第18話 未だ心に降り積む細雨に

「ここで、わたしの好きだった人が、その好きな人と恋人同士になったの」

 静かな夜。もうとうに使われなくなったと思しきバス停の中、彼女は遠い瞳をしながら、僕にそう告げた。


 きっと努めてあっさりとした口調にしようとしたのだろう、それは窺えた。

 だけど、その言葉を口にした卯月うづきさんの唇は少し震えていたし、体温すら感じられるほど近くにいた僕には、「このバス停が大事な場所ではない」と言ってからその言葉を発するまでの間に何度も深呼吸をしていたらしいことも手に取るようにわかってしまった。

 きっと、それくらいに大切な人だったのだろう。

 関係が崩れたことがきっかけで、後悔を伴う自棄を起こしてしまう程、大切な人だったのだ。

 そんな人への想いをたかだか1年程度で断ち切るなんて、きっとできることではないのだろう。それは、そこまでの気持ちをいだいてこなかったのだろう僕にはわかりようがない。

 それに、何も知らない。

 共感などしようがない。

 ましてや、嫉妬なんて。


 そのくせ、どうしてだろう。

 そういうものも含めて、そういう感情を抱いてなお、卯月さんのそんな過去を知りたいなんて、そう思ってしまうのは。

「気になるでしょ?」

 イタズラっぽく微笑む彼女に抗うことなんてできなくて。卯月さんにはきっと、そんな僕の反応は想定内のことで。

「すっごくね、大切な人だったんだ。お姉ちゃんみたいに思ってた」

 まるでその思い出を慈しむように静かな口調で、夜空を見上げながら卯月さんは始めた。

 彼女がそれ程までに大事に想っていた、すごく大切な【お姉ちゃん】の話を。

 そのどこかに卯月さんがどこかの時点の幻燈を探しているのかも知れない夜空には、満天の星が輝いていた。


 * * * * * * *


 あれがまだ去年くらいのことだったなんて、信じられない。

 それくらい、話しているうちにも気持ちがあふれてくる。


「すっごくね、大切な人だったんだ。お姉ちゃんみたいに思ってた」


 そう言ったときに、光輝こうきくんは少し怪訝そうな顔をしたけれど。そんな感情ごときで、この気持ちは語らせやしない。

 相手が誰であろうが、わたしには何よりも尊い想いだったのだから。


 出会いは、まだわたしが小学生の頃。

 当時、両親も忙しくてあまり家にいなかったわたしの遊び相手は習い事とかをしていなくてよっぽど自由な時間の多かった同級生か、すぐ近所に住んでいた【お姉ちゃん】――伊藤いとう 風香ふうかちゃんだけだった。

 風香ちゃんは、今年でもう26か27歳になる。

 7つも離れてるんだし、年齢的には風香さんと呼んだ方がいいのかも知れないけど、風香ちゃんは風香ちゃんだった。どこか頼りなくて、一生懸命だけどちょっとドジで、まっすぐ過ぎてちょっとずれたことをしちゃってたり。

 周りがわたしの同級生だったり、そうじゃなくてもわたしに近い年齢としの子が多かったからだろう、お姉ちゃんらしくしなきゃ、と思ってくれているんだろうけど、どこかその気持ちが空回っていて。

 もちろん、その空回り方も決して周りが不快になるようなものではなかったのだけど。

 そういうわけで、時にはわたしとか他の同級生たちに『もう、風香ちゃん大丈夫?』なんて心配かけて、『あ、ごめんね~』と照れ笑いを浮かべているような、そんな人。

 それでみんなからちょっとだけ呆れられて、まるでお姉ちゃんなのに妹みたいな感じのときがいっぱいあって。


 でも、とっても一生懸命で。

 いつも、優しい人だ。


 たとえば、初めて会ったとき。

 いつも1人でいたわたしを遊びに誘ってくれたとき。

 わたしがつまらなくないように、と色々な遊びを考えてくれたとき。

 オススメの漫画とか児童書とかを教えてくれたとき。それを実演?しながら読み聞かせてくれたとき。

 近所の公園にある、「秘密の花園」(と風香ちゃんが呼んでいた綺麗な花が咲く静かな場所)を教えてくれたとき。

 一緒に出掛けた先で、『絶対似合うって~!』と言って良くも悪くもない中途半端なセンスの服を買ってくれたとき。


 いつもいつも、わたしが楽しいようにというのを考えてくれている人だった。

 自分が辛いときでも、人に優しくできる人。

 人を好きになるのが上手で、それですごく下手な人。

 そんな人だったから、人には言えないような辛いことが何度もあって。そのたびに、わたしたちには見せないように涙を流していることも知ってて。

 そのときから、少しずつそれを何とかしてあげたいなんて気持ちは芽生えていたけど。


 たぶん、あれはわたしが小学校5年生くらいのとき。

 その年の10月最後の土曜日に、保護者代わりに……と言ってわたしをハロウィンのコスプレパーティーに連れ出してくれた日のこと。

 でも、その日は朝からどこか様子が変で。

 そういえばその日は前から、一緒にハロウィンパーティーをしようと誘っていたのに『ちょっと友達と用事があって~』と嬉しそうな残念そうな顔で断られていた日で。

 コスプレをした人たちに紛れて歩いているときも、周りの楽しげな雰囲気に反して風香ちゃんだけはどこか心ここにあらずという感じで。

 そしてコスプレしてる人たちの中のどこかを見て一瞬黙った後。

『このか、楽しい?』

 いきなりそう訊いてきて。うん、と頷いたわたしに『よかった!』と微笑んでくれた目尻がラメなんかじゃない濡れた光を放っているのを見たとき。たぶん、そのとき。

 今でも覚えている。それが、わたしが初めての恋をしたときだった。

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