しけた戦果

「そうか、繋がったのか。よかった……」


「大丈夫? 痛くない?」


 決着がついた後、すぐさまパトリックの病室へ見舞いに向かった。震えてはいるが確かにくっついている手を見て、俺は思わずため息を吐く。


「ハハ、君に心配されているのは、なんだか調子が狂うな。ほらセレンちゃん、御覧よ。手を揚げてみても大丈夫だよ」


「怪我の次第では俺だって心配するさ」


「君も人の子ということだね。医者が言うには、応急処置の手際が良かったおかげだろう、ってことらしい。エイブラハム殿には本当に感謝しています」


「当然の行いをしたまでですぞ。なんにせよ、繋がってよかったですな」


「結局、アリューと言ったか? あの女には逃げられたようだな」


「ああ、派手にやられたみたいだね」


 アリューは、拘束されていた。それは確かに、かつての重罪人のどれを挙げても例を見ないほど厳重にではあった。

 しかしその拘束を施された翌朝には、牢屋の壁と共に跡形もなく姿を消していたのだ。

 プラプラと振られている右手とは裏腹に、パトリックの眉間には力が入る。


「正直、甘く見てたね。拘束した団員の殆どが彼女の膂力を目にしてなかったわけだし」


「……まあ、あんななりしてるんだ。馬鹿力が出ると想像しろって方が無理だわな」


「まるで若い未亡人のような身なりだったね! うーん、彼女との立場さえ違えば」


「本当に節操のない奴だな。逃げたところで、もう辻斬りは起こさんだろうが」


「へえ、なんでそう思うんだい?」


「わからん。まあ、こいつの妹だから信じたいってのがあるのかもな」


「妹!? 姉の間違いじゃないのか」


「むー。アリューは私の妹だよ。どこからどう見たってそうでしょ」


「セレン殿、残念ですがおそらく誰がどう見たってそうは思いませんぞ」


「そうか、そういえば合流したのはあんたが気絶してからだったな」


「驚いたな。全く、世の中は分からないものだね。君は一体いくつなんだい? ……いや、女性に歳を聞くのは失礼が過ぎるな。今のは忘れてくれ」


 突っ込みどころしかない主張をするセレンを窘めるように肩に手を乗せるエイブラハム。それを見て何かを思い出したのか、パトリックはばつが悪そうに言う。


「この腕じゃ、エイブラハム殿の護衛を務めるのは無理そうだ。拘束を手伝ってもらったのに、すまない」


「結局逃げられたんだ、気にすることはない」


「それはこちらの不手際だよ。この埋め合わせと言ってはなんだが、信頼できそうな人物を募れそうな場所がある」


「へえ、どこだ?」


「鬼人の里だ」


「いやいやいやいや」


 鬼人の里とは、メガロイグナの東に位置する世界唯一の湿地帯、メガロアクアの中に存在する集落だ。

 しかしこのメガロアクアという地域が、なかなかの曲者なのである。


「あんな毒が立ち込めてるところにどうやって立ち入れというんだ。鬼人に生まれ変わるために人生やり直せってか?」


「そこはその、君の魔道具ソーサリー・ツールでどうにかできるだろ?」


「そんな万能なもんでもねえんだよ」


 さも簡単なことであるように言ってのけたパトリックの提案に、俺は片手で顔を覆いながら項垂れる。


 地域の名前は、幻獣がその地域に最も多く垂れ流す魔力の質で決まる。

 メガロアクアは、その名が表す通り、水の魔力が漂う地である。この魔力の恩恵で日差しが比較的弱く、この地域は世界的に珍しい、植物の生い茂る薄暗い場所となっている。

 

 難儀なもので、メガロアクアに生息する幻獣が吐き出す水の魔力には、少々の毒性が含まれている。鬼人をはじめとするメガロアクアに住む水人種らは、多かれ少なかれその毒に耐性を持っているのだ。

 しかし、俺を躊躇させていたのはこの点ではなかった。


「……まあ確かに、毒は何とかなる。何とかなるとしてだ」


「彼らには昔、世話を都合したことがあってね。僕が紹介状を書けば、少なくとも聞く耳は持ってくれるだろう」


 パトリックは一見扱いにくそうに利き手ではない左手で手紙を綴ると、投げて寄越した。

 宙に舞う手紙を指で挟んで受け取って中を確認する。

 俺は一見して、やっぱこいつ字綺麗だなあとかどうでもいいことに感心して小さく頷く。


「一体何してやったんだ? 鬼人達がこんなもんで靡くとは思えんが」


「彼らが成人を迎える際、旅をさせられるのは知っているだろう?」


「奴らが気難しいってことと同じくらい有名なことだな」


「その旅人たちが立往生していたときに、ちょっと足を与えてやっただけさ」


「ふーん」


 よそ者に厳しいが、恩を受ければそれを決して忘れないのが鬼人というものの風説だ。

 俺もそれを耳にはしている。あてになればいいのだが。


「よっしゃ、じゃあとりあえず貰っておくとするか。ありがとな」


「約束を果たせなかったんだ、このくらいは当然だよ」


 受け取った手紙を懐に放り込むと、手を振ってパトリックに別れを告げ病室を出た。

 


―――



「すぐに出よう。また物入りだな、ちくしょう」


「思いのほか元気そうでしたな」


「あいつは怪我したところで、今後の不安はないだろうから」


「そういえば彼は保安官でしたな。ともなれば、治療費もたんまり出ますからな」


 とはいえ、パトリックが負傷したのは保安軍の任務ではない。任務外の負傷まで面倒を見てくれるのだろうか、と少しばかり不安を覚える。

 だが自分達にそれがどうにかできる訳ではないのだ。ただ彼の腕が無事、元通りに動くようになることを祈るだけだった。


「して、物入りということですが。また買い物ですかな」


「そうだな。毒対策には必要なものが多い。それなりに値が張るものが山ほど」


「『雲裂塔クラウドブレイク』に着いたら、追加を支払いましょう」


「いらん。石馬もう一体よりは安くつく」


「では心付けということで」


「恩に着る。じゃあ、『紅鏡塔ミラールージュ』に向かおう。水の魔力をどうにかするんだから、必要なのはドライヤマアラシのたてがみと……」


 世界で三番目の高さを持つ、『紅鏡塔ミラールージュ』。正直、その高さは二番目の塔にも大きく水をあけられており、いつ四番目の高さを持つ塔と呼ばれだしてもおかしくはない程度だ。


 しかし直下に有する塔下町の規模は、『雲裂塔クラウドブレイク』のそれを大きく上回る規模を誇っている。中でも市場が非常に発達しており、俺のような姓を持たない者が探し物をするにはうってつけの環境だ。


 早くも到着したつもりで、俺は必要なもののリストアップを進めていた。

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