十泊十日の旅路

 満を持して、セレンを鬼人達に預けた俺とエイブラハムは里を発った。

 双陽が起こり始めるまでに時間があるとは言ったが、それは飽くまで平均での話だ。残っている記録では、この時期には既に双陽が出だしている地域もあったようだ。


 師匠の元に向かう以外の用事で、双陽の中を突っ切るようなことはしたくない。

 この時期の移動には機敏さが必要なのだ。


雲裂塔クラウドブレイク』塔下町、その目前までたどり着くのにかかったのは五日程。

 予定よりもずっと速度を出せたのは、偏に粘着弾の瓶のおかげと言えるだろう。

 どれだけ野盗が寄ってこようが、とりあえず前面に広げてしまえば迂回を強いることが出来る。追い払うには、それだけで十分だ。

 頼り過ぎて、もう少しで使用限界が来てしまいそうな程だ。またカガタケヤモリの体液を見かけることがあったら、買っておこうか。


「お待たせしましたな。兵士の連中がどうにもピリピリしとったので、検問に時間がかかりましてな。依頼金と、頼まれていたものですぞ。これの代金が心付けということで」


「そうだったのか、だが思っていたよりは早かった。これは、石炭虫の死骸か。ありがたい、作業が終われば早速、鬼人の里へ引き返そう」


 透過遮光布のテントの中で、瓶の原動機を穿って掃除していると、金を引き下ろしてきたエイブラハムが戻ってきた。


雲裂塔クラウドブレイク』の塔下町は、姓を持たない者を受け入れない。

 話には聞いていたが、まさかそのような塔下町が実在しているとは思ってもいなかった。

 空気弾の杖は急ごしらえのため、セレンの近く以外では使えない。その為、不足している魔道具ソーサリー・ツールを都合すべく、素材の調達をエイブラハムに任せていたのだ。


 製作するのは、火炎岩を放つ杖だ。これは炎の魔力を宿せる物さえあれば、太めの木の枝、土、入れ物で完成するから、現地で武器になる魔道具ソーサリー・ツールを調達する時は非常に助かる。


 エイブラハムの話によると、『雲裂塔クラウドブレイク』内で消費している大凡の資材は自家生産しているらしく、塔下町があることによる経済には依存していないそうだ。そのため、同塔の塔下町には防衛の機能しか有さないのだとか。


 だとすれば、納得ができることがある。

 かつて『紅鏡塔ミラールージュ』が世界で最も高い塔だったことがあるように、本来は、その時点で最高度を持つ塔の塔下町こそが最大規模であるのが普通なのだ。


 ある年に突如として増築のペースを爆発的に上げ、瞬く間に世界最大の塔となった『雲裂塔クラウドブレイク』。

 それを可能にした最もたる要因には、この自給自足技術が挙げられるのだろうか。

 

 とりあえず、杖は二本も用意しておけば十分だろう。テントを片付け終えたら、石馬に跨る。

 二十日以上塔下町に寄らずにする移動は初めてのことだ。

 今の時点でも疲れはあるが、これからの帰り道、粘着弾には頼り切れない。そのことを念頭に置き、気を引き締めて帰路に就いた。




―――




 案の定かよ。まさに弱り目に祟り目。

 『雲裂塔クラウドブレイク』を発ってから五日。前方、東の空から太陽が顔を出し始めていた。公転太陽リボルブだ。しかし、頭上の不動太陽ステイシスは光を弱める気配を見せない。


「これは……例年より早いですな」


「困った。あの辺りの滝石の露出面にでも設営しようか」


 石馬に足蹴を加え、速度を出させる。一刻も早くテントを立てなければ。

 双陽発生中の平均気温は、およそ摂氏五十八度。これはいくら多少暑さに耐性がある火人種と言えども、一、二時間と堪えられない気温だ。


 とりあえず、平均気温に達するまでには設営を済ませたい。がむしゃらに石馬を全速力で走らせていると、目指している滝石の露出面近くに、人影が見えた。


 一人か? ここから見た限り、手荷物は少なく、双陽向けの耐暑装備などは持ち合わせていないのだろう。

 俺達以上に不幸な奴だな。敵意さえ向けてこなければ、予備の遮光布を貸してやってもいいんだが……。


 背を向けていた人影は、こちらに顔を向ける。俺達を見つけたのか、こちらに向かって走り出す。表情は窺えないが、途方に暮れていたであろう所に重装備の石馬二頭が走ってきていれば、まさに助け舟だ。無理もないことだろう。

 

 だが、少しばかり運ぶ足の勢いが強すぎるんじゃないか?

 目の錯覚でなければ、こちらと同じくらいの速度で迫ってきているような……。


 とかのんきに考えている間に奴さん、石馬の制動距離内に入ってきているぞ!

 石馬は急に止まれない。加速が遅いのはともかく、減速にも時間がかかることを普段意識することはない。だが今この瞬間程それを疎ましく思ったことはなかった。


 が、石馬は止まった。止められた、というべきか。

 人影の正体は少女だった。彼女は俺が乗る石馬の身体を細い両腕で抱え、足で地面を削りながらも勢いを殺す。石馬はやがて完全に制止した。その横をエイブラハムの乗る石馬が通り過ぎる。

 少女は石馬から離れると、鼻をすん、すんと小さく鳴らしながら口を開く。


「匂いがします。相当濃い、水の魔力の匂い……これは、青龍のものですね。違いますか?」


「魔力に匂いがあるのか? すまん、わからん」


「どうでもいいです。その辺りで、私に似た女性を見かけてませんか?」


 そんなところで、人なんて見るわけ……。

 一応俺は、改めて彼女の容姿を確認する。

 やや赤みがかった長い黒髪。少々吊り上がり気味の目尻。瞳は髪色に近い。肌は太陽が照り付けるここには場違いなくらい白く、身に纏っている質素な意匠の純白のドレスに見劣りしない。


 ここまで確認して、俺はようやく気が付いた。一体、どこまで呆けていれば気が済むのかと、一瞬自分はとんでもない馬鹿なのではないかと思ってしまう。

 走っている石馬を受け止めるほどの怪力。青龍が棲む辺りにいるという、こいつによく似ているという女。この二つが頭の中で結びつくと、すぐさま答えは出た。


 ついこの間、戦ったばかりだろうが。

 なら、こいつがセレンとの会話に出ていたソラリスという奴だろうか。しかし、話に聞いていたのとは違って、セレンよりも背丈が大きいように感じられる。だが、セレンは妹は三人だと断言していたので疑うこともないだろう。


「ああ、シアという女には会ったが」


「ではそこで何が起きたか話してください。今すぐに」


 それで合ってるか? という言葉が間に合わないくらい素早く、俺の喉元には大鎌が突き付けられていた。

 なんでこいつら姉妹は、どいつもこいつもいちいち血の気が多いのか……。

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