傭兵のまねごと

穏火塔トーチ』塔下町。


 塔下町というと大層なようだが、存在する建物の殆どは灌木ほどの高さしかない。至って規模の小さい町だ。最近になって開発され始め、居住地の大部分には貧民層の人間が住むためのテントが張り巡らされている。姓を持たない者――塔に立ち入る資格のない者――たちが、最低限の安全を求めて築いた町だ。

 塔下町というものはどこの塔の足元にもある。かくいく俺も、よその塔下町の出身だ。


「いや、久しぶりに肝を冷やしましたが、何とかたどり着けましたな」


「出発から到着までに、双陽を避け続けられたのは運が良かった」


 モーリスがエイブラハムから依頼を受け、俺を呼び出したのは一週間ほど前だ。俺が居た塔から『穏火塔トーチ』までは、それなりに距離がある。

 今時のように、双陽の時間が短い寒冷期でなければ、このような速度ではたどり着けない。


 いちいち言い分ける人間は少ないが、この大地を照らす二つの太陽にはそれぞれ名前がある。

 午前五時頃を目安に顔を表し、次第に地平線の向こうへ沈んでいく公転太陽リボルブ

 そして、メガロイグナ空中の一点に静止したまま不規則に明滅する不動太陽ステイシスだ。


 大体同じ周期で昇っては沈む公転太陽リボルブはともかく、不動太陽ステイシスの明滅周期を人間が知ることは難しい。

 だが一つだけ分かっているのは、公転太陽リボルブが沈んでいる間は必ず光を放ち続けるということだ。

 おかげで地表に夜が訪れることはない。平均気温が高い水準を保つ要因となっている。


 公転太陽リボルブは時期によって日照時間が変わる。不動太陽ステイシスは、それで増減した日照時間に明滅を合わせてはくれない。

 よって、二つの太陽が顔を出している時間帯を双陽と呼ぶが、それが起きている時間もまた、時期によって左右されるのだ。


 今頃のような、双陽の時間が短い時期を寒冷期と呼ぶ。そのまた逆の双陽が長い時期、焦熱期はなおさら気温が高く、まさに地獄そのものだ。


「学者殿は、焦熱期に荒野へ出たことはあるか?」


「そうですな。やむを得ず、一回か二回程度ならありますな」


「俺は一度だけ、一週間余り程、ぶっ続けでやったことがある」


「なんと! して、どうでしたかな?」


「……本気で死ぬかと思った」


「それは凄まじいですな。少なからず体験しているだけに、聞くだけで想像できてしまいますぞ」


 目的の塔までの道中、そこが塔下町であればいいが、荒野を旅する者たちは多くの場合、どこかしらの路傍で双陽が放つ余りの熱波に足止めを食らう。

 そんなわけで人々はできるだけ、塔間移動が必要な場合は双陽が起こりにくい寒冷期に計画する。

 今回、俺達は都合よく、双陽の中でも気温がピークとなる時間帯を睡眠に充てることができ、ここまでするするとたどり着けたというわけだ。


 俺達は不規則に並ぶテント群を石馬に乗ったまま縫い歩く。目的地はここでも一際背の高い石造りの建物だ。『穏火塔トーチ』の裏側からでもなければ、誰の目にもすぐ映るだろう。


 セレンはさっきから黙り込んだまま、深くかぶったフードの隙間から辺りを見回している。

 俺やエイブラハムをはじめ、褐色に焼けた肌の人間だらけな土地で、こいつの白い肌は目立つ。計らずも、フードはそれを覆い隠すのに役立っていた。

 人の町がそんなに珍しいのだろうか、などと考えながら歩いていると、もう既に目的地である石造りの建物が目の前に迫っていることに気付いた。


 石馬を係留した一行が建物に入ると、たちまちのうちに受付の女性が声をかける。


「こんにちは。中へ入る前にフードを外してください」


「おっと、また忘れてた。セレン、聞いたか」


「うん。よいしょ」


「人を連れてくる度に言わせないでください……まあ! 可愛らしい子!」


 フードを下したセレンの顔を見て、女性は思わず破顔する。

 白磁の肌、絹の髪に、翡翠の瞳。セレンが持ついずれを誰に例えさせようと、まず挙がるものは悉く美しい物だろうと言えるのだから無理もない。

 女性の中でも一際可愛らしい物、美しい物を好むこのシンディーの目を奪うには十分過ぎた。


「シンディーです。あなたの名前はなんていうのかしら」


「こんにちは。私はセレンって言うの」


「そう、セレンちゃん。よろしくね。クレイグさん、どうしてあなたがこんな子を連れているの?」


「俺が連れてるわけじゃない。あえて言うなら学者殿の所有物だ」


 シンディーの緩んだ表情が一転険しく変わる。キッと刺すような視線を向けられ、本能的な恐怖を感じたのか、エイブラハムは背中をぶるりと震わせたあと慌てて弁明する。


「クレイグ殿! その表現は誤解を招きますぞ! 遺跡の重要参考人としてご同行いただいているだけですぞ」


 エイブラハムの弁明を聞き終わるまでもなくシンディーは表情をほぐし、クスクスと笑う。


「すみません、エイブラハムさん。あなたも冗談を言うようになりましたね、クレイグさん。それではこちらへどうぞ。モーリスが待っていますよ」


 ホッとした様子のエイブラハムは、セレンの両肩に手を置いたまま歩き出したシンディーについて歩き、モーリスの部屋へと向かう。

 俺にとっては、このシンディーとの付き合いもモーリスと同じ長さになる。しかし彼女の名前を知ったのはまさに先程のことだった。

 俺が彼女に求める役割は、モーリスへの取り次ぎのみだったのだから無理もないか。

 



 結局、あれから一言たりとも会話を交わさないまま部屋の前に到着する。

 俺はノックもせずに扉を開く。簡素な石室のど真ん中に置かれた、やたら枝の生えたカウチに横たわる男……モーリス。常ににやけ顔を浮かべている彼こそが、この『穏火塔トーチ』塔下町を統べる町長だ。

 奴はこっちを見ると、挨拶のつもりかぬらりと片手を上げた。


「おお、早かったじゃないか、クレイグ。とりあえず一仕事、お疲れさんだな。茶でも飲むか? エイブラハム殿もぜひ……と、お嬢さんもどうかな?」


「飲み物なら、いらないよ」


「女の子にそんなものを勧めないでください。あなたは、そうね。着替えを用意しておくから、こっちの部屋で苺のお茶でも飲んで待っててね」


 シンディーはローブを脱いだセレンの身なりが、随分とみすぼらしいことを気にしてか、彼女の手を引く。倉庫の前の部屋に向かって連れ出した。


「かたじけない。それではご厚意に甘えますかな」


「いらねえよ……学者殿、考え直した方がいいぞ」


「ほう、癖の強い茶なのですかな? それなら心配ありませんぞ。ゲテモノ食ならいくらでも口にしたことがありますからな」


「なんだ、あまり人気がないな」


 残念そうな口ぶりとは裏腹に、大した気にした様子もなくモーリスは、カウチからちょこんと生えた枝に湯呑を持たせる。するとゆっくりとエイブラハムの手元まで伸びた。この枝は、呪いのためにうまく体を動かせないモーリスには欠かせないものだ。

 エイブラハムはそれを受け取ると景気よく、ぐいっと呷った。


「ブホッ」


「いわんこっちゃない」


 エイブラハムは思わず吐き出してしまったが、それはモーリスが期待していた通りのリアクションだった。それを見ることができたモーリスはご満悦だ。その顔を再び見ることになったことに腹が立つ。


「メガロペトラでしか採ることのできない植物で淹れた茶だよ。『エンピツ茶』とも言われている」


「どおりで、炭のような味がするわけですな。珍しい体験ができましたぞ」


「珍しい体験って、前向きなんだな……」


「クレイグ! 君の反応は実に見物だった。私はこの茶を人に二度とは勧めないんだが、君には顔を合わせるたびにこうして勧めてしまう。さあ、どうだ? エンピツ茶はいらんのか?」


「だからいらねえって。手続きの方を早くやってくれ」


 あの味を思い出して背中に寒気を走らせる。俺は前から、仕事上での関わりさえなければ今すぐにでも円を切りたいくらいには、この男のこういう態度が嫌いなんだ。


 モーリスは書面に書き込みながら、エイブラハムに調査成果を尋ねる。


「それでは、エイブラハム殿。今回の調査は、うまくいったのか?」


「うまくいった、どころの騒ぎではありませんぞ。我々が連れてきた少女を見ましたかな」


 黒繭から這い出てきた少女、セレン。

 エイブラハムは彼女との邂逅を熱っぽい調子でモーリスに打ち明けた。


「ほぉ……『千重塔サウザンド』の遺物らしき物から出てきた、謎の力を持つ少女か」


「彼女が持つ特徴と、友人から聞きかじった程度の知識と照らし合わせると、どうも魔道具人形ソーサリー・ドールに近い気がするんですな」


 魔道具人形ソーサリー・ドールとは、魔道具ソーサリー・ツールの中でも高性能な原動機を埋め込まれることで、自我を持ち活動することができるようになったものだ。

 本来は労働力として考案されたものだが、少しでも複雑な作業をさせるなら製作するだけのコストで労働者を雇った方がいいという結果になり、今では専ら簡単な仕組みで簡単な作業をさせるのが流行っている。


 俺が所有している石馬も簡単な魔道具人形ソーサリー・ドールの一種であり、実用化できた数少ない成功例の一つだ。


「そうだな。確かに彼女が持つ能力を聞けば、そのように考えるのも不思議はない。しかし、私の目から見るに、彼女が人工物であるとは到底思えない」


「それは私も感じるところなのですがな」


「しかし、だとすれば。このまま彼女を『雲裂塔クラウドブレイク』に連れ帰ってしまえば、彼女の身分はどうなる?」


「……それをまさに今、懸念していたのですぞ」


 『雲裂塔クラウドブレイク』は、そういった魔道具人形ソーサリー・ドールの研究をしているらしく、少しでも該当するものの情報があれば『魔道具人形ソーサリー・ドール狩り』と称して、各地に手勢を派遣しては集め回っている。


 その研究は解体、またそれによる破損を辞さないものであると既に世界各地で知れ渡っている。そんなこともあってか、最初から提供を請わずにかなり強引な手法で回収を図っているという。


 そのため、愛着を持っている魔道具人形ソーサリー・ドールを持つ者たちは、決して『雲裂塔クラウドブレイク』出身者にその存在を知られてはいけないと言われるほどだった。


 モーリスはふん、と小さく唸って何か考えている。


「クレイグ。彼女の背中にあるという『蕾』とやらは、確かに原動機なのか?」

 

「ああ。規格外の大きさだったが、原動機には変わりないだろう」


「だとすれば、魔術によるものという線は薄いか。ならば……話を聞くのに、いい人物がいる。クレイグに魔道具ソーサリー・ツールの知識を授けた御仁、アルフ殿だ」

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