第三章

指名手配犯

 空になった酒瓶を蹴る。瓶が床を転がる際に立てた空虚な音は、部屋にどことなく涼やかさを感じさせる。

 

 エイブラハムから受け取った金は、使っても使ってもなくならない、という印象だ。

 テントではない、建造物の宿で三週間近くを過ごした。その中では安物な方だが、酒もだいたい毎日飲んでいる。飯ももちろん外食だ。『穏火塔トーチ』に飲食店は少なく、もう少しで制覇してしまいそうなくらいだ。

 もちろん、本来の稼業である魔道具ソーサリー・ツールの修理だって行ってはいる。だが、一日のうちに酒の抜けている時間なんてのは、微々たるものだ。その間にこなす仕事の収入だけでは、ここ最近の出費を賄いきれない。

 

 ちょっと酒を抜いて働くようにすれば、貯金もできてしまうのでは?

 こうなったら、どこぞの塔下町に根を下ろして、本格的に店を構えるのもありかもしれない。

 その為には、あいつに居つかれたままではいろいろと難しいよな……。

 

 腕を組んだまま、ソファに横たわっているセレン。

 こいつの背は順当に大きくなり、ついには俺にも届きそうなほどに高くなった。

 確かに、アリューを見ればセレンにも背が高くなる因子があるのは考えられないことでもないが、いくらなんでもこのペースでの成長速度には、違和感を感じずにはいられなかった。

 

 見かけ相応に中身も成長しているのか、振る舞いにもかなり落ち着きが見られ始めた。

 今なんかは、騒ぎ立てるどころか大人しく爪をやすっている。

 

「クレイグ、どうかした?」


「いいや、どうもしてない」


 セレンは、心配そうな目でこちらを見ている。

 変わっていないものもある。今したような、声色なんかがそうだ。

 そして、食欲だ。この三週間で赤字を出しているのは、こいつが俺の二倍、三倍と食うせい、というのが殆どだ。

 かといっていきなり外に放り出すわけにもいかないし……金には不自由ないというのに、八方塞がりというわけだ。

 

 

「お客さん、来てるよ」


「うーん……酔ってるし、日を改めて貰ってくれ」


「うん、わかった」


 セレンは相変わらず人並み外れた身体能力で、来客の接近を聞き分ける。

 だが、今は酒飲んでるしな。わざわざ足を運んでくれたのは悪いが、追い払わせてもらう他にない。

 

 体面上、ドアを開けて客を迎え入れるセレン。

 あれだけの量をタダ飯させるわけにもいかないので、とりあえず接客をさせているのだ。

 幸い、相手に敵意さえなければ愛想は悪い方ではないらしく、そういう意図がある輩は、汲み取ったセレンが追い払ってくれる。こういう一面を考えれば、こいつと組んで仕事を続けていく、っていうのもありかもしれないな。

 

……なんか、妙な奴が入ってきたな。

 ドアをくぐって入ってきた客は、ローブのフードを深く被り込んだ大小二人。


「どうぞ。そこに座って」


「かたじけない。ほら、座りなさいな」


「……」


 大人ローブにだけ会釈して、黙ったまま椅子に掛ける子供ローブ。

 セレンは、面倒な客でもとりあえず招き入れるだけ招き入れる。言動もおかしい様なら、やんわりと断固拒否を続けて押し帰らせるのがいつもの手法だ。

 半開きになったドアの間から応接間を眺めていたが、どうやらこいつらはいつもの変な客とは違うらしい。

 

「こいつの修理をお願いできますかな」

 

「ああっ! お爺さん、久しぶり!」


 大人ローブが机に置いたのは、棒が二つ付いた旗のような魔道具ソーサリー・ツール。俺の目にも見覚えがあるものだ。

 セレンはすぐに気が付いたらしく、大人ローブは自分のフードを外して顔を見せた。

 俺もここでようやく立ち上がり、ドアを全開にして応接間に立ち入る。

 

「いやあ、久しぶりですな。こんなものを被ってお邪魔して申し訳ありませんな」


「おっかねえな、学者殿……『雲裂塔クラウドブレイク』から追われる立場でもあるまいに」


「そのまさかですぞ」


 これは面倒な仕事の臭いがするぞ。

 そう思うと、がっくりと肩の力が抜けるのを感じた。

 こちとら、もう金は十分貰ってるんだ。やばい仕事なら、引き受けるつもりはないぞ。

 

「ほら、フードを外しなさい。この方は信頼のおける人物ですぞ」


「はい」


 子供ローブが躊躇いがちにフードを下ろす。肩にかかる程度の茶髪の間から覗く顔は、少年とも少女ともつかない、中性的な風貌だ。ローブから窺い知れる体格も線が細く、まるで性別の推測が立たない。さて、どっちだろうな? どっちでもいいが。


「そいつは?」


「検体十一。『雲裂塔クラウドブレイク』で研究されていた魔道具人形ソーサリー・ドールの一人、というところでしょうな」


「……そりゃあ狙われもするわな」


 無理をすることをクソ程にも思っていない人間だとは思っていたが、ここまでの命知らずだったとは。

 ここに来た理由はどうせ、護衛かなんかを頼みに来たんだろうな。

 だがそんな期間さえ知れない仕事を受けるなんてのは、馬鹿がやることだ。

 ただでさえ、前回の仕事にセレンの身元引受なんて面倒な事項をこっそり書き加えてた爺さんだ。次から警戒せざるを得なくなるのは、本人にも理解しておいて欲しいくらいの事柄だ。

 

「えっと、修理はする。後のことは、他を当たってくれ」


「いや、まだ何も言ってませんぞ」


「はあ。エイブラハムさん、嫌がられてますよ」


 検体十一とやらの察しは良く、呆れたようにため息を吐いている。

 しかし空気の読み方というものは心得ていないようで。そう直球に言われると気まずくなる、やめてくれ。

 

「別に今回も無期限での仕事を頼みたいわけではありませんぞ。今回は『千重塔サウザンド』跡地までの行程の護衛を頼みたいのですがな」


「まで、か。金はいくら出せる?」


「前金三十、報酬合計は九十ということで、どうですかな?」


「金額に不足はないが……そいつの同乗は任せていいか?」


「無論ですな。ここまで来たのも、前の石馬を用いてですからな」


「……、いいだろ。乗った」


「かたじけない」

 

 受けちまった。

 まあ、この報酬さえあれば店も開けるだろう、と前向きに考えることにする。


「ありがとうございます。本当に、助かります」


「わざわざお尋ね者になってまで塔を飛び出してきたのは、この子の達ての希望ですからな」


「ふーん、検体十一だったか? こいつが発端なのか。てっきり、学者殿が無理に連れ出したものかと」


「私もさすがにそこまでの無理はしませんぞ」

 

 しかし、検体十一か。呼び続けるにはさすがに煩わしい。

 

「で、そいつだが、検体十一以外に名前はないのか?」


「ありませんね。これ以外の名で呼ばれたことはありませんから」


「……せっかくですしな。クレイグ殿に命名をお願いしたいのですが」


「俺は姓名判断師じゃないんだが」


「これでどうですかな」


「いいだろ」


 エイブラハムが差し出したのは、雲裂塔紙幣が十。

 俺はそれをひったくるようにしてつかみ取ると、とりあえず無難そうな名前を考えることにした。

 んー。十一か。そうなると、問題になるのはだが……。

 我ながら適当な命名だ。自分に子供ができたときは、もうちょっと考えて名前を付けてやらないとな。

 

「イブとイヴァン。どっちがいい」


「どっちの方が僕に合うと思いますか」

 

 質問に質問で返すな。面倒な奴だな。

 こちらを上目遣いで見上げている、なんだか期待しているような眼差しの意味も気になる。

 まあ、塔で実験対象として過ごしていた経歴を考えれば、別に嫌悪感は沸かない。

 さて問題の名前だが。正直言って、こいつはどちらかといえば少女にしか見えない。

 

「じゃあイブだな。よろしくな」


「……はい、僕はイブですか。よろしくお願いします」


 言われてから落胆するなら、最初から自分から選んでくれ。

 目を逸らすようにして返事をするイブを見て、なんだかやりきれない感情を覚えるのであった。

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