第28話 灰色の降雨
「でさ、最近どうなの、
「えっと……、どうって何がかな、
居酒屋に入って十数分くらい経っただろうか。
お通しのあん肝はとりあえず完食して、数杯ほどお酒を飲んだ頃だろうか。僕と変わらないくらいの量しか飲んでいないはずの寺崎は、すっかり赤くなった顔を僕の鼻先に近付けて、そう尋ねてきた。
あぁ、寺崎ってせっかく美人なのになぁ。
もちろん口に出したら色々と問題があるから言わないけれど、たぶん今みたいに赤ら顔で、呼気もアルコールの匂いにまみれて、ちゃんと気を付けないと呂律も回らないというような状態でなかったら、この鼻先数cmの距離で見つめられた相手はきっと恋にでも落ちてしまうのではないだろうか、というくらいには美人だ。
もちろん酒癖の悪さとかそういうのを知っちゃっているから、僕は今更そういう風には思えないけど。
たぶん旦那さんも彼女のこういう一面を知らずに結婚を決めたに違いない。
ついそんなことを考えながら、店員が持ってきてくれたジンジャーハイボールに口をつける。
「ていうか、そろそろやめとけば……? だいぶ酔ってるだろ?」
「いーや、酔ってない! 意識保ってれば酔ってない! 平気平気~」
全然平気じゃない……。
普段「寺崎さんってクールビューティーって感じですよねぇ」と憧れの視線を向けている後輩社員たちに申し訳ないような気持ちになってくる。
ただ不思議なことに、目の前でさも幸せそうにウーロンハイをあおっている寺崎を前にしていると、僕ももっと飲みたくなってきて。財布と相談しながら……というのを頭に入れながらもついつい注文を追加していってしまう。
「すみませーん、日本酒お願いします」
「お、前島さんも飲むんだね。知らなかったよ~!」
「さっきから寺崎の前で結構飲んでる気がするけどな……」
「見てない見てない、いま初めて見たよ~?」
同期のホープで、もう少ししたら昇進するかも知れないっていうやつには見えない酔い方をしている寺崎をじっと見ながら、僕も運ばれてきた日本酒にチビチビと口をつける。体の奥から熱くなるような辛さが心地よくて、明らかに酔いが回ってきているのをわかっていてもつい止まらなくなってくる。
そんなことをして、数分後には僕もだいぶ酔っ払ってきているのがわかった。正直、話していても呂律が回らない。ちゃんと意識してしゃべればまだ原形を留めているけれど、ちょっと飲むペースを抑えたほうがいいかも知れない。
少しずつ飲むのに変えて、どうにか運ばれてくる料理だけで場を繋いでいると、いきなり寺崎が口を開いた。
「でさ、どうなの? 最近気になる子がいるって噂だよ?」
「はぁ?」
思わず口を突いて出たのはそんなすっとぼけた声だった。まずそんなことに首を突っ込んでくる寺崎にも驚いていたし、もちろんそんなことが噂話になっていることにも驚いている――噂ってことは、他にももっと……?
「うん、元同期会メンバーは大体知ってると思うし、あとは、うん。
不安げな顔で察してくれたようで、必要なかった情報を僕にしっかりと押し付けてくる寺崎。誰にも知られないように……なんて意識していたつもりはないけど、噂みたいに広まっているというのも何か嫌なものがある。
しかも、あの噂好きで有名な人に知られるとは……。
寺崎はというと、たぶん普段のクールな姿を保つために色々抑えてでもいるのだろう、ここぞとばかりに目をキラキラさせて「ねぇねぇ、前島さんのそーゆー話、全然聞かないし! どうなの!?」と好奇心丸出しなのを隠しもしないで訊き続けてくる。
その間にも、乾く喉に流し込むビール。
絶え間なく続く質問攻め。
きっと、僕の背中を押したのはそういうやつらに違いない。
「あぁ、いるよ。僕には好きな子がいる」
もう止まりそうになかった。
一旦口を開いたら、言葉がどんどん浮かび上がってきて。
「何かむしゃくしゃしてる時に初めて会って、それから何回か会って。そうしたら、何だか目が離せなくなって。気掛かりになって。いつの間にか彼女のことばっかり考えるようになって。そんな感じでズブズブはまっていった感じ。向こうがどうかは知らないけどな。しょうがないんだよ、もう。好きになってたんだから。こういうのは、自分じゃどうしようもないっていうか……何とでも言ってくれ、むしろ言ってくれないと恥ずかしい」
酔っ払った状態で話をガンガン促されるのも面倒だけど、黙って聞き続けられるのもなかなか辛い――特にこういう話では恥ずかしさばっかり募ってくるから、余計に。
「ふーん」
しかも、当の寺崎があまり興味なさそうなのが納得いかない……!
「いや、あるよあるよ~? もっと落ち着いて落ち着いて~」
皿の上で砂肝を串から抜きながら僕を宥める寺崎。見た感じかなり酔って見えるのに、けっこう器用だな……と関係のないところに思いを馳せながら、「いや、話し過ぎるところだったしいいけど」と返す。
「話し過ぎればいいのに」
「いやだよ」
「既婚者お姉さんに委ねてみんしゃい~、新しい世界開けるかもよ?」
「寺崎よりかはお兄さんだし、新しい世界にも興味はないぞ、僕は」
「でも、こういう場じゃないと話しにくいこともあるんじゃないの~? その子とのことで何か悩みとかないわけ? そういうんなら同期のよしみで聞くから」
面白がっているのか真面目に案じてくれているのかよくわからない口調と表情のように感じたのは、僕が酔っているからだろうか。
悩み。
その単語を耳にしたとき、咄嗟に浮かびかけた
「その子がさ、何かを探してるらしいんだ」
「ふんふん」
少しトーンを落としたからか、寺崎も少し落とし気味になって聞く態勢になってくれているような気がした。普段なら絶対ここまで自分のことを誰かに言ったりしないだろうなぁ――そんなことをどこか覚めた頭で思いながら、僕は言葉を続ける。
「だけど、人には言えないものらしくてさ。手伝ってって言った割に僕にも教えてくれない。後で後で、ってさ……」
「ふーん」
「どうしたら教えてくれるんだろうな。そうしたらもっと色々手伝えるし、それに……」
何だろう、何も言われていないのがもどかしいというか、酔っているせいか考えがまとまらないし、日頃感じているものがそのまま爆発しそうになってしまう。
相槌を打ちながら刺身御膳を食べていた寺崎が、「あー」と何かに納得したような声を上げて、箸をこちらに向けてきた。
「あれか。信用されてないみたいで嫌ってこと?」
「それだよ!」
寺崎の言葉は、驚くほどあっさりと僕の胸にしみてきて、思わず声が大きくなった。
「何ていうのかな、色々訊きもしないことを話してきたくせに、こっちが知りたいと思ったことは全然教えてくれないっていうか。そんなんでどうやって冷静でいろって言うんだよ。
だけど、色々あったっぽい子だし、それに今回何かワケアリっぽいし、あんまり深く突っ込んで鬱陶しがられても嫌だとか色々思っちゃってさ……」
言っているうちに、どんどん気が滅入ってくる。
結局僕は、怖がって逃げているだけじゃないか。
思わず涙までこぼれそうになったけど、ギリギリのところで
「きっとその子も、前島さんに言えるタイミングを探してるんだと思うよ。そこは急かさずに待っててあげたら? それは別に、前島さんが逃げてるとかそういうのとは違うと思うから」
先程まで憧れてくれている後輩たちに申し訳なさすら感じる酔い方をしていたとは思えないほど穏やかな調子で言う寺崎の姿は、悔しいことにさっき自称していたお姉さん然としていた。
「そっか……」
「うん、そうだと思うよ」
たぶん、寺崎にも色々なことがあったのだろうか。
だからこそ導き出されたのだろうその結論が胸にのしかかるのを感じながら、僕らの飲み会はもう少し続いた。
重苦しい雨が降り続ける夜空の下、街灯の無機質な明かりに温度を感じながら僕は帰路に着いた。
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