血の気が多いヤツらに気を付けろ
透過遮光布が作り出す闇の中で、俺は目を覚ました。
いくら光を全く通さない遮光布といえども、日光による気温の上昇を抑える程度の効果しかなく、テントの内部は暑い。
しかし湿度は外に比べて低い。粘りつき蒸し返ってしまうような暑さではない。俺はこの環境がそれほど嫌いではなかった。
懐中灯石に被せていたコップをどける。懐中灯石の光が四方八方に広がり、テントの中を、エイブラハムの寝顔を照らし出す。その光の強さに参ったとばかりに、声をかけられるまでもなく彼は目覚めた。
セレンがテントの中に一切入らず過ごしたことに、俺が気づいたのはテントから這い出てからだった。すぐ目の前でこいつが横たわっているのを目にしたからだ。
何が何年も寝てきた、だ。
昨日起きてから寝るまでに、何時間経っていたというのか。
早く出発して『
「んあ? ……いえ、寝てないですよ?」
突かれた途端バチッと目を開き、変なイントネーションで言い訳を口にするセレン。
「敬語使えるくらいには寝ぼけてんじゃねえか」
「本当だよ? 考え事してたんだって!」
「じゃあ何考えてたか今すぐ言ってみろ」
「えーっと、今すっごく考えてるよ。んー、さっきまで何を考えていたかについて!」
「あーハイハイ。起きたんならそれでいい」
こいつと今コミュニケーションを取っても時間の無駄だ。構わずテントの中に戻って準備を始めた。
俺が過ごしやすいと評しているのは、あくまで遮光布の中の話である。
炎天下で睡眠を取ろうなど正気の沙汰ではない。常人ならまず眠りに就くこと自体が難しい。
辛抱たまらず就眠できたところで、それは体力を失っているという証左だ。無論そんな人間は日差しに数時間と耐えることができず、そのまま二度と目覚めないというのが落ちとなるだろう。
『
エイブラハムの狙いは正確だった、ということだろうか。
やはりセレンは、『
一番の謎は彼女の背中の原動機……彼女が『蕾』と呼ぶもの。彼女が発揮する超人じみた身体能力は、その『蕾』が供給する魔力によって成り立っているとみえる。
これまた奇妙なのはそこから取り出すスズラン型爆弾。別に原動機から爆発物が生み出されること自体は珍しいことではない。だが、空間を切り取るようなあの威力。強力すぎるのだ。
それこそ、
「あの……クレイグさん?」
「なんだ」
目の前に転がっていたセレンがいつの間にか起き上がっており、俺の表情を窺うようにして向き合っていた。漸く、自分が考え込んでしまっていたことに気付く。
それにしても、やけに神妙な顔をしている。
なにか不都合でもあるのだろうか?
「朝ごはんって、なんなのかなー」
こいつに都合なんてものがあると考えた俺が馬鹿だったらしい。
「は? そんな時間ねえよ。別に食わなくてもいいんだろ」
「えーっ。そんなことなら、言わなかったらよかったあああ」
「安心しろ。俺と学者殿だけで朝飯食うわけじゃねえから」
「それでなにを安心しろって言うの!? なにも安心できないよー、なにか食べるものをくださーーーい」
「ああ、うるせえなあ。これでも食っとけ」
仕方なしに、石馬のカバンからカッチカチに焼いたグルタン族のパンを取ってきて、セレンに手渡す。
「なんだ、あるんじゃん! あーん」
「どうだ。うまいだろ」
「……あーん。なにこれ、硬いよー。しかもなんか酸っぱいし」
「なんだ、顎の力は人と変わらないのか」
クソ硬いパンをガジガジとやっているセレンを見て、俺は『蕾』の力が及ばないところもあるのだなと感心する。
保存用に強い火で焼かれたパンは、随分と酸味があるもので、それほどおいしいものではない。本来は保存食なのだ。仮に味が良かったりすれば、平時に食いつくしてしまうような人間が現れてしまうのだろう。この場で言えば、まさにセレンのような人間が当てはまる。
これに懲りて、いちいち食事を要求してこなくなってくれればいいのだが。
「朝飯も食わせたし、出発するとしようか」
「では、これを片付けんとですな」
寝る前と同じく、口を濯いでいた滝石の水をそこらに吐き出してから、エイブラハムが答える。
まさに妙技を見たとばかりに感動した様子で、もうパンを食べきってしまったセレンは足元に転がっていた滝石を口に含み真似をする。が、すぐに吐き出した。
「ペッ! 砂がついてきた……」
「はっはっは。滝石を噛んで水を出したいなら、先に少し磨いて洗うのが肝心ですぞ」
「おい、透過遮光布にはかからないようにしてくれよ」
「もちろんですぞ。これを買うとすれば、今回の依頼の前金よりも高くつくでしょうからな」
「あーーーーんまだ食べたりない、さっきのかったいパンでもいいから何かないのー?」
「……アレをもう食べきったのか」
顎の力だって十分人外じゃないか。
俺は動揺を隠せなかった。
握りこぶし二つをつなげた程度の量のパン。しかし固焼きされたそれの食べ応えたるや、尋常のものではない。大人であっても、握りこぶし一つ分も食べてしまえば、顎が疲れ切ってしまうくらいだ。
それをこの数分と経たないうちに食べきってしまうとは……。
――
テントを片付け、石馬にまたがる三人。
目指すは依頼の斡旋者、モーリスが居る『
大して高い塔ではないので、見かけることさえできればあとは目と鼻の先だ。
「と、出発する前に、お前はこれを着ててくれ」
クレイグは思い出したように石馬のカバンから麻のローブを取り出し、セレンに突き出す。
「なにこれ」
「女を連れての行旅はかなり目立つんだ。頼むよ」
「……それで襲われることが多かったのかな」
「まあ、その線も十分あり得る」
「わかった! 着る! ありがとう」
「よし」
お前の場合は、それだけじゃないだろうがな。
それなりに長いように見えるセレンの人生。黒繭に籠るまでの間、『蕾』の力をどこかしらで知っては、狙う者も居たのだろう。
一体、どれほど襲われた経験があるのだろうか。
セレンはひったくるように突き出された麻のローブを受け取り、ばさっと己の身に纏う。
そんな短いやり取りを経て、一行はついに出発した。
前をエイブラハム。その少し後ろに、俺とその背後に座るセレンの石馬が続く。
本来護衛対象であるエイブラハムに索敵を任せているという事態は、俺に少しばかり奇妙さを感じさせる。だがエイブラハムはその任を自ら買って出た。
セレンが本当に『
本当に気張らなければならないのは、『
略奪に限らず、不徳行為というものは、多少は他人より狡賢くなければ成立しないものだ。
塔下町から発つ人間を狙うべく、その周囲には野盗共の野営地がうじゃうじゃと雑草のように点在しているのが普通だ。
俺たちがここまで来るまでに襲ってきた奴らもそうだ。どうやら無法者共にも略奪の方法論というのが知れ渡っているらしい。
かくいう俺も、単身で荒野を移動する際、目的地に到着するまでに野盗に襲われなかったという経験がない。最も、それは俺が一人で行動しているのが主な原因ではあるのだが……。
実際、俺たちが野盗に遭遇したのは『
「クレイグ殿! ロバの連中が来ましたぞ!」
「最近の野盗は、随分羽振りがいいんだな。昨日の奴らに比べたらまだマシだが」
昨日、クレイグとエイブラハムが洞窟に到着してからもなお、襲い掛かって来た野盗。彼らの一味は、それなりの人数ながらロバを人数分有していた。野盗としては、それなりに大きい勢力だといえるだろう。
市場に出回っているロバの価格は、馬と比べた場合はともかく、決して安いと言えるものではない。
こういった乗り物が無ければ略奪しようにも取れる手段が少ない。精々待ち伏せをかけることくらいだが、機を逃して一度でも離されてしまえば、人間の足で追いつくことはまずできない。
どこかしらに係留してある馬をかっぱらうことができればいいが、普通の頭を持つ人間なら奪われる恐れがあるようなところには放っていかない。
そんなこともあって、それまでにも俺達は野盗共の存在を目にしていた。野盗共もまた俺達を目撃しているが、乗り物を持たない大多数の野盗共は、指をくわえて俺達を見過ごすことしかできなかった。
現在彼らを追いかけて来ているのは五人。昨日の野盗に比べれば規模は小さいが、人数分のロバ、五体も揃えられていれば上等な方だ。
クレイグらにしてみれば迷惑極まりないことなのだが。
しかし、今回の襲撃は普段と随分一味違った。
「あーもー、うざったいな! 『蕾』が使えるクレイグのロバさんなのに、なんであんな人たちに追いつかれそうなの!?」
「ロバじゃねえよ。俺の奴は、荷物をやたら背負ってるからな。多少遅いのは仕方ない」
空気塊を野盗に放ちながら、ややヒステリックになっているセレンをあやす。
やはり火炎岩の杖よりずっと狙いがつけやすい。空気塊はすぐに二体の石馬の首を吹き飛ばす。そのはずみで前方へ投げ出された野盗は、惜しくもこの追走劇からリタイアとなった。
空気塊の杖は三発で一セットだ。その次の三発を発射できるようになるまでの間隔が長いせいで、残る石馬の接近を許す。
すれ違いざまに、パスッ、パスッ……と乾いた音がしたことに俺は耳を疑った。
「なんと、今の音は」
「身を伏せろ! ……前言撤回だ。拳銃まで用意してるとは、昨日の奴らよりも羽振りがいい」
馬上での戦闘において使える飛び道具というのは、自然に種類が限られてくる。
例えば弓なんかは馬上からでは狙いをつけにくい。上手く扱える者なら、野盗になど身を落とさずその腕で用心棒でもやって食っていくことができるだろう。
扱いの簡単な
火薬の力で撃ち出される金属弾は、それこそ火炎岩以下の精度、威力しか持たない。しかし人の身に当ててしまえば動きを鈍らせるには十分だ。そして、市販されているような攻撃用の
俺は石馬の上で身を伏せたまま、杖の次弾が準備されているのを確認する。杖を構えて振り返るが、それより一瞬早く銃弾がセレンの裏腿に命中する。
「イッデ!」
虫にでも刺されたような声で痛みに驚くセレン。
俺もびっくりだ……というのもセレンの被弾にではない。セレンの反応に対してだった。
セレンは俺の肩を掴んだまま、恨めしそうに野盗を睨みつけている。これが俺には、銃弾を受けた人間の反応には到底感じられなかったのだ。
調子を狂わされたのか、今度の空気塊は一体の石馬にしか命中しなかった。
「……え? お前、撃たれたんだよな?」
「あとの二人は任せて。すぐ倍にしてお返ししてやる」
「あっ、待て、それは」
セレンは犬歯をむき出しにして背中からスズラン爆弾を取り出し、すかさず野盗の方へ向けて投げた。
彼女の投球にはコントロールというものがないらしく、野盗の方に向けて投げたというにはやけに上の方へ向かって飛ぶ。
スズラン爆弾はそれを自分で認識したかのように、カクンと急降下して野盗の方へ突き進む。
「ありゃなんだ?」
「どうもこうもねえ、攻撃だろ! 散るぞ!」
野盗の間に飛び込んだスズラン爆弾が大きく膨らみ、白く輝く。
その輝きに、寸でのところで片割れのロバの一部が飲まれる。その部分が巨獣に食いちぎられたように消え去った。ロバの持ち主は投げ出され地面に打ち付けられるが、痛みも忘れて恐れ慄いた。
彼らの判断がもう少し遅ければ、自分達の四肢が飲まれることになっていたかもしれない。それを今になって実感したらしい。
たまらず野盗共は落馬した連中を拾い上げるや否や、走り去っていった。
「どんなもんだーい。ハハッハ……ンアッ! クオォッ、アア……ッ」
「言わんこっちゃない」
セレンの背中の『蕾』は発熱し始め、こいつを苦しめる。
まあ、昨日の出来事から予想できていたことだ。冷静にエイブラハムへ取り次ぐ。
「学者殿! いったん足を止めたい。近くに丘か灌木はあるか?」
「非常事態ですな。あの低い岩山の下なら身を隠すのにうってつけでしょうな」
事態を理解していたエイブラハムは進路を変えて、傍に見えている崖の下に先導する。
去っていったロバ拳銃の野盗共はともかく、指をくわえて見ていたはずの野盗共に、セレンの様子を見て機会を感じられてはたまらない。
「セレン。あちらこちらから野盗が見てるから、すぐにはそれを抑えられない。あの岩山の下についたら処置してやる。それまで辛抱できるか?」
「ウァウ……ックゥ、うん、大丈夫……!」
爆弾を計三個取り出した昨日と比べて、今回は一個出しただけだ。多少はこいつにも余裕があるのだろう。
俺としても、こいつには落ち着いていて貰わなければ困るのだ。
熱に苦しむこいつが俺にしがみつく力がやけに強く、俺の肋骨がいつまで耐えられるかの心配をしなければならなかったからだ。
「ここらでいいだろ。セレン、背中向けろ」
程なくして岩山の下に大事なく到着した。石馬から降ろされたセレンは素直に従う。
昨日と同じ様に、土の魔力を染み込ませた紙、土吸紙を開ききった『蕾』の柱頭にあてがう。紙がぼろぼろと崩れると同じくして、『蕾』も縮こまる。
都合よくも、たまたま用意してあった便利な道具はここで底を尽きた。
「よく聞け。今までお前の『蕾』とやらの過熱を抑えられていたのは道具があったからだ。今、その道具はなくなった。次爆弾を使えば俺はそれを抑えられないから、もう出すな」
「……だけど、大丈夫なの?」
「問題ない。これがある。お前の身を守るには、これだけあれば十分だ」
お前のおかげで、思いのほか良い杖ができたからな。自分の身の他に二人を守るのに余りあるほどだ。
ぐらいに考えながら俺は大げさに空気塊の杖を振って見せてやる。どうにか自分の背中を見ようと身をひねっていたセレンはそれを見つめる。
弾はもちろん出さない。原動機の寿命は、その場に存在する魔力の割合の他に、内蔵された材料の容量で決まる。
簡単に表すと、セレンがすぐそばにいる限り、この杖は使用限界などしばらくの間来そうにもないということだ。しかしそれでも限界はあるため、無駄遣いはしないに越したことはない。
セレンは目を丸くすると、恥ずかしそうに目をそらす。一拍置いてまた目を合わせると礼を告げた。
「そっか……えへへ。ありがとう」
「あと、傷はどうなってる」
「へ?」
「さっき銃に撃たれたろ」
「うーん……あ、やっぱり大丈夫みたい」
セレンは胡坐をかいて座り込み、自分の裏腿をのぞき込むと親指を立てて報告する。
「力が強いどころか、皮膚まで頑丈だとは。こりゃたまげましたな」
「まあなんか、なんでもありな奴だしな。大丈夫そうな気はしてたんだ。問題ないなら、出発するぞ。もうすぐそこだ、飛ばしていくぞ」
「はーい」
セレンが答えるが早いか、一行は二人が石馬に跨ると再び出発した。
俺もちょっとこいつの『蕾』が持つ特異性に慣れてきたのだろうか、このくらいのことでは大げさには驚かなくなっていた。
どのみち、ここに着いたら彼らとはお別れなのだ。
『
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