アサガオ

「大丈夫ー? 降りれる?」


「うん。今、降りる」


 セレンに呼びかけられた少女は岩壁を蹴り、穴から飛び降りる。

 主に下半身を中心として、体から無数に開いた巨大なアサガオをはためかせ、ゆらゆらと宙を漂った後、穏やかに着地した。

 

「おおー、すごいぞ。壮観。一、二……四人も……ん。あなたは、数に入れてもいいの?」


「ええーっと、僕は……んー……どうでしょう」


 ぼんやりとした表情の少女は、キョロキョロと視線を振って、主に『蕾』を背負った人物を視界に留め、顔を確認しているようだった。

 彼女の声は小さかったが、同時に澄んだ高音でもあったので聞き取ることは難しくなかった。

 それは最後に視線で指名されていたイヴも同じだったようで、質問に答えあぐねていた。

 

「初めまして。私はセレンだよ。アリューと、シアと、ソラリスと、イヴと……あなたのお姉さん!」

 

「なるほどなるほど。わたしにお姉さんがいたとか、知らなかったなあ。えっと、ヴィンデリーネです……んん? どなたが、どなた?」


「ああっ、ごめんね。一人ずつ紹介するよ、この子がイヴ、それで背中にアリューがいて……」

 

「……へえ、あなた達はそうやって太陽を目指したってわけね」


 少女、ヴィンデリーネが顔と手以外を覆うほど大量に纏っているアサガオは、色が統一されていなかった。

 赤、青、紫を始めとして……、白いままの、色がついていないものまである。

 これらが一体いくつあるのか、数えられようものではなかった。

 まさか、全ての花が『蕾』と同等の出力を持つものではあるまい……?


「虫酸が走る」


 背筋が凍り付く。今のは誰の声だ。ヴィンデリーネではない。エルゼか? いや、奴はもっと能天気な声だったはず。

 セレン、シア、ソラリス、イヴ、思い当たる人物をすべて考える。横で同じように背筋を凍らせたような顔をしているエイブラハムについては、そもそも候補から除外されていた。

 思考が一巡しても探し当てられなかった声の主は、次の言葉を紡ぐことで自ら名乗り出てくれた。

 

「その体。花の数。おかしいでしょうが。幻獣の素材、どれだけ使ってる?」


「ん。全部で、二十六かな。あなたが、エルゼ?」


 その瞬間、無数の管がヴィンデリーネの周囲を取り囲み、剥かれた刃物が切っ先を突き付けていた。

 ヴィンデリーネは微動たりともしない。ただ、アサガオが少し大きくなっただけ。

 俺がそれを見て、相も変わらず固まっていると、ゆっくりと管は引っ込んでいった。

 

「……そうだわ、貴女に罪はないのよね、こんな悍ましいことをやらせるのは、あの爺どもぐらいしか」


「がんばって、余すところなく使ったから。結構、大変だった……もう、やりたくないかな」


「言われなくても二度とできないようにしてあげる」


 今度撃ちだされた管は、寸前で留まるということを知らなかった。

 刃を防いだアサガオの花を、また別の管が切りつける。負けじとアサガオも管を切断するが、肉を切らせて骨を断つと言わんばかりに、管は花複数を一気に切り裂く。

 攻防の行く末は、火を見るよりも明らかだった。

 

「お母さん、どうして……ひどい……」

 

 一分とかからないうちに、地に伏せたヴィンデリーネの姿はずたずたになっていた。

 アサガオの花など一つたりとも残ってはおらず、彼女の白い肌があちらこちらから散見される。

 

「うぅ、寒。……ぬんっ」


 しかし、腕を引き寄せて、少し気張ったような仕草を見せると、たちまちのうちにアサガオは元通りに花開く。

 ヴィンデリーネの体を覆うまでに、十数秒とかからなかった。

 

「……! こいつ……」


「お母さん! いきなり何をするの!」


「今のではっきりした。その子の力……角やら鱗やらなんて程度じゃない。二十六体の幻獣、そっくりそのまま使って身に着けたものよ。それも、かなり強力な、成熟した個体のをね」

 

「えっ……」

 

 セレンは絶句する。シアも少しは驚いているようだ。俺も多少は、こいつの感情の機微がわかってきたといえるだろうか。

 ソラリスがどうかはわからないが、少なくともこの二人は、素材のために幻獣に危害を加えることをよしとしない。それが命を奪うとあらば、なおさらだろう。

 

 しかしエルゼもそのように考える人物だったとは、今までの印象から考えると意外に思えた。

 何せ、彼女は幻獣の素材を持って魔道具人形ソーサリー・ドール姉妹らを作り上げているのだから。

 

「あんたがそこまで怒ることか? こいつら作るのに使ったもんも覚えてないわけじゃないだろ」


「玄武甲、黄龍鋼のことかしら。玄武はね、見た目通りに生態も亀って訳じゃないのよ。だから甲羅を捨てることもあるの。甲羅がなくても生きていけるの。黄龍に至っては、単なる老廃物よ」

 

 エルゼは、明らかに怒りを感じさせる語気の割には、冷静に疑問に答えてくれた。

 玄武甲。玄武については書物で知っているし、こちらはまあ、俺でも見当が付きそうな素材だ。

 『雲裂塔クラウドブレイク』でどうなのかはともかく、少なくとも地上の技術では加工すら難しいほどに固い素材だ。大方、姉妹らの骨とかを形成するのに使われているのだろう。


 しかし黄龍鋼となると、さて一体。

 老廃物ということだから……名前とは裏腹に、柔らかい素材だったりするのだろうか?

 ちゃんと機能する肉を作ることが……できたりするのか? 素材が持つ性質がわからないのでは、さっぱりだった。

 

 そもそもそれについての資料が一切なかった黄龍はともかく、玄武についての生態も、書物になかった以上、知り得たことではない。

 彼女の言うように、手にかける必要なく揃えられる素材なのだと、信じるほかになかった。

 

 ……なら、『蕾』はどうなる。

 

「じゃあもしかして、私とソラリスって……便から?」


「大丈夫です姉さんは臭くありませんから」


「それは使ってないから安心して」


 シアは自分の腕を鼻にあてて、匂いを確認していた。

 慌てたように弁護するソラリスの頭を、そのまま撫でる。

 されるがままのソラリスは、子犬か何かみたいに大人しくなった。

 あいつらは本当に動じないな……。

 

 同じく意思を持つ魔道具人形ソーサリー・ドール同士だとはいっても、初対面の赤の他人に過ぎないことに変わりはない。

 そんな相手にいきなり、やれ妹だなどと言いだすセレンの方がおかしいといえばそうかもしれない。

 

 ともあれ、俺も静観を決め込むことには疑う余地もなかった。

 元々、魔道具人形ソーサリー・ドール姉妹らの強大な力を知っている身なのだ。

 その上でそれをさらに上回る、まさに化け物同士のような攻防を見せつけられたときた。そうする以外の選択肢が消えたとしても、仕方がないというものだろう。

 

「無駄なことはしたくない。あなたも、あれを壊すためにここまできたのだろ」

 

「同感。けど、それ以上に貴女が生きてるのを見るのは不愉快なんじゃ、仕方ないわよね」


 エルゼに釣られてのことか、ヴィンデリーネの語勢も強くなる。

 ぼんやりとした態度が成りを静める……完全にとはいかなかったが、真剣に、慎重に言葉を選んでいるように見えた。


 幻獣二十六体分をまるっと使って作られた、原動機の数々。

 流石に麒麟の角製である『蕾』の出力には及ばないようだが、それは単体であればの話。

 全ての合計なら、姉妹ら四人分にも到達するのではないだろうか。


 正直、それだけの力があれば何でもできる、と言っても過言ではない。

 実際に姉妹らは結託して、アルビジアをここまで大きくさせた。

 実際にヴィンデリーネは単体で、『千重塔サウザンド』の基部を飛行させてみせた。

 

 しかしその割に彼女には、なぜだか余裕がないように思えたのだ。


「わたしを憎むのは、わたしが幻獣の屍の山の上に立っているから?」

 

「夫と約束をしててね。自分の代わりに、貴女が踏んづけてるものを保護するようにっていう約束なんだけど」

 

「わからない。それは、人が頼むようなことじゃない……」


「よくわかったわね。夫は幻獣なのよ。私以外には、麒麟って呼ばれてるわね」


「麒麟……、なぜ麒麟と?」


「最初は人の姿をしていたから。まんまと騙されたってわけ」


 エルゼの言葉は、自分が変わり者だったからという訳ではない、という主張にも聞こえた。

 言葉通りに受け取るなら、一番驚いたのは彼女であったろうことは疑いようもない。

 単に人に化けられる幻獣、というだけでも目ん玉飛び出し物の事実だ。それがまた麒麟で、しかも自分の夫だった……とくれば、いくら『千重塔サウザンド』の人間でも度肝を抜かれることだろう。

 この時ばかりは、エルゼという人間に同情すら覚えた。


「なるほど、なるほど。そんな約束を。でも、守るつもりがあったなら、少し手を打つのが遅すぎるのでは?」


「よくもまあぬけぬけと……あんたを作った爺どもの邪魔さえなければ、とうの昔に太陽なんてぶっ壊せていたのよ」


「あのおじいさん達が……それは失礼。麒麟の配偶者であるあなたを見込んで、取引がしたい」


「ふうん、何がお望み?」


「わたしもこのまま、ここに同乗させてもらえればと。おじいさん達が作ったものでは、これ以上の高さには行けそうにないので」


「顔を見るのも憎たらしいというのに、とっても難しい相談ね。で、対価は?」


「太陽を壊した後ならば、わたしは抵抗しない。あなたの好きなように扱ってもらえればと」


「十分な対価ね」


「ダメ! どうしてそんなことを言うの、ヴィンデリーネ!」


 成り行きを見守っていたセレンが、満を持して口を挟む。

 ヴィンデリーネの決意は固まっているようだが、果たしてセレンの言葉はどこまで彼女に届くやら。

 

「セレンお姉さんだっけ。あなたは、何を怒ってる?」


「あなたが自分をぞんざいに扱おうとしていること! それは、あなたの中にいる幻獣たちの命も無駄にするってことだよ?」

 

「無駄にはならない。私の約束と、エルゼの約束も果たすことができる」

 

「それって、どういうこと……?」


「余計な太陽さえ壊れれば、地上に残ったあとの四体は力を取り戻す。実際に、私が取り込んだ幻獣はみんな弱ってた。だからすんなりと私の力になってくれた」


「数が合わないわ。地上に残る幻獣は、あと五体のはず……」


「エルゼ、それは黄龍のことだろうね。黄龍がどこにいるのかは、だれも見当がつかなかった。それを除く、若い四体だけは生かすことを約束に、彼らは身を捧げてくれた。今度は、私が身を捧げる番」


「そんなことって……」


「お姉さんがこれ以上、この巨人を伸ばす気がないというのなら」


 へたり込むセレンをよそに、ヴィンデリーネは魔力凝縮炉に近づく。距離が縮まるにつれて、魔力凝縮炉は大きく唸った。

 セレンを除く姉妹は、いまだ魔力凝縮炉に背中をつけたまま。

 ついに目前まで迫ったヴィンデリーネが、姉妹らと同じように自分の背中を魔力凝縮炉に向けた。

 

 ヴィンデリーネにとっては、直接触れさせる必要はないものらしい。

 俺はそのことを理解した時には、既にせり上がってくる地面に張り付けられていた。

 先程まで以上にずっと、伸長速度が速すぎる!

 

 エルゼが用意していたアルビジアの映像は、最早意味をなさなくなっていた。

 アルビジアの体がその中に収められる以上の大きさに達したらしく、もはやそこに映っているものがどこの部位なのかすらわからない。

 

 今に太陽へ接しようとしていることを察し、エイブラハムの近くで青龍の魔道具ソーサリー・ツールを発動する。

 この場にいる中で、単なる人間は俺とエイブラハムだけだ。

 あんな熱源にこれ以上近づいていけば、丸焼きになってしまうだろう。

 

 一つ、大きな衝撃。同時に映像の映す全てが、炎と化した。

 魔道具ソーサリー・ツールによる保護があってなお、全身から噴き出す汗は額、背中に留まらない。それだけの熱波がこの場を襲っていた。

 侵入口は、ヴィンデリーネが入ってきたあの穴だな。

 

 続いて、同じぐらいの大きな揺れ。

 アルビジアはついに、太陽を捕まえたらしい。


「今よ、腰を落として、海に叩き込むのよ!」


 アルビジアは伸長をやめ、太陽を下へ引っ張ろうとする。

 ようやくエルゼが映像の視点を変えることに気付いてくれたので、俺も状況を知ることができた。

 

 だが、その力は太陽がその場に留まろうとする力には至らない。

 これだけ大きくなったアルビジアを以てしてもなお、太陽と比較してしまえば小さく感じられた。

 『蕾』合計八つ相当の力があっても動じない。やはり、太陽という存在はあまりにも大きかった。

 

「……はあ、強引なんだから。いい? お母さん。ヴィンデリーネがいいって言っても、私は絶対殺させはしないからね!」


 セレンが魔力凝縮炉に背中を預けていないことに、今更気が付いた。

 やり取りを強引に中断されて、さぞご立腹だったのだろう。しかしようやく諦めがついたのか、姉妹らの隣にどすんと座り込む。

 

 一転して、アルビジアは怒涛の勢いで太陽を引っ張り始める。

 太陽の力はざっと、『蕾』七個分に匹敵したということなのだろう。

 余計にこいつらがとんでもない存在に思えてきた。

 

 高度が下がり始めたことを察して、全身から魔力を噴出。感じる熱気が弱くなったことから察するに、水の魔力か。

 そりゃそうだ、あんなものをそのまま地上に近づけてみろ。一時間とかからないうちに、炭しか残らない世界になるだろう。

 

 熱気が止み、夥しい量の水蒸気が襲ってくるまでに、時間はそうかからなかった。

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