第32話 衾雪の上で

「やっと決心がついたんだ」

 青白い月明かりに照らされながら、卯月うづきさんは僕の問いに答えてくれた。その強い瞳に、僕はもう何も言えない。

 僕らを繋ぎ止めているのが彼女のだっていうなら、それならそれでいいじゃないか。僕らはもう、それを探すための――それだけの共同体ということにしてしまえばいい。


 自分に言い聞かせながら、僕は彼女の言葉の続きを待つ。


「こういうやつを探してほしいの」

 彼女が胸元のポケットから出したのは、銀色のロケットだった。「一応わかりやすいようにおんなじの買ったから、これを探してくれたらいいんだけどね」と付け加える言葉を聞きながら、僕はどこか拍子抜けした気分でそれを見ていた。

 どうやらそれは彼女にもお見通しだったみたいで、「あっ、もしかしてどうしてこんな物を秘密の物っぽく扱ってたんだ、って思ってるでしょ」と指摘されてしまった。


 見たところ、何の変哲もないただのロケット。

 もちろんそれはロケットではないのだろう。盗まれてしまったものとは別物、ただの代用品なのだから。だから何てことのないものであるのは当たり前なんだけど、それにしても、僕の予想とはかけ離れていて驚いてしまった。

 僕が想像していたのは……。


『ねぇ、そこで何してるの?』


 ――公園で木の下を掘り返そうとしている僕を冷たい敵意に満ちた視線で見つめる卯月さんから連想するには、ロケットという答えはあまりにな代物だった。

「えっと、そのロケットって何か大切な物だったりするの?」

 そう尋ねることすら躊躇してしまう。

 前に何を探しているのか尋ねたときに見た彼女の顔は、戸惑って、困りきって、焦っていた。

 そんな彼女の顔を見るのはとても辛かったし、できたらそんな曇りは晴らしたいと思った。だけど、それと同時に、という信じられないことまで想ってしまうから。

 醜い自分を、映し出されてしまうような気がしたから。

 なるべくなら彼女に尋ねたくはない――そう思ってはいるのに、結局尋ねてしまったのは単に探し物の為なのか、また別の理由なのか。

 でも、そんな僕の迷いなんてまるで気付いていないかのように卯月さんは「うん」と頷いた。


「これは、風香ふうかちゃんからもらったやつなの」

 月明かりに揺れるその瞳は、どこか遠くを見つめているようだった。


 ――前に卯月さんの口から聞いた、彼女のお姉さん代わりみたいな人。まるで本当の姉妹のように仲良くしていた、彼女の初恋の相手だ。その想いが届かないことを悟って自暴自棄にまでなってしまえるくらいに、好きになった相手。

 そんな彼女から贈られたものだったら、確かに大事なものだ。それを誰かに取られてしまったのなら、僕もどうなるかわからない。もしかしたら必死に抵抗するだろうし、周り全部が疑わしくも見えたりするのだろう。

 公園で見せた彼女のあの目は、それを如実に物語っていた。


「大事な物なんだけど、あの日会ってた人に……取られそうになって」


 そこで少し瞳を伏せた卯月さんの真意を、敢えて探りたいとは思わなかった。

 きっと、何かがある。以外の事情もきっとある。それはわかっていたけれど、きっとそれは、彼女の口から聞けない限りは僕らには必要なことじゃないのかも知れない。

 それに、風香さんの名前を出したときのうれいを帯びた表情があまりに綺麗だったから、その顔を無粋な言葉で曇らせたくない――そんな気持ちに駆られてしまった。


「いつもお金ないお金ない、って言ってる人だったんだよね。だから私が持ってたを見て売ろうとか考えたんじゃないかな。なるべく隠してたつもりだったんだけどね。

 あの日、し終わった後で取られそうになってるのに気付いて、慌てて逃げてさ。昔からよくあの公園に物隠したりしてたから今回もそうしてたの……」


 伏せられた目に、焦燥の色が滲んでくるのが見える。

 風香さんから貰ったものという思い入れからなのか、それとも……?

 そのロケットに何かがある――そうは思っても、踏み込めない。探し物に協力するという形を越えて、ただ彼女のことを知りたいというだけになってしまっていることを、自分でもわかっているから。

 それを見透かされてしまったら、たぶんこの時間は終わりを告げてしまうから。

 そうしたら、また彼女は見つけてしまうのだろう。今の僕と同じような秘密の共有相手を。


 それこそ、いま僕の部屋でソファに横たわって寝ている室谷とか……?

 想像しただけで、喉の奥から熱い塊が込み上げてきそうだ。


「…………」

「えっと、光輝くん?」

 不安げに覗きこむ顔に「あ、何でもない」と答えたところで、卯月さんは「ふふっ」と笑って、「じゃ、帰るね」と玄関に向かって行った。

「えっ?」

 日付が変わってからだいぶ経つ時間に、卯月さんを1人で帰すのは躊躇われた。その間に何かあったら……。そう思う資格も僕にあるとは思えないけれど、思わず引き留めようとしたけれど。

「あんまり遅いと心配されちゃうし」

 その言葉は、僕の意図を明確に拒絶するもので。


「たぶん、近くまで迎えに来てはもらえるからさ。それまでどっかで適当に時間潰せるから心配しないで」

 思えば、荷物はすぐ持ち出せるようにまとめられていて。

 だから彼女には僕の部屋を出るための準備をする時間すら要らなくて。僕にできることといえば、「気をつけて帰ってね」と言葉をかけることくらいだった。



 静かな部屋では、ソファで眠っている室谷のいびきがよく聞こえる。

 いつの間にか夜空には雲がかかってきていて、時々台所に部屋に注ぎ込む月光すらも遮られてしまう。

 たぶん酔っているせいだろう。

 そんな夜空の下、ふと思ってしまった。


 卯月さんのロケットを奪った人を――彼女の持つ何かを共有している相手を――羨ましい、と。

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