鬼人の里 の、門前
マスクの調子は良好だ。メガロアクアの境目に立ち入った時から感じていた、酸欠に近い息苦しさを遮断してくれている。
しかし、着け心地は最悪という他にない。こういったものの工作はいつまで経っても慣れないままだ。裁縫を覚えさせようとしてくる母親を邪険にせず、素直に教えてもらうべきだったかもしれない。
まあ、今後悔しても仕方がないことだが。
メガロアクアに含まれる鬼人の里だが、その位置はメガロイグナとの地境に程近い。
この地特有の毒に耐性を持つ鬼人達でも、奥地の高い濃度の環境下では活動し辛いらしい。他にも狩猟成果の販売ルートの都合など、その辺りを拠点としている理由はいくらでも挙げられる。
里の門前でアンヘリカを待つ間、俺はマスクを巻き直して少しでも着け心地の改善を図る。
何度か巻き直しているうちに落としどころを見つけたので、セレンの方も巻き直してやることにする。
「おい」
「なあに、神妙な顔して」
「お前……マスクは?」
「あ。どこいったんだろ?」
空を見上げて、鳥を眺めていたセレンが振り向く。当然のように、口元にマスクは着いていない。
なんでそう自然に落し物ができるんだ。エイブラハムもまさに今気付いたと言わんばかりに、煙みたいな髪とマスクの隙間から覗く目を見開いている。
「……体調に違和感は?」
「ないよ」
ああ、そうだった……また『蕾』か。
これには何度も驚かさせられているというのに、ついうっかり考慮を忘れてしまう。
どうせ、メガロイグナにいた時と同じように、水の魔力を無害な風の魔力に変換でもしているのだろう。簡単に想像がついたが、念のため観測器を取り出す。
せっかくなら、もっと広範囲を変換してくれてればよかったんだがな。
風の魔力が確認できたのはせいぜい彼女から半径二メートル程度。他人の周囲までカバーするには少々狭い範囲だ。『蕾』と言えども、火の魔力よりは活用しづらいのだろう。まあ、一息つくには十分か。
アンヘリカと、彼女とは対照的に、白い直角を頭に生やした男がこちらに近づいてくる。門の外まで出てきた男の背は規格外に高く、俺より頭一つ大きいエイブラハムですら見上げるほどだ。
「こいつらが、用も確かめずに、姉御が連れてきた連中か」
「しつこいな。あいつの消息を何としても突き止めたいのはお前も同じだろうが」
「お前がクレイグ。おっさんがエイブラハム。子供がセレン。間違いないな?」
男は砂岩のような顔に一片の表情も浮かべていない。アンヘリカから聞いていたのだろう、俺達の名前をぶっきらぼうな口調で確認する。
「ああ、その通りだ」
「……」
しかし、それからというものの、男の口はパクパクとするだけで言葉が続かない。
それを怪訝に思っていたのが顔に出たのか、アンヘリカが視線を男に向けながら訳を話す。
「こいつは持病のせいで、言葉が出にくいんだ」
「聞いたことのない症状だな」
「最近、濃い毒を吸ってしまってな。医者が言うには、それから脳のどっかが麻痺ったままらしい。代わりに私が紹介しよう、こいつはサンダリオ。族長の息子だ」
「よろしく頼む……で、要件を伝えていなかったな」
「要件次第ではここで帰ってもらうぞ」
びっくりした。思わず冷や汗が頬を伝う。
サンダリオは急にどすを効かせた声を発した。もちろんそれだけでこんなに驚くなんてことはない。
こいつの目だ。眉間に力が込もり過ぎ、皺を通り越して肉が盛り上がっている。怒り狂った水牛でもこんな顔はしないぞ。
「こら、いきなり流暢に話し出すと驚かせてしまうだろ」
「ええっと、護衛の人手を探しているんだ。できれば、あてにできそうな人物を紹介していただきたい」
アンヘリカの反応を見るに、どうやらビビってのことだとは思われてはいなかったらしい。
装えているか不安だったのだが、すっかり平静を取り戻した体で要件を述べる。
「ん……」
「ああ……今は、難しい」
「何か問題でもあるのか」
鬼人二人の返答は芳しくない。しかし、取りつく島はある。当初予想していたような拒絶的な反応でなかっただけずっとマシだと言える。
問題があるなら、その解決が対価の代わりになるかもしれない。
それが俺にどうにかできるものであればという大前提はあるが、とりあえず聞いてみないことには始まらない。
「奥地からの毒が濃くなっていてな。引っ越しの準備をしているんだ」
「引っ越し? まさか、里ごと場所を移すつもりなのか?」
「それ以外あるか。まあ、その仕事を受けられそうなのは引っ越しの後だな。予定では十日くらいだ。私は旅に出た所だったが、せっかく戻ってきたのだし作業を手伝っていくつもりだ。その間に条件をしっかり考えといてくれ」
「そうさせて貰おう。では、また十日後ここに来る」
「ああ。またな」
うーん、報酬か。パトリックの話もその足しになればいいんだが。
鬼人達に別れを告げ、石馬を係留していた地点を目指し、俺達は歩き出した。
「なんだかあっさりと約束を取り付けられましたな」
「そうだな……なんだか拍子抜けした気分だ」
焦森林に負けないくらい鬱蒼としたメガロアクアの森の中は、石馬の隠し場所には困らないが、その場所を記憶しておける目印となるものが乏しい。
その為、森に侵入するに先んじて、メガロイグナ・メガロアクア間の地境にあたる場所を係留地点にしていた。
予想していたよりずっと感じた手応えについてエイブラハムと話していたのは、その道中だ。
十日待つ程度で護衛を引き受けてもらえるなら、好都合という他にない。
そもそも、師匠が他人と会い始める焦熱期までは、まだ一か月程度空きがあるのだ。
『
約束までの間は暇になるが、まあ近場の塔下町で久しぶりに本業である
「へばぁ!」
変な声が聞こえた。後ろを見ると、セレンが足元の植物に足を取られ、正面から倒れこんでいる。
植物を睨み付けているセレンを、おもむろに近付いたエイブラハムが手を取って起こしてやる。
「いったぁ~~、なんでこんなとこに生えてるの? 引っこ抜くよ?」
「草は悪くない。ちゃんと足元見て歩けよ」
こいつ、なんだか銃弾に撃たれた時より痛がってるような……。
火の魔力に比べたら扱いづらい水の魔力を変換していることが、セレンの身体能力にも影響をきたしているのだろうか。
とはいえ、それでも人間よりは高い部類に入るだろうに、その上で転んでしまう体たらく。もしこいつに『蕾』が着いてなかったら、とんでもなくどんくさいんだろうな。
「……!」
転んだついでに何かを感じ取ったのか、急に痛みを忘れたように真顔に戻るセレン。
くるりと里側へ踵を返して一歩、また一歩と踏み出す。
「シア!」
叫んだと思ったら走り出して行きやがった!
俺とエイブラハムは目を一瞬合わせると、すぐにセレンを追いかける。
幸い、転ぶ程度には身体能力が下がったおかげで、見失うことはなく追随できている。
お前、一体どこに行くつもりだ。
あんまり世話を焼かせないでくれ……。
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