はなくそ?

 シアはピクリとも動かない。ここから察するに、完全に顔を覆っている粘着弾は、おそらく彼女の呼吸すら遮っているのだろう。


 念のため、彼女の腹の前に手を回させ、粘着弾で固定しておく。突然暴れ出されては堪らない。

 口元の粘着弾を除去してやるのは、それからだ。

 シアの身体を転がして、『蕾』がしっかり見えるようにする。幸い、彼女の白いワンピースは背中を覆わないものだった。


 意識は戻らないが、呼吸はしているらしい。とりあえずは安心していいか。

 では『蕾』に巻きついた、平べったい紐のような洗脳器具を取り除きにかかる。


 とりあえず、ペンチを引っ掛けてみる。

 しかし、硬いな。切断は敵わない。構造を見るに、どこかしらを切り離すことさえできれば解放は容易いのだろうが、歯が立たないのなら話にならない。


 空気塊を放ってどうにかなるとも思えないし、さてどうしたものか。

 とりあえず、糸状にした粘着弾を貼り付けて引っ張ってみる。


 ダメだ、びくともしない。紐自体の強度も然ることながら、くくり付けられ方も中々強固なものだ。

 他に歯が立ちそうなものと言えば……


「ううむ。本来、紐を切るものではありませんが、こいつを試してみてもらえませんかな」


「うーん……」


 セレンが入っていた物体、黒繭の掘削に使おうとしたが、傷一つつけられなかった魔道具ソーサリー・ツールのピック。

 エイブラハムが差し出してきたそれには、若干頼りない印象を抱いている。しかし、物は試しだ。

 シアの身体はもちろんのこと、『蕾』本体に当たらないよう、うまいこと先端を紐部分にあてがって、力を入れる。


 紐の中央に亀裂が入った!

 いくら硬いと言えども、傷が入ってしまえば脆いもの。手で引っ張れば、徐々に亀裂が広がっていく。

 ぷちり、と景気のいい音を立てて紐が千切れる。そこを足掛かりに、紐をするすると解いていく。


 『蕾』とやらも名折れだな。こんな紐なんかに操られるとは。

 この蚕の糸で紡がれている紐は、一般的な魔道具ソーサリー・ツールにも時々採用される素材だ。どこで、どの場面でだったかは覚えていないが、俺も何度か使ったことがある。

 まるで知らない素材ではない。それだけに、『蕾』みたいな未知の塊を制御できるようなものだとは、到底思えなかったのだ。


 しかし、紐をどれだけ見ようが妙なところは見受けられない。

 今後立ち寄った場所でちゃんとした設備があれば、一応は確認してみるか。

 俺はカバンに紐を突っ込むと、シアを再度仰向けに転がす。



「ねばねば。気持ち悪い」

 

 しばらくして、倒木を枕にしていたシアの目がぱちりと開いた。腹に張り付いた手を、不快そうにもぞもぞと動かしている。姉妹特有の馬鹿力で無理矢理千切れたりはしないようだ。


「気分はどうだ?」


「最悪ね。もう近寄っても大丈夫だから、これ、とって」


 紐を除去してからは念のため、十メートル以上の距離を開けていた俺は再び彼女に近づく。

 どれだけ迫ろうと花弁は一切の変化を見せない。本当に自由を取り戻したようだ。


 俺は土の魔力を染み込ませた軍手をシアの腹目掛けて投げる。

 軍手に触れている箇所から粘着弾の粘性が失われ、水になっていく。次第に片手の自由が効くようになったのを目にして察したらしく、それを使ってもう一方の手を拭い始めた。


「ふう。……そうね、まずはお礼を言わなきゃ。あなたのおかげで、誰を貫くこともなかった。ありがとう」


「ああ、大変だった。本当なら金でも貰いたいところだが、どうせ持ち合わせもないだろうしな。勘弁してやる」


「それはどうも。……代わりと言ってはなんだけど、この子にもお詫びをしなくちゃ」


「そいつへのお詫びがなんの代わりになるって?」


 背後でとぐろを巻いている青龍を後目にしながら、シアは俺の疑問に答える。


「この子、私が鱗を剝いでたから、とても怒ってるの。落ち着かせなきゃ毒が収まらないの。よいしょ」


 シアは、俺が握っていた鱗の入った袋を奪い取ると、青龍の身体をよじ登る。一瞬、周囲の毒気が強くなったような気がする。それにも構わず、彼女は鱗が剝がされた部分の前に座り込む。

 中の鱗を取り出して、それが元あった場所へあてがう。


 そんなことをして戻るわけがないだろう。と思ったその直後。

 青龍の身体に触れた部分から、ドライアイスが溶けたような煙が発生する。その後彼女が手を放しても、鱗が零れ落ちることはなかった。


「へえ、出鱈目なもんだな」

 

 『蕾』以上になんでもありだな。思わず感心してしまう。

 シアが十枚ほど鱗を貼り付け終えたころには、もうほとんど毒気は感じられず、せいぜい鬼人の里門外で感じた程度の強さだ。幻獣といっても所詮は動物、といったところか。ちょろくて助かる。


 目の前に顔が浮かんでいる。大岩の様な、蛇の顔だ。

 俺達は急に現れたそれに度肝を抜かれているうちに、やがて蛇は言葉を紡いだ。


《人の子らよ、世話を焼かせたな》


 それは音を伴わず、頭の中に直接語り掛けてくるような、そんな声だった。

 圧倒され、しばらくそれに俺が返事をできずにいると、アンヘリカが先んじて答えた。


「礼を言われる筋合いはない。あなたに暴走されていては、私達の住む場所が危ない」


《おお……黒巻き角の鬼人か。世の中に白角がいくら数多くいようとも、私が目にするのはいつもそれだ》


「……あんたも幻獣だろ? なんで人間一人、追い払うことができない」


 俺はやっとのことで言葉を発する。青龍はその疑問はごもっともだ、という様子で訳を話す。


《この老体は最早、動かすことすら敵わん。早く寿命が尽きてくれればいいのだが、都合よくはいかんようだ》


「じゃあこの顔はなんだ」


《わからんか? それは、ただの魔力よ。本来の顔は、とぐろの下に仕舞っておる》


「ああ……そういうことか」


 漂っていた魔力が余りにもあっさりと鳴りを潜めた理由。それがこの目の前に浮かんでいる顔の正体に繋がっていた。

 要は、今まで周囲に拡散していた魔力が形を成したものが、この蛇の顔ということだ。

 顔を作って話をしようだなんて、やはり幻獣は動物の域に収まらない生物だということか。


《無論、礼を言うだけで済まそうとは思っていない。これをやろう》


 顔は、鼻から球状の物を人数分飛ばしてこちらに寄越した。

 両手に収まるほどのサイズで、なんだかホカホカしている。触り心地は微妙にぶよぶよしており、悪いという他にない。


「なんだこれは?」


《説明はし辛い。だが、人間らはそれを求めて私の元に来る者が多い。何かしら、利用価値があるのだろう》


「ふーん……」


 お前もわからないのかよ。

 アンヘリカも思わず見損なったとでもいうような態度を示している。


 でもまあ、よく見れば魔道具ソーサリー・ツールの素材として使えそうなものに見えなくもない。

 後で内包する魔力を調べて、どういった用途があるかを探ってみよう。

 

 しかし、アンヘリカ……お前はこれをどうするんだ?

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