第33話 風花は彼方から
「うぅ、頭痛ぇ……」
どこか遠くから小さな鳥の鳴き声が聞こえてくる朝。夜空が白んできた頃、
「あ、おはよう室谷。今からコーヒー淹れるんだけど、室谷も飲むか?」
せっかくだし、淹れる時に一緒に淹れてしまおう――そう思っての声掛けは、どこか怪訝そうな顔と「いや、いいや」という言葉で返されてしまった。僕はどうにか眠い目をこすりながら自分のコーヒーを淹れて、室谷にはペットボトルで買っていたミネラルウォーターを手渡した。
「おっ、サンキュー」
あ、今回は普通に受け取った。なにかが気になったけど、まぁいいということにしておこう。
ミネラルウォーターをごくごくと音を立てて嚥下している室谷を見ている僕も、コーヒーを思い切り音を立てて啜ってしまって少しだけ気恥ずかしくなってしまう。案の定「やっぱり猫舌ちゃんだな、
「つか、お前俺が寝てるとき何もしなかったろうな?」
「しないよ! 何で僕が室谷に……!」
「いや、そんなガチな反応すんなよ逆に怖いわ。あと大声出されると頭に響く」
「僕もだよ、もう……」
くぅ、何で僕が悪いみたいな目で見られてるんだ?
納得いかない部分も多少はあったけど、とりあえず2本目のミネラルウォーターを室谷に渡して、その姿を眺める。昨日立っていられないほど酔っ払っていたとは思えないくらいに室谷の様子はいつも通りで、代謝がいいのかな……とかそういうどうでもいいことが頭をよぎる一方で、少しだけ気になることがあった。
ゆうべ
もしかして、室谷も彼女から何か聞いていたりするのだろうか、と。
「なぁ、室谷」
「んぁ?」
声をかけると、眠たげな声が返ってくる。見ると、まるでここは自分の家だと言わんばかりにくつろいだ姿勢でソファに寝そべりながら荷物の確認をしている姿が目に入った。
まったく、昔から知ってるとはいえ
「ちょっと訊きたいんだけど、この辺でロケット見なかったか?」
「ロケット?」
「えっと、ほら、写真入れて首から提げたりするやつ」
「あぁそっちか……、そんなんあるよな。俺が使ってると思うか?」
「いや……。じゃあペンダントっぽい物とかは?」
「見てないなぁ~、てか前島使ってるのか? 意外だな……」
やっぱり恋すると人は変わるのか……と得心がいったような顔でうんうんと勘違いした頷きをしてから「でも気を付けた方がいいぞ、ほんとに」と昨夜と同じ話を始めそうになっている室谷に「いやいや、僕じゃないから」と短く告げて、話を打ち切った。
室谷はそれからまたちょっとアルコールの臭いが残る体をシャワーでしっかり綺麗にしてから、会社に向かって出て行った。
「そんじゃ、また飲もうな」
「今度は自力で帰れるようにしといてくれよ」
「え~、友達不孝なやつだなぁ前島は」
「絶対それは関係ないよな」
「期待してるぜ、前島くん!」
「話聞け~」
そんなやり取りをしながら室谷が出て行った後の部屋は、何だか少し広く感じて。冬の朝特有の冷たい空気に震えながら、黙々と朝支度を進めることにした。
昼休み、会社屋上の休憩スペース。
雲間から差し込む陽光は白くて頼りなく、夜から雪が降るという予報は当たるかも知れないな……と思いながら、卯月さんから来るメッセージに答え続ける。
そして何か用事が始まったのだろう、彼女からの返信が途切れた頃になって、疲れきった顔の
そのゾンビが僕のところに寄ってくるなり「あれっ」と呟き、にやけた顔を向けてきた。
「あれ~、昨日も飲んできたの? 元気だねぇ前島さん」
一瞬だけ茶化したような笑みを浮かべた後、「あれかな、一昨日言ってくれた悩み事?」と真顔で尋ねてきた。
「まぁな……」
「色々あるんだねぇ、前島さんも。悩み事って何だったの?」
「ロケットを探してるんだってさ……」
疲れてることもあって、思わず漏らしていた言葉に「ふぅん……」と頷く寺崎。
「へぇ~、ロケットとか着けてる人いるんだね。私の周りにはあんまいないからさぁ……。写真とかって大体スマホに保存しとくと思うんだけど」
まぁ、言われなくても僕だってそうだ。
というか、たぶん卯月さん自身もそういう風に写真の
きっと、何か他の理由があるのかも知れない。
それを知らないから、僕には何かを言い切ることなんてできないけど……。
「もしかして、何か一緒に別のものが入ってたりして?」
冗談めかして寺崎が言ったそんなことを笑い飛ばすには、昨夜見た卯月さんの瞳は、あまりにも真剣だったのをふと思い出して。
「さぁね……」
そんな曖昧な言葉を返すのが精一杯だった。
天気予報はやはり当たっていて、僕が帰る頃にはちらちらと雪が降り始めていた。まるで花びらみたいにふわふわと空を舞う雪はとても綺麗だったけれど、寒空の下ではそれを眺めている余裕なんてとてもなかった。
ようやく一息つけたのは、部屋のある安アパートから程近い自販機まで差し掛かったときだった。「あったか~い」表示が大半を占めるようになってきた自販機で、微糖の缶コーヒーを買う。
「ふぅ……」
出社中の朝みたいに特に急いだりしなくてもいい帰り道に飲む缶コーヒーの味をありがたく思えるようになったのはいつからだったろう。
身体中に染み渡る温度と鼻をくすぐる香りに気持ちを落ち着かせながら、吐き出した白い息の行き先を追って空を見上げる。真っ白な塊のようだった呼気は、街灯の白い明かりの中で徐々に解けていき、すぐに見えなくなってしまった。
卯月さんも、今頃はこの空を見ているのだろうか。
初恋の人について語るときの熱っぽい瞳を思い出して、胸を掻き毟りたくなるのを
その様を見送ってから、もう見えるくらいまでの距離にまで近づいたアパートに向けて帰ろうとしたときだった。
「あの~、すみません。ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど」
そう、暗くて冷たい夜空の下でもパッと明るく何かが灯るような明るさを持った声が後ろから聞こえて。振り返った先にいたのは、白やクリーム色を基調とした少し緩めの服装がよく似合う、柔らかい笑顔の女性だった。
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