第35話 砂護野晴だ 4


「―――砂護くんも、能力を使うんだね」


能力を使えるんだね、と微笑む水橋李雨が、まず声をかけてきた。

心臓の音はまだ川下りの後味というか、余韻を引きずっていて、はげしいままである。

落ち着くにはもう少し時間が必要かもしれなかった。


「あ、ああ―――僕はそう、あのうそのう―――、水は使えないんだけれど地面を少々………」


「少々………?」


「コンクリもいけるんだ。あれは大抵、砂利じゃりが入ってるし、薄ければ下の地面ごと持ち上げて―――」


「すごい………、そんなの、出来る人いるんだ………」


彼女は呆れるような、笑みを浮かべる。

僕も、自然と顔がほころんでしまった。

彼女の笑顔は、今までよりも―――自宅を訪れた時よりも、遥かに自然に見えたためだ。

安全地帯に来た、追手から逃れたことも、安心の一助となったが。


「僕も………水は、初めて見る。すごいな………泳ぐのが得意だっていうのは知ってたけれど………もう無敵だな!」


彼女は照れたのかどうかわからないが、少し頬を持ち上げて、下を向いた。

困ったような表情が、可愛らしかった。


「そうか―――水か、能力者の―――」


純粋に嬉しさが溢れてくる状況ではないだろうか。

同じ高校に通う中で、他にいなかったのだ、それに見つかるとも思っていなかった。

能力は違えど、出会いがあってよかった。

僕は衝撃を受けるかとも思ったが、こうして出会ってみると、心の中には安心感が広がった。


「かっ………可愛いなあ」


彼女は返事はせず、おかしそうに笑った。

僕はいつかの嘉内夕陽を参考にした。

アイツはもっとこう―――水橋宅を訪問した時もそうだが、明るい言葉遣いをしている。

とりあえずいいねしておけ。


「い、いやいやいや―――変な意味じゃなくて、僕なんかはほら、ゴツゴツしてるから。水はスゴイ、女子って感じじゃあないか」


僕は何かと話題を探した―――話が途切れないよう。

だが本心はそうだった、言葉とそう変わらなかった。

これはショウさんやハタガミくんにも伝えたい、『仲間』を感じ、僕は心底、感動した。

彼女は聞いていた、黙って聞いていた。

どれ、何とか彼女を元気づける話題は何のだろうか、と昨今の経験談、面白い話をいくつか考える。

最近何か面白いことあっただろうか。

真っ先にハタガミくんが渓流釣りで電流を使おうとした件が思い浮かんだが、アレを笑い話として語れるだろうか。

女子はウケるかなあ、笑うかなあ―――男子なら馬鹿話としてある程度通用するかしないか………。


ぶるる………っと身が震えた。

そういえば水に飲まれて、水に流れ流され、僕の服はびしょ濡れなのだ。

歩くと、一歩踏み出すたびに靴から水が散ったので今は脱いでいる。

これから夏にむかうという季節なので、そうそう風邪などは引かない、逆に気持ちいいくらいに感じたのだったが。

僕は風邪をひいてもいいとして、彼女までそうなることはないだろう。

服なんて、透けて肌に張り付いているし。


僕は今日も彼女の私服を見ることとなっているが、今日は趣が違った。

思えば不登校時となってから初めて、彼女と出会ったようなものなので、学生服姿の彼女の記憶などは薄れているのだが、今回はさらにその記憶が薄まることとなる。

水泳部だからスタイルが良いのはなんとなく服の上からでも察せられたのだが、今日はその服が肌に張り付いて質感が丸わかりだった。

ああ、そんなのじゃあ、風邪をひくと思うぞ。


下着は薄桃色だった―――上の方の。

それだけ確認してから、はっと気づき、素早く目を離し―――そして目のやり場に困る。

強烈だ―――強烈だ。


ええと、………強烈だ。

もう今までの彼女の印象がどうだったか思い出せない。

直視できない。

どうしよう、川を見よう、そう、そうしよう。

彼女に、失礼のないように。


さてどうすればいい―――非常に混乱している。

いきなりこんな―――違う、これは―――違う。

違う世界、異世界に来たような気持ちだ。

そう、行ったことはないが急に異世界に行く羽目になった時とは、こういう心境に違いない。

叩き落された。

違う世界に。


周囲が大自然であることも、その感覚の麻痺を加速させる一因となっている。

川の水面に日光が反射し続け、どこか神聖な雰囲気がある。

ここ、本当に日本だったっけ、ぐらいの感覚の、別世界である。


彼女は相も変わらず顔を水面に向けていて、こちらを見ていない。

そうこうしている間にも、透けている。

透け続けて---いる、彼女の私服。


………見てもいいのかな。

じゃあ見てもいいのかな。

そんなわけもないのだが、彼女の脇の下を通る、男子ぼくならばあり得ない形状の薄桃の下着を目に焼き付けた。

あ、あり得ないぞ………!

男子ぼくだったら、それはあり得ないぞ!


焼き付けたり目を逸らしたりを繰り返した。

僕は小学生の頃からそれほど精神が変われていない男子なので、同級生の女子が本当に小学生のころから成長しているかなど、知るよしもない。

身体的に成長を遂げているかなど、知る由もない。


だって、見せてくれないし。

だからブラジャーというものの存在を知識として持ちあわせてはいても、今日の今日まで正確な形状を知るすべもなく、そのようなものを同級生の女子が毎日身に着けて登校しているのかという点においては、どこか半信半疑、別の世界で起きている物事のように思えてならなかった。


へえ―――実在するんだ。

それ。

実在するのですね。


そ、そうか………そういえば女子生徒だった。

もしかすると、女子生徒だった。

いや、―――だからそんな恐るべきことが起こっていても、おかしくはない―――と思う。

女子だからブラジャー。

ブラジャーだから女子。

そう―――か、言われてみればそうだな。


これは普通だ、それほどおかしなことではないのだと。

そう思おうとするが、心の容量を超える。

これは大丈夫なのかと。

大丈夫なのですか………これ、ええと、女子って。

そんなすごい………恐ろしいことするの女子って?

いや、嬉しいけれど………いや、これも違うな。

なんだよ、それ。

なんだよそれって感じだ………駄目じゃあないけれど………なんか、心の容量が、越えてて。


勝った。

勝ったのだ。

僕は特に理由もないが、そう思う―――何かに勝ったような気がしていた―――いや、何に勝ったかなど問題にならない無上のよろこびがあった。

勝利というよりも達成だろうか。

達成はしたし、もういいかな。

もう死んでもいいかな。

見れるだけのものは見たし、人生の八割ぐらいは達成したと思うが。

今日、それだけ達成しましたよ。


今までは地味な高校生活を送る地属性能力者だったけれど、今日だけはすべてを許せそうな気がするよ。

この世界で起きているあらゆる悪事、理不尽なことを許せるし、感謝こそできる。

神様ありがとう。

神とかお釈迦様といったものの、仲間入りを果たした。


生まれてきて良かっ………そう、それだよ。

生まれた意味を知る―――、みたいな。

生まれた意味を知ることがある。

理解することがある。

わかったよ、神様―――今わかったわ―――すべてを理解したよ砂護野晴は。

人生って、良いものだなぁ。


それからもう何度かちらちらとみていた。

眼球の運動が激しくなる僕。

はたから見れば、目が泳いでいるような動きだ、動きである。

僕、いま目が泳いでいるんだよ―――水属性でもないのに。







「砂護くん」


彼女が川のせせらぎと同程度の音量で、呼んだ。


「は、はいっ―――!」


不意をつかれた僕は、授業中に先生からあてられた時のような、いやそれ以上にはきはきとした返事をしてしまった。

何故だろう。

とにかくマズい気がしたのだ―――ば、バレた?

バレてしまったか。

見てることを―――いや、不可抗力だよ、だって隣に座ってるんだもん、見るでしょう普通。


「なんで、だろうね」


と彼女は言う、言ったのだが―――え?

なんで、とは―――え?

なんでとは何だろう。

なんでって。

僕がブラジャーひとつでここまで盛り上がることについて、なんでということですかぁ?


いや、しかしですよ?

それを言われても、あの、問い詰められても、どうしようもない。

そこは向こうにも、落ち度はあると思いますよ、まさか女子がブラジャーをつけているなんて―――そんな凄まじいことがあるとは―――。

思い、は、しましたが、しかしこれは………!

いやいやいや。

そこまで心を読まれてしまったのか―――この子、僕の心が読めるのか?


「バケモノ、だよ」


水橋がこちらを向いて呟く。

予想外のことに僕は少し、うろたえた。

彼女の眼の端には、小さく光る水が浮かんでいた。


瞳に浮かんだ涙。

それは水属性能力者ネオノイドの彼女が。

能力の発動ではなく、通常の―――目を光らせないまま、浮かべた水。

それは人間にだってできる―――ただの、感情を流したもの、それだけだった。


涙を浮かべて、今、丸い頬を流れ落ちた―――、そして彼女は言う。


「砂護くん………私、バケモノだぁ………」


それからも、彼女は。


「モンスターだよ、妖怪だよ、気持ち悪い」


と、ぽつりぽつりと、呟く。

諦めるような表情で、今度は僕を真っすぐ見ていた。



僕は空を一度、見上げる。

さあて―――どうするか考えなければ、ならないのかな、これは。

息を整える―――どうやら勝ち逃げは許されないらしい。

ついさっきまで、精神的には神にでもなっていた気持ちの僕だったが、慢心、おごりだったらしい。

こうなれば、どうするか。

もう一度地味に、地道に生きてみるか。


「―――それは違うぞ、水橋」


本心だ、僕はそんなことを思ってはいない。


「その力があったから―――できる事はある。奴らから、逃げ切れたのもそうだし―――」


そんなネガティブな感情は全く持っていないのだ―――どうしてだ?

なんでそんな顔をする。


「そうだ、今日は水橋から助けてもらったじゃないか―――恩人おんじんなんだよ、

恩人」


さらに付け足す言葉は今から考える。


能力者ネオノイドだ―――そう、バケモノじゃない」


あの黒塗りの車の男が、喚いた泣き言を、思い出す。

バケモノ―――が、拳銃よりも、ずっと危険なバケモノが!人間の皮をかぶって―――!

だったか、あんなものを真に受けなくともよい。

僕等はね、すごいことが出来る。

それだけだよ。


「あんな奴らのいう事を聞かなくてもいい―――あれは能力者でも、無いんだろ?」


あんなものは、あんな奴らは外野だし、適当なことを叫んだだけだよ。

彼女は、黙ってそれを聞いていた。


「うん………わかるよ、わかるんだけれど………お母さんもね」


「え?」


「お母さんも………だいぶ私のことで考えてくれたみたいで………教団も探して。でもなんか情けなくて………みんなも、水泳部にも―――私、いてもいいのかなって、よく思っていて」


彼女はいろんな感情を流した。

自分は水泳部にいてもいいのか。

部活動に―――学校に、このままでいいのか。

彼女は不登校で、その家に引きこもる間に、ずっと考えていたことが何となくわかった。

学校に、不登校になる前から、その時点から―――すでに一人だった。

孤独だった―――そう思っていたらしい。


相談できる能力者はいなかった、という彼女の発言は、まあ嘘ではないだろう。

僕も知る限り校内にはほかにいない―――。

そして彼女もまた、僕が、砂護野晴をそうだとは知らない―――隠していたのが裏目に出たようだな。

流石に彼女の場合は思いつめすぎな気もしたが、僕もその孤独を、考えたことがないとは言いがたかった。

こんなことになるくらいだったら、僕は堂々と口にするべきだったかとも、考えた。


「なあ水橋―――あ、水橋さん、だな」


「いいよ、もう呼び捨てで」


「ああ―――その能力者ネオノイドの事なんだけれど、相談に乗ってくれる人がいるんだ」


「それは教団の人?」


「うん?違う違う―――ていうか教団って何なんだ―――まあ相談に乗ってくれる人ってのは、僕の師匠なんだけれど、修行の」


僕の知り合いの人だから安心できる―――彼に、会ってみるつもりはないか?

僕は話を持ち掛けた。

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