第17話 僕らの間には、小夜時雨

 夜風はもう凍てつくように冷たく感じたけれど、僕らの肌はそれを誤魔化すように熱かった。

 ホテルには行きたくない。

 そう言って、卯月うづきさんは僕をその場所に連れて来た。そこは、ホテルの代わりになるような所ではなく、夜風が吹くのに任せて体を晒すしかないような、古びた廃墟だった。


 廃墟とはいってもある特定の建物とかではなく、そのあたり一帯が廃墟然としている場所だった。


 辺りに人家はほとんど見当たらなくて、唯一ある24時間営業のコンビニの看板と、かなり広い感覚で設置された街灯だけが、僕らの視界を保ってくれている。といったって、もう数歩先はよく見えない夜闇だし、そして何よりも、とても静かだった。

 卯月さんと2人で向かい合っていた夕暮れ時の公園のような、作り出された不快な静けさではない。もう、不快で怖いとも感じることができないほどの、ただそうあるのが当然と言わんばかりの静寂。長い間整備されていないのか、砂利っぽくなってしまっているアスファルトを踏みしめる音だけが、刺さるように耳に響いている。

 先に何もないからか、少し広めに作られた駐車場に1台も停まっていないコンビニを通り過ぎて、またしばらく歩く。少し歩いたところに、目的地であるらしい古びたバス停に着いた。

 とっくの昔に廃線になったらしい、周りの全てに打ち捨てられたようなその場所で足を止めた瞬間に、唇が重ねられた。


 戸惑う僕なんて置いてけぼりで、暴力的なまでに口内を掻き回される。

 その熱を持った感触に、僕の中にも徐々に熱が芽生えていって。

 気付けば自然に、お互いの熱を貪り合っていた。まるで、周りの寒さをも熱源に変えてしまおうというように。

 誰かに存在を見せつけようとするように声を上げる彼女。そんな姿に僕の熱はますます高まっていって。何か違和感を感じて必死に頭を巡らせようとしても、気付けばただ目の前の彼女を貪るだけになっていて。

 それを繰り返しているうちに、考えることに――考えようとする徒労に疲れてきて。

 薄明りだけを頼りに、僕たちは交わり合った。

 錆付いていつ脚が折れてもおかしくないようなベンチがガタガタと立てる音も、衣擦れの音も、彼女の姿を見ることを妨げる闇でさえ、全てが僕の気持ちを高める材料にしかならなくて。


 それを、何度も繰り返した。

 頭が焼ききれそうになるまで、何かが違うと思いながらも、どこかで警鐘が聞こえているような気がしながらも、ただ本能が欲するままに、彼女の熱を存分に味わった。


 やがて、荒い息遣いの中でどちらからともなく終わりを迎えた後。

 ようやく落ち着いた呼吸の中、僕は辺りを見回した。

 古びたバス停には、数々の人がここを使っていたのだろう時代を偲ばせるものはもうないけれど、それはきっと僕にとってだけで。

 先に体を起こしていた卯月さんの視線は、どこかここではない場所を見ているような気がした。ここは彼女にとって、何か思い出の場所だったのかも知れない。訊くのもはばかられて、思わず黙って見つめていると、その視線に気付いてしまったのか、「あっ、何か気になった?」と苦笑交じりに僕を振り返った。

 その時間を、邪魔してしまったような気がして。


「ううん、別に。ただ、ここが卯月さんにとって大事な場所なのかな、って」

「いや? 大事な場所とはちょっと違うよ」


 何となく申し訳なさから小さくなってしまった呟き声は、思いがけないほどきっぱりと、即座に否定されてしまった。

 その言い方はとても穏やかだったけれど、どこか固かった。

 固くて、他の意見を絶対に許さないような響きを持っていた。

 まるでさっき――もう数時間も前の話だけれど、日が暮れる前の公園で散々なくらいに負の感情を僕にぶつけてきたときと似たが、今の彼女にはあった。

 卯月さん自身、自分の言い方に固さがあったことに気付いたのだろう。何かを誤魔化すように「えへへ」と笑ってから、ふっとまた遠い瞳になって。

「ここでね、わたしの好きだった人が、その好きな人と恋人同士になったの」

 はっきりと告げられたその言葉は。

 突き刺さるような鋭さをもって、きっと彼女自身をまた傷付けていた。

 

 好きだった人。

 それは、きっと数日前に聞いた彼女の過去に関係のある人物。その人との関係がうまくいかずに、結果として半分自暴自棄のようになった卯月さんが、彼女曰くなってしまったほどの人物。

 それほどまでの想いを、僕はたぶん持ったことがない。


 僕にも、耐え難い別れはあった。

 それでも、僕は僕のままだ。

 それを経験したことで変わることなんて、僕には何ひとつなかった。

 幣原しではらさんとの関係が断ち切られてしまったときでさえ、僕はどこか冷めていて。ただ呆然と立ち尽くして涙を流しながらも、もうその日出された課題のことを頭の片隅では考え始めていて。

 それに比べれば、彼女なんて全然違う。

 そこまで想われる相手なんて……。

 湧き上がる感情を堪えながら、僕はどこか遠くを見つめている彼女の瞳を見つめていた。きっと、その瞳は夜空の向こうで輝く星に、過去の幻燈を見出そうとしているのだと思いながら。


 前よりも確かに近付いているように感じても、厳然として立ちはだかっているものの存在を意識しながら。

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