夜の訪れ
アルビジアの中枢機能は、太陽の消滅を確認した後、踝から下に移されていた。
使命を果たした不安定な肉体はそれを切り離すと、解き放たれるように蒸発していった。
残った足は次第に輪郭があやふやになり、腕が生え、足が生え……変化が止まった時には、元々のアルビジア、……いや、ソラリスがさっきまで抱いてた人形同然の姿になった。
大きさは、出会った当時の半分ぐらいというところだろうか。横たわったまま、動こうとする様子はない。
「ひゅー、……ひゅー」
「……」
エルゼの作った
明らかに疲労を感じさせる表情ではあった。しかし、それは太陽を壊す、なんて一仕事を終えた後とは思えない程度のものだった。
しかし、エルゼが作っていない者達はそうでもなかった。
「呆れた。そうなるのがわかってたなら、死ぬのも怖くはないわよね。むしろ、トドメを刺して貰えたなら万々歳ってね」
「……言ったはず、ひゅー、好きにしろと。あなたの、気が済むように、扱えばいいと」
地面に臥せつつ、まさに命からがら、といった体で言葉を紡ぐヴィンデリーネ。
その身なりは、エルゼに切り裂かれてすぐよりも無惨極まりない。
花という花が、根こそぎ体から剥がれ落ちていた。
「まあ、そうよね。麒麟の角ですらまるで安定しないのだから、そこらの幻獣ごちゃまぜにしたものになんのリスクもないわけなんて、ないわよね。……少し考えたらわかったはずなのに、なんで気が付かなかったのかしら」
ヴィンデリーネの元に、一本の管が伸びる。
「だめ……」
震える足でセレンが立ち上がろうとする前に、その肩を掴んで立ち上がったのはイヴだった。
イヴの首は重力に従ってだらりと下がり、白目を剥いていた。己の意識があって動いているとは到底思えず、何かに動かされているようだった。
少ししてようやく瞳が見えるようになったと思うと、焦点が定まらずあちらこちらへとぐるぐる回す。
回っている瞳が、だんだん赤く変化していることに気付く。
完全に赤色といえる色まで染まると、起こされた頭についた瞳はヴィンデリーネを見据えた。
「その子、どうするおつもりですの。お母さま」
「……ああ、アリューか。放っておくわけにはいかないでしょ。手は尽くそうと思うけど、それでも無理なら……、このままにするよりはいいでしょ」
管はあらゆる角度からゆっくりと、念入りにヴィンデリーネの状態を窺う。
そう時間がかからないうちに、何らかの決心がついたのか、管の先端から刃物が突き出る。
刃がヴィンデリーネを貫く前に、イヴ……の体を乗っ取ったアリューが管を握った。
「その前に、症状を聞かせてもらえませんこと?」
「全部の原動機がもうダメ、機能してない。息があるのが不思議なぐらい」
「頑丈さは十分そうですわね。それ、借りますわよ」
アリューは己の背中に管の刃を突き立てた。
肉に傷はついていない。『蕾』を半分ほど切り離しただけだった。
「意外ね、よりによって貴女がそんなことをするなんて。しばらく会わないうちに、結構変わった?」
「わたくしがお姉さまの為に何かをすることは、そんなに意外ですの?」
「前言撤回。貴女は私のよく知るアリューね」
管の刃は既に引っ込められており、アリューは己の『蕾』の半分を掴ませる。
すかさずエルゼは管を奔らせ、ヴィンデリーネをうつ伏せになるよう転がし、『蕾』の据え付けに取り掛かった。
「アリュー、どうして」
「この子の体、すごく魔力効率がよくって。半分でも、十分維持できるかなと思いまして」
「はぐらかさないで」
「お姉さまならどうします? 貴女にも同じことができるとするならば」
「それは……」
「まあ、そういうことです」
「……そっか、そうなんだね」
セレンは膝で立ち上がっていた体を再び投げ出し、力なく笑った。
俺はそれを見て、なぜだか清々しささえ覚えた。
―――
人々が人生初の夜を経験してから、いくらかの時が過ぎたころ。
既に、塔は高さを伸ばさなくなっていた。
「さ、入って。クレイグ! お客さんだよ!」
「こちらに座ってください」
「かたじけない」
太陽の熱に慣れた地上の人間にとって、夜の冷たさは少しばかり身に染みた。
調理用の
暖房用
手紙を書いていたセレンは筆を置き、ソラリスと共に客を応接間に通す。
今日の客もフードを被っていた。夜間は結構冷えるので、こんな時分に訪れる客は大体着込んでやってくる。
だから今の俺は、最早その出で立ちを疑うこともなかった。
「いらっしゃ……修理以外のことはしねえからな」
「ほっほ! 嫌われたものですな。こいつの修理をお願いできますかな」
「あんたの金で開いた店だ、断りはしないよ……修理はな」
客は俺の顔を見た瞬間フードを外すと、満面の髭面で笑いながら万年筆の束を机の上に置いた。
「あら、エイブラハムさん、お久しぶりね。また髭を生やしたの」
彼女は手が俺以上に器用だったので、売り物の組み立てを任せていた。
おかげで俺は原動機の製作と、こうした持ち込み
ちなみに、彼女によく似たソラリスにもやらせてみたことがあるが、どうしようもなかった。
「全部、原動機が焼き切れてる。何やったらここまで万年筆を酷使するんだよ」
「この間の体験を文字に書き起こしていますとな、いくら書いても足らんのですわい」
「まあ、それもそうか」
エイブラハムはモーリスの後ろ盾のもと、論文を作り続けていた。
俺も頼めば読むことができるだろうが、一度もそんな気にはなれなかった。
それもそのはず、以前エイブラハムの書斎に行ったとき、目にしたあの紙の山を見てしまえば……あれは人間が読むために書いたものなのかと、不安になってしまったぐらいだ。
しかし、仮に俺に書かせたとしても、同じぐらい……いや、あの十分の一ぐらいは書くことがあるのではないかとも感じていた。
あの場にいたのは数時間程度に過ぎなかったが、次元の違いをこれでもかと見せつけられたのだから……。
「よし、できた!」
「いっつも姉さんのは長いですね。封を閉じるので貸してください」
「うん」
「どれどれ」
「あっこら! 勝手に読まない!」
追うセレンの手から逃げ回るソラリス。身体能力では、ソラリスに分があるらしい。
手紙の宛て先は、イヴとアリュー、そしてヴィンデリーネだ。
それぞれ塔に幽閉同然の生活を送っていたイヴとヴィンデリーネは、いい機会だとばかりに地上の各地を旅して回っていた。
それに半ば強制的に付き合わされているアリューが、次の目的地を告げてから返事を寄越すので、文通が成立するという訳だ。
やり取りを通じて、彼女らを狙う存在は最早いないのだろうということは伺い知れた。
『
太陽を直に掴むアルビジアの姿を見て、自分たちが完全に蚊帳の外にいたことを実感したとかそんなところだろうか。
もしそうだとすれば、奴らも人間臭いどころじゃないな。
「クレイグさん、あなたも何か書きますか?」
「そうだな。じゃあ、たまには『
「……姉さん」
「書かないとうまくならないよ」
「うう」
ソラリスは覚束ない手つきで万年筆を握り、拙いながら文字を書き始めた。
当面は、こいつがまともな字を書けるようになるのを楽しみにしようと思う。
魔道具技師は護衛もお任せ どうぞう @douzou
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます