青龍

 いや、人生ってのは何があっても諦めず続けてみるもんだな。

 まさか俺が、幻獣の姿を目の当たりにすることになろうとは。

 目の前に横たわる巨大な蛇のような幻獣、青龍。とぐろを巻いてなお構造物のような巨体に、俺は思わず舌を巻いていた。


 だが、いつまでも驚いてはいられない。

 どうせ、その青龍の上に座り込んでいるあの女が、セレンの妹のうちの誰かなのだろう。

 背丈はセレン自身よりも高いが、次女であるアリューの例を経験していた俺にとっては、驚くべき要素でも何でもなかった。


 女の様子は、一言で表せば、異常。

 青龍の体にびっしりと敷き詰められている鱗を、一枚一枚剥がしている。

 普通の人間からすれば、目にすることも敵わない幻獣と相対すれば、委縮してしまう他ないだろう。


 だがこの女は委縮どころか、その幻獣にむしろ危害を加えているとすら言える。

 セレン……お前の妹、碌なのがいないな。


「シア! 何やってるの!」


「あ。懐かしい気配がすると思えば。姉さんだったのね」


 シアと呼ばれた女は、鱗を抜き取る手を止めてこちらに振り向く。

 暗闇のような黒髪に、やや青みを帯びている彼女がセレンやアリューの姉妹だと言われると、些か疑いを感じてしまう。

 だがまあ、彼女自身が自称しているのだ。疑う余地はないのだろう。


 彼女がもう一方の手にしている袋は、パンパンに膨らんでいた。おそらく、今まで青龍から抜き取った鱗が入っているのだろう。

 鱗を剥ぐという行為。人間に例えてみれば、生皮や爪を剥がされるようなものに近いだろう。

 それを表情一つ変えることなく行っているという事態に、俺は少々憤りを感じ始める。


「動物をいじめちゃいけないって、私教えなくてもわかってると思ってたのに、何やってるの!」


「え? 姉さんは虫とかいつも嬉しそうに叩き潰してたじゃない」


「うっ!」


 何をやっているんだ。

 姉だとはいえ、説得力をまるで持たないのであれば差し置いても問題ないだろう。俺は直接、目的を訪ねることにした。


「青龍の鱗を集めて、何を考えている? そりゃ、幻獣由来の素材だ。用途は山ほどあるだろうが」


「私は知らないわ」


「は?」


 シアは悪びれずに答える。

 理由も知らずに、動物を、幻獣を傷付けているとでもいうのか?

 この地に生きるものとして、魔力を生み出し続けてくれる幻獣の恩恵を一片たりとも受けたことがない、ということはありえないだろう。


 だというのにその幻獣に対するこの仕打ち。


「体が勝手に動いてしまうから。別に私自身は鱗なんて剥がしたくないのだけどね。あ、私の行動」


 再び振り返り、鱗剝ぎを再開するシア。

 表情のないその顔が紡ぐ言葉は、果たして真意なのだろうか。

 鱗が剝がれるたびに、周囲に漂う魔力に緊張が走る気がするのは俺だけだろうか。


「やりたくないんだったら今すぐやめなさい!」


 痺れを切らしたのか、もともと吊り上がり気味の目をさらに吊り上がらせてシアに近づくセレン。

 しかし、突如巨大化したシアの『蕾』……いや、花弁というべきだろうか。四枚の先端を尖らせた花弁が、セレンに襲い掛かる。


 思わず空気弾の杖を構えそうになる。しかし、ここは水の魔力が漂う地、メガロアクアだ。

 粘着弾の瓶を取り出して、花弁の進路を塞ぐ。


 花弁は着弾する寸前でぴたりと止まる。十分だ。セレンの身に達しなければそれでいい。

 鋭利な花弁の先端を向けられたことで、身じろぎしたのかセレンの足は止まる。


「やめて。勝手に動く体は、あなたと言えども反撃しちゃうの。水の魔力の環境下では、あなたに勝ち目はないわ」


「だからって見過ごすことはできないよ!」


「あっ、こら」


「え、ありゃ?」


 セレンは拳を握りしめて気合を入れると、背中に手を伸ばす。

 案の定、スズラン爆弾を取り出そうとしたのだろう。

 しかし、あいつの手に握られていたのは、ぼろぼろの花びらみたいな物体だった。


「あれでは仕様がないですな」


 エイブラハムがセレンに駆け寄り、その体を抱えて俺の方へ連れてくる。

 助かる。おそらく、あの辺りはシアが伸ばしてくる花弁の射程範囲だ。

 セレンとの合流ついでに、空気弾をお見舞いしてやる。風の魔力さえあれば、空気弾の杖は機能を取り戻すのだ。


 だが、全て花弁に打ち返されてしまう。

 恐ろしく機敏なものだ。空気弾はかなりの速度で射出されているというのに、一発たりとも本体に命中しないとは。


「……うっ!?」


 突如、シアがうめき声を上げる。

 彼女の斜め上、樹上の方から射撃されたのだ。ボルトはシアの頭を掠め、彼女に若干のよろめきを与える。

 表情からは窺えないが、あちこちに伸ばされては引っ込む花弁が彼女の焦りを示しているようだ。


 アンヘリカだ。

 俺はこのボルトに見覚えがあった。

 いくらも苦汁を味わせられたこのボルトが、今となっては非常に頼もしく感じられた。


「引くぞ」


「どうして!? このままあの幻獣を見捨てろっていうの!?」


「いいや。勝算があるから引くんだ」


 シアとかいう女、俺が放った空気弾は全て迎撃して見せた癖に、それ以上に速度の遅いボルトによる被弾を許していた。


 ここに付け入ることができる魔道具の存在を、俺は思い出していた。

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