甲袖一触

「こら、焦るな。お前こないだ派手に転んでんの忘れてるだろ」


「大丈夫、気を付けてるから!」


「こっち向かなくていいから、前見て歩け」


 ソラリスを背負ったセレンは、足を止めずに顔だけを向けて返事をする。セレンが前を見てないうちに、ソラリスの頭上ぎりぎりのところを枝が掠めた。

 せめて妹を背負ってるなら、もう少しくらいは気を遣ってやれ。

 

「妹殿が近づいているのは感じていたんですかな?」


「そうだね。森の中は靄がかかってるみたいで全然ダメなんだけど、外のことならなんとなく感じ取れるよ」


「へえ、便利なもんだ」


 ソラリスのためにメガロアクア境界の森で待ち構えていたセレン。

 なぜ、水の魔力を活用し辛いらしいセレンがソラリスの接近を感知できたのか。

 彼女の言葉から察するに、感知範囲自体は広いが、水の魔力が漂う場所は除外されてしまう、といったところなのだろうか。

 そこに疑問を持っていたのは俺だけじゃなかったらしい。アンヘリカは吞気に感心している。

 

「……うっ。この辺り、すごく臭い」


「おかしいな、ちゃんと捕まっててね」


「ということは、そろそろ青龍が見えてくるころですかな」


「そういやセレン、お前は臭いを感じたりはしないのか?」


「ううん、それはこの子だけ」


 姉妹でも個体差があるんだな。

 確かに、こいつが不快な臭いを感じてたら騒がしくて仕方がなかっただろう。親が誰かは知らんが、うまいこと与える力を割り振るもんだ。

 だとすれば、シアにも何かそういう能力があるのだろうか?

 想像はし辛いが、音で聞き分けるとか。

 

 枝葉の隙間からシアの横顔がのぞいたのが目に入り、俺はなんとなく想像力を働かせる。

 だが彼女の『蕾』が花弁の槍を伸ばした臨戦態勢であることに気付くと、その場の全員に合図を出して駆け出す。

 

「! 走るぞ」

 

「青龍も散々だな」 

 

 アンヘリカは弩ではなく、拳くらいの大きさの刃が着いた手斧を握る。さすがに装填の遅い弩で護衛は務まらない。至極当然な武器の選択だと思う。


 俺はアンヘリカより若干先行すると、シアの槍先に刺さっている物を確認する。金属でできた亀の甲羅に覆われた人型の物体。十中八九、魔道具人形ソーサリー・ドールの一種だろう。

 カタカタと音を立てながら、己の身体を貫く槍を触ったのを最後に、動かなくなる。

 

 辺りを見渡してみれば、胴体を貫かれ、風穴を晒している同種の魔道具人形ソーサリー・ドールがそこらに打ち捨てられていた。

 どうやら、さっきの魔道具人形ソーサリー・ドールで最後だったらしい。

 

「セレン姉さん、おろして」

 

「ダメ、一緒に行くよ」

 

 シアを目前に、ソラリスはわたわたとセレンの背中で暴れ出す。しかしセレンは脇でしっかりとソラリスの足を捕まえており、徒労に終わる。

 

「ソラリス、久しぶりね。最近はいいことが続くわ。セレン姉さんに会えたと思ったら、あなたとも会えるなんて」

 

「輪の反応が消えたと聞いた時は、本当に心配しました。無事……では無さそうですね。こんな鈍亀に後れを取るなんて、操られていたときの方が槍捌きは上手かったんじゃないですか?」


「そうかもね」 

 

 セレンに対する態度から打って変わって、急に調子を取り戻したソラリスは、シアの操る花弁の槍の数が少ないことに気付いたのだろう。無事を確認しかけて言葉を改める。

 もちろん、それが俺達の仕業であることは伏せておきつつ、ソラリスに疑問を投げかける。

 

「この鈍亀とやらは一体何だ?」

 

「私の代わりよ。うーんと……」シアは花弁の槍を使い、鈍亀と呼ばれた魔道具人形ソーサリー・ドールを手元に手繰り寄せる。

 

「姉さんの知識では説明がつかないでしょう。私が説明します」 

 

 ソラリスはシアの方に片手を伸ばす。それを見てシアは鈍亀を投げて寄越そうとしたが、思い留まってゆっくりと目の前に下ろす。 

 

「これは……うちで作業用に使われている魔道具人形ソーサリー・ドールですぞ。なるほど、鈍亀とはピッタリの呼称ですな」

 

 ソラリスの説明を待たず横たわった鈍亀の横に屈み込むエイブラハム。

 それを見つめるソラリスは言葉を失っているようだ。目には敵意すら感じられる。

 

「ご心配無用ですぞ。私は魔道具ソーサリー・ツール畑の人間ではありませんからな」


「ちょっと胡散臭いかも知れないけど、そのお爺さんは大丈夫だよ。安心して」


「そうなの?」


 セレンに諭され敵意は幾分か和らいだものの、エイブラハムへの疑念を捨てきれずにいるソラリス。

 しかし、姉に対する態度がここまで違う奴も珍しい。俺の兄弟でも、俺とダリル兄さんとでは妹であるアネットの態度にも差があったが、度合いがまるで違う。

 

「おほん、では改めて。私の姉であるシアを操って、青龍の鱗を剥がさせていたのは『雲裂塔クラウドブレイク』の者達です」


「彼らの塔の近くでぼんやりしていたら、捕まえられてしまったわ。あそこ、『雲裂塔クラウドブレイク』っていうのね」

 

 シアの『蕾』に洗脳器具となる輪を取り付けたのは、『雲裂塔クラウドブレイク』の勢力。

 それなら鈍亀を指して、うちのと言い表したエイブラハムを警戒したこと。

 『蕾』による強大な力を持ちながら、容易く捕まってしまったことにも合点がいった。

 『雲裂塔クラウドブレイク』はメガロイグナのほぼ中心にある。シアが力を発揮しきれないのは明白だった。

 今更そのことを知ったのかと言わんばかりの視線をシアに向けつつ、ソラリスは話を続ける。


「私がそのことを知ったのは、もう姉さんがこの辺りに入り込んでしまった後でした。仕方がないので、『雲裂塔クラウドブレイク』で情報収集をしていました」


「お前がか? どうやって」


「壁に張り付いて、中の音を聞いていました」


「ええ……」


 さすがにそれは、人外度合いが極まり過ぎてるだろ。質問したアンヘリカも開いた口を手で塞ぐ始末だ。

 こいつらの様な『蕾』を持った魔道具人形ソーサリー・ドールを調査するような連中のことだ。そういった設備は、往々にして塔の上層部に位置していることが多い。

 つまりこいつはそこまで外壁を這い上がって行ったということになるが……。

 どれだけ力を見せつけられていようとも、にわかには信じがたい話だ。

 

「ともあれ、無事に姉さんと合流できて助かりました。それではセレン姉さん、また会う日があれば」


「元気でね。少なくともこの辺を出るまでは、シアとはぐれないようにね」


 あ?

 ソラリスが切り出した別れの言葉に頷くシア。セレンはそれに手を振って応える。

 この光景からは、強い違和感が襲い掛かってきた。

 セレンなら、引き留めて連れて行こうとすると考えていたからだ。


「いや、え? なんでそんなあっさり」


「全員ではないとはいえ、せっかく再会できたというのに、もう別れてしまうんですかな」


「仕方ないよ。私達は、一緒にいたらまずいの」


 こいつらのやり取りを見て違和感を覚えていたのは、俺だけではなかったようだ。

 エイブラハムも心底意外だという様子で、背負っていたソラリスをシアに預けて戻ってきたセレンに問い掛ける。

 

 その説明は任せた、とでも言うように二人そろって遠ざかっていくセレンの妹達。

 彼女らの背中を尻目に、セレンは口を開いた。

 

「私とアリューの二人と、あの子たちは全然違うでしょ?」


「そうだな。髪色とか真逆だし」


 親の片方でも違うのだろうか、とは聞かない。

 もしかしたら、こいつだってアリューの様に地雷を抱えているのかもしれない。誰が好き好んで他人の複雑そうな家庭事情に踏み込むような真似をするか。

 

「その内のどちらか一人ずつ、例えば私とシアみたいな組み合わせが『うち』に揃ったら、多分殺されちゃうの」

 

「『うち』だと。お前は故郷から、『千重塔サウザンド』から追われているのか?」


「故郷の人達にってことならそうだけど……クレイグ達が時々言うそのサウザンドって、一体何なの?」

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