雌伏

「……はあ」


「どうかした?」


 洞窟の中に築かれた廃屋で目を覚ましてから、ほぼ丸一日が過ぎた。腕の痛みにも随分慣れたらしく、とりあえず派手に動かしさえしなければ違和感すら覚えないほどだ。

 そんなこともあって、俺の体は他の事に気を回す余裕が生まれてきたらしい。

 

「……腹減った」


「あ、そっか。そういえば、普通なら動物は食事するのだっけ」


 意識を失っていた期間を考えれば三日近く何も口にしていないことになるんだろうか。急に悲鳴を上げ始めた胃を抑えたくなる。

 

「困ったわね。ソラリスにも食事だけは用意したことがなかったから、やり方がわからないわ」


「カバンの中になんかあるはずだ。二度焼きのパンとか」


「用意がいいのね。これかしら」


 首を真横に傾げて、わざとらしくうーんだとか唸っていたシアは、俺が枕にしていたカバンを抜き取る。その代わりとばかりに自分の膝を差し込むと、カバンの中を漁る。

 普段なら驚いていただろう行為なのだが、何の躊躇いもなく行われたことで、いちいち気に掛けるのもなんだか馬鹿らしくなってきてしまう。

 

「その手じゃ無理よね、はい、どうぞ」


「ああ、助かる」


 シアが口元まで近づけてくれたパンを齧る。固いが、腹が減っている時だけはこんな物でも美味く感じられるものだ。

 こういった形で、腕の完治までシアに世話を焼かれ続ける日々が始まったのだった。

 

 

 

―――




 この生活を始めて五日目。

 胡坐をかいてボケッとしている傍ら、腕の調子を確かめる。

 まだ肘を曲げられもしないような状態だが、初日と比較して明らかに改善が感じられる。

 

 まず、腕に力を込めてみると、その手応えが確かにあること。炭化していたというシアの話からしてみれば、奇跡みたいな回復だ。

 そして、指先だ。もともとはねじ切った粘土のような形状だったのが、徐々に指の形を取り始めているのだ。動かせるようになる日も近い、と思いたいところだ。

 

 廃屋の半分破れたドアが開く。金具が歪んでいるのか、歯軋りを酷くしたような音が耳に痛い。最寄りの塔へ買い物に行っていたシアが帰ってきたのだ。

 

「おう、お帰り」


「ただいま。はあ、疲れたわ」


「なんだ、『蕾』があっても疲れるのか」


「これはね。姉さん達やソラリスに着いてるのと違って、あんまり体に魔力が流れてこない物だから」


「あー、そういう……」

 

 腕にぶら下げた買い物袋を重そうに降ろすと、汗をかいた気配が何一つ見受けられないにも関わらず、腕で額を拭う仕草を見せる。

 

「ん? なんだそれ、果物か?」


「干したマンゴーですって。お野菜を買ったらおまけしてくれたわ」


「またか」


 カバンに入れていた非常食の量はたかが知れたもので、一昨日には底を尽きてしまった。

 幸いだったのは、そのカバンに財産の半分を突っ込んでいたことだ。その中にはこの辺りで利用しやすい貨幣も含まれており、それをシアに預けて食材の買い出しを任せていた。

 その度に彼女は、こうやって何かしらサービスを受け取って帰ってくるのだ。

 

 まあ、そうしたくなる気持ちはわからなくもない。

 髪の色こそ違えど、シアはセレンの妹だ。メガロイグナで火人種に囲まれて暮らしているだけでは、見かけることすらないくらいに白い肌の持ち主だ。それは大体の火人種が持つ美的感覚には当てはまらないどころか、若干逸脱気味なものではある。だが、それだけに神秘的な美しさを感じさせられるのだろう。

 

 時には、移動の準備をしていた塔内の名字持ちに声を掛けられることもあったらしい。

 だが未だに『雲裂塔クラウドブレイク』に行動を強要されたことが尾を引いているのか、そういった連中についていく気はまるでないようだ。

 

「早速料理しましょうか。今日は何を作るのかしら」


「ああ、昨日と変わらない。スープ煮込んで肉を焼くだけだ」

 

 食材は豆類や青菜など野菜が中心で、牛肉などが少し。

 本当ならヤギを一頭買うなどすれば、それだけで十日くらいは食つなぐことができる。だが、それをシアに提案したところ、生きている動物の解体をするのは気が引ける、ということだったので取りやめた。

 特に食事を必要としない彼女に無理強いをするのは、こちらこそ気が引けるというものだ。

 

 人と一緒に生活するのは久しぶりだが、なんだかんだ悪いものじゃないな。

 とまで考えて、そういえばつい最近までセレンを側に置いていたことを思い出す。

 だがあいつとは、あまり一緒に暮らしている実感はなかった。


 そもそも部屋が多い宿を取っていたので、基本居を分けていたこともあるが、あいつは双陽が出ていてくそ暑い時であろうが構わずに、度々外へ繰り出していたのだ。食事以外では口を利かない日も多かった気がするくらいには、一緒に過ごすことは少なかった。

 今のように、一方の協力が要るような状況にならなかったからかも知れないが……。

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