわかってるからって逃げて蓋するとかさ、きついでしょ? それとも何、あなたに告白したあたしは、ただの滑稽なやつ!? そりゃね、相談相手って関係崩してまで言うことじゃなかったろうけどさ、でもさ、抑えられないんだよ! 抑えられなかったの! 抑えとくのが苦しくて仕方なくて、…………っ」
見開かれたその瞳から本当の涙が零れそうになったのを隠すように、華乃ちゃんは「帰るわ」と卯月さんに背を向ける。それで、「怖い思いさせたのは、ほんとにごめんね」と努めて落ち着かせたような声で言い添えてから、ホテルを出て行った。
最後に、「次はあんたの番だから」と僕に囁きかけて。
静かになったホテルのロビー。
そこにいるのは、どうしたらいいかわからないという顔で立ち尽くしている新人らしいフロントと、向かい合って立つ僕と卯月さんだけだ。
「ねぇ、場所変える?」
少し気遣わしげにひそひそと囁いてくる卯月さんに、僕は「うん」とだけ答える。フロントに外出してくることを伝えて、雪の降る夜道へ歩き出した。
電灯の色を透かす雪が、やがて夜色混じりの白に変わって地面に薄く積もっていく。どうやら差している傘の上にもちょっとずつ積もっているみたいなのも何となくわかっている。
「場所変えるって言ったけどさ、どこ行くの?」
「うーん、未定」
「やっぱりなぁ、光輝くん無計画そうだし」
「そうかなぁ」
「うん」
「そっか」
「そうそう」
言いながら、ふと気付いたのは。
いま歩いている場所がけっこうな高台であること。
見下ろす夜色の街並みが、そこからはとても遠い。
まるで、世界すら隔てたように遠くて。
僕は、その非現実感に背中を押された。
「卯月さん、好きだ」
伝えるべき言葉じゃないってことくらい、わかっていた。
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