動かない石馬

「もしもーし? 聞こえてますか?」


 跨ったまま石馬をコンコンと拳で叩きながら問いかけるセレン。

 石馬は頭を垂れて、弱々しくぶるんと鳴くと、それ以降うんともすんとも言わなくなってしまった。

 まるで生きているかのように感情豊かなものというのが定説の石馬だが、こうしているとただの石像と変わらないように見える。

 意気揚々と出発したエイブラハムとその石馬は出端を挫かれた形で、俺とセレンの元まで引き返した。


「どうしましたかな」


「石馬が急に動かなくなった。調整は出発前に済ませたはずなんだが」


「ほお、それは妙ですな……調整とは、時間がかかるものなのですかな?」


「症状によるな。今の時間からなら、野営の用意をしておいた方がかもしれない」


「では水場を探してきますぞ」


 現在の時刻は、午前四時十六分。真上辺りから二つの太陽が地上を照らしている。

 そろそろ気温がピークを迎える。こんな中の荒野を突っ切るのは自殺行為もいいところだ。

 ここから真っ直ぐモーリスが居る『穏火塔トーチ』まで駆けていくことができればギリギリ間に合う。だが石馬の調整をしなければならないとなれば、野営でもして太陽の片方が沈むのを待ってから移動するほうが賢明なのだ。

 

 荒野で生きる者達にとって、飲み水の確保は最重要と言える課題の一つだ。実際、各地に存在する塔の大部分は、かつて川が流れていた谷の付近に建てられている。


 現在ではその殆どが干上がり果てているが、この課題の解決は然して難しいものではない。

 削れば飲用可能な液体を生み出す鉱物、滝石がそこら中に転がっているためだ。それは氷とは違う性質を持ち、炎天下でも融解しない。

 エイブラハムの言う水場とは、その鉱脈のことを指している。


 水の調達は彼に任せるとして、石馬の胸元辺りを開いて原動機を取り出す。サイズはやはり親指大。杖に用いていたものと変わらない。


 原動機の役割を簡単に例えるなら、濾過器と言い表すのが近いと言えるだろう。

 ここメガロイグナ地方のような、火の魔力が八割以上を占めるような土地にも、多少なりともその他の魔力が漂っている。その雑多な魔力をせき止め、対応した魔力だけを蓄積する働きをするのだ。その際、各所に雑多な魔力の残渣が残ってしまうため、定期的に魔力の解放を必要とする。


 原動機に対応する魔力が五割を切る地域だと、その原動機を用いた魔道具ソーサリー・ツールは一切の動作をしないというのが定説だ。


 俺は取り出した原動機の解放弁を、開けては閉め、開けては閉めを繰り返してみる。

 しかし原動機は閉めた途端たちまちに詰まってしまい、火の魔力を受け入れないままだ。どれだけ弄ってみても、一向に解放を済ませた様子を見せない。


 剃れないまま一日程が過ぎた顎髭を触りながらどうしたものかと考えていたら、エイブラハムから借りたままの観測器を思い出す。

 取り出して布面を確認してみると、先ほど黒繭の前で観測したときのまま、未だに半分以上が緑色に染まっていたことに、おもわず目を白黒させてしまった。


「は? ここ、メガロイグナだよな?」


 おかしい。

 観測器から目を離し、石馬から抜き取った原動機をもう一度確認する。

 なるほど、さっきは気付かなかったが、うっすらと緑の蛍光が粒子のように零れている。

 原因と言ったら、こいつしかいないよな。


「おいセレン」


「ん! 駱駝さん、もう治ったの?」


「駱駝じゃねーよ、馬だ。まだ治ってないが、ちょっと頼みがある」


「なあに? お姉さんになんでも言ってみなさい!」


 セレンは鼻をふんと鳴らし、胸を張っている。

 お前のどのへんがお姉さんなんだ、という疑問は飲み込みつつ頼み事を伝える。


「あっちの方へ全力で走ってくれないか? 一分も走ったら十分だ、それくらいで戻ってきてくれ」


「走る? どうして?」


「確かめたいことがあってな。この馬のために、必要なことなんだ」


「わかった! よっしゃ、それっ」


 セレンは疑う素振りすら見せず快諾したと思うと、石馬から飛び降りては地面を蹴って走り出した。

 俺の目から見える彼女の体は十秒やそこらで豆粒のように小さくなり、次第に見えなくなってしまった。


 あの尋常じゃない体力もあの『蕾』とかいう原動機のせいなのか?

 そんな風になれる原動機があるなら魔道具ソーサリー・ツールもまだまだ捨てたもんじゃないな、とか考えつつ手元の観測器を眺める。

 布面からは緑の割合がどんどん減っていき、赤がどんどん顔を出してきた。

 いずれ赤が六、緑が四となったタイミングで原動機の解放弁を引いて、石馬の中に戻してみた。


「ブルルーーーーーーッ」


 石馬は赤く目を光らせ、覚醒した。あたかもそれを誰かに知らせたいとでも言うように、力強く鼻息を噴き出している。


「やっぱりアイツが原因なのかよ!」


 勘が的中したのは幸か不幸か。あのとき、火炎岩の短杖が二発しか出なかったのもこのせいだな。だが代わりに風の魔力が漂っていたことで、空気塊の杖で応戦することができた。

 いつもならまだ使えた核石を捨ててしまったことに少しへこむところだろうが、今はそんな場合じゃない。


 セレンの背中の原動機。どういった原理かは彼にも見当もつかないが、辺りの火の魔力を変換して、風の魔力を産みだしているらしい。


 普通の、一般的な原動機は、ある魔力を他の魔力に変換したりするものではない。

 俺はそれを知っているだけに、自分の出した仮定を完全には納得できてはいない。しかしセレンの『蕾』とやらを見る限り、あれはそういうものなのだと無理やり飲み込むことにした。

 

 これは本当に、難儀な奴だな。

 だとすると、石馬も風の魔力に対応させる必要があるな。

 ここにきて押し売られていたカガタケヤモリの体液一瓶が、こうも役に立つとは。空気塊の杖に用いてもなお、余りがそれなりにある。

 しかし、これだけでは材料が足りないな。クレイグは更に思考を巡らせる。


 一応、セレンに頼らず火の魔力だけでも動かせるようにもしたい。できるだけ火の魔力と反発しない素材が必要なのだ。


 火の魔力というものはエネルギーを多く生むため、活用する上では非常に便利なものだ。その代わりといっていいのか、他の水、土、風すべての魔力に対して劣性を持ち、共存すると効果が落ちてしまう。

 だからそれぞれを中和できるように原動機を構成しなければならないのだが、手持ちの土吸紙では風の魔力が使えなくなってしまう。

 さてどうしたものか。


 そうこうしているうちに、こちらまでセレンが戻ってきた。


「どうだった? 麒麟さん治った?」


「お前は麒麟を見たことがあるのか」


 麒麟とは、幻獣の一種である。

 一定の土地に住まい、その土地に漂う魔力の源とも言われている幻獣の中で、なぜか各地で目撃されているなど、詳しい生態が知られていない存在だ。

 俺も見たことなどはない。師匠なら知ってる可能性もなくはないが。


「うーん、本で見たよ! 首がうんと長くて、まつ毛がぱっちりしてるの」


「お前が本を読むのか。驚いたな、実際に麒麟を見たってよりも驚いた」


「ふふん。読書は好きだよ。どうじゃ」


「褒めてねえよ」


 セレンが戻ってきたことで、再び項垂れる石馬。

 こいつか石馬か、どちらかを置いたまま材料の調達というわけにもいかないしな……。

 どうにか解決できる手はないかと、しばらく考えているとエイブラハムも戻ってきた。


「クレイグ殿、水場が見つかりましたぞ!」


「さすがは地質学者殿、だな。そういうのを見つけるのは早いな」


「いやいや、偶然ですぞ。では早速、移動といきたいところですが……まだ動かないのですかな?」


「こいつさえ近くに居なければ動いた。今のまま石馬を動かすなら、こいつを置いていくことになってしまう」


 俺は石馬の上にまたよじ登り、頭だの尻だのを叩いては声をかけているセレンを指しながら言った。


「それは少々やっかいですな。どれ、では交互に向かいますかな」


「近場なのか? 俺は現地までの道を知らないんだが」


「ううむ。案内しながら進むというのも難しいですしな……」


「これが動けばいいんでしょ?」


 石馬が動かないのは自分に原因があるとなんとなく察したのか、頬を膨らませたセレンは石馬の腹に手を回し、抱え上げて肩に乗せる。


「……おい」


「……言葉も出ないとはまさにこのことですな」


 口をあんぐりと開けて、彼女の小さい肩に軽々と支えられている石馬を見つめる男二人。

 石馬の重さは、本来人間が担げる程度のものではない。

 これは案外、便利な奴だな。


「では学者殿、案内をお願いできるか?」


「うむ! こちらですぞ」


「あー! 私にするのと頼み方がちがーう!」


「まあまあ。いやはや、助かりましたぞ。どうしたものかと思っていましたからな!」


「むー」


 なおのこと頬を膨らませ不平を漏らしながらも、石馬を下ろさないセレン。

 こいつに対する態度も、ちょっとは改めないといけないかもな、と考えつつエイブラハムのあとに続く。

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