第1話 水泳少女に会いに行く 1

何時いつからかはわからないし、もしかすると生まれた頃からかもしれないけれど、僕は他人の名前を記憶するのがひどく苦手だった。

クラスメイトの名前を覚えるのが、ひどく苦手だった。


よろしくないことだと思うので、この癖を、治そうとしたこともある。


世の中では人の名前を憶えないのは失礼なのではないか、というような風潮があるが、常識があるが。

それでも苦手なものは苦手であり、一日や二日で治せるものではないし、この世に生まれてそろそろ十七年を数えようとしている僕だったが、一向に得意にはならなかった。


苦手というよりも―――そうだな、苦手というのは適切ではないかもしれない。

気が進まないのだ。

仮に、クラスメイトの名前すべてを暗記している人間がいたとするならば、僕はそれに対して異常性を感じる。

なんだかストーカーみているのではないか。

だから覚えていなくてもいい。

というのが、僕の言い分だ。

理由である。


知らない人間に僕の名前、その他の情報を覚えられていたら、その瞬間に好意を感じるだろうか。

怖い、と僕は感じる。

他人に情報を知られるのは、僕の恐怖のうちの、かなり上位だった。

僕を追跡している人がいますよー、いくつか離れた席にいますよー。

それは秘密を抱えて生きている僕の恐怖のうちの上位だった。


そういう理由付けをして、結局のところ僕は中途半端に投げ出した―――。

なぁに、問題なし、世の中には、人の名前よりももっと大切なことがあるはずだろう。

そうだろう?


もともと、会った人間に好印象を与える自信がない僕は、不審者扱いされるのが怖いのでそういう記憶をしないようにしていた。

気が引ける。


だから―――。

だから今日、会って話をする予定の水橋李雨みずはしりうのことも、僕はあまり覚えていなかった。

彼女は同じクラスの女子生徒だ。

二年四組の一人の生徒、つまり僕と同じクラスの女子であるしもちろんともに授業を受けていたことがある―――ということ以外、ほとんど知らなかったのである。


季節は梅雨。

六月のとある日の、夕方。

僕と我がクラスの委員長は、町を練り歩く。

僕の住む自宅、地域とはかなり離れている、住宅街だった。



水橋李雨は今日、学校に来なかった。

今日というよりも、現在、最近。

学校に登校していないらしい。

同じクラスの彼女が不登校になり、教室に来ない。

担任の先生から、彼女への連絡係を頼まれてしまう僕。

それが現在の状況である。


「ごめんなさいね、砂護さごくん」


僕のクラスの担任教師、二年四組の柿本かきもと先生は、職員室の椅子を、ぎ、と少し鳴らして、姿勢を整えた。


「水橋さんと家が近い子は何人かいるのよ―――確かにいるの。だからピックアップしているのだけれど、他の子は、ほら―――部活に所属しているなりなんなり、断られてしまったのよ、そういう訳で、お願いできるかしら、砂護さごくん?」


そう言われてしまえば、まあ一日くらいならなんとかしようと引き受けた僕だった。

僕は頼りになる男子扱いされることを、嫌う男ではないのだな、うん。

なんだかいい気分。

現在帰宅部である僕は、それでも消極的というほどではなく、誰かのために働くことを強く拒む人間ではない。

人の役に立ちたいとの想いはあった―――秘密がバレない程度に。


「ええ………でも女子ですか?」


「あら、嫌なの?」


「そういうわけではないのですが、嫌がらないかなぁと―――向こうが。僕を」


強く拒みはしないがそんな風なことは言った僕。

弱く拒んだ。

柿本先生は一瞬、ぽかんとした表情を浮かべたあと、意外に豪放な笑い方をした。

いや意外でもあるまい、基本的に明るい女教師であった。


「あっはは。またまたぁ、なんなのよ、いいじゃない砂護さごくん真面目そうないい子なんだからぁ」


いつも見ている担任の私が保障するわ、と先生は言う。

あまりいつも見てほしくはない―――僕には隠し事がある。


「………はは」


乾いた笑いを上げる僕。

参ったな、帰ってゲームでもしていたら気楽なのに、と内心思う。


「まぁ、一人じゃあ何だし、委員長もつけておこうかしら」


と、今ならこの商品もつきますと笑顔で紹介する量販店の店員のようなことを言う先生。

委員長もつける。

………あの委員長にまず頼まなかったのか。

そう思う僕である。

―――嘉内かない委員長、彼女ならば僕よりも女子の相手は出来よう。

僕よりも、そうなんというか―――自然な流れで。


「じゃあ、ちょっと学校を休みがちな子に、ノートとプリントを届けるっていうミッション、引き受けてくれるかしら、砂護さごくん?」


担任教師からのそんな頼みを、ちゃんと真面目に聞く男子生徒。

ノートとプリントくらいなら届けてやろうじゃありませんか。

彼女と自然に親しげに話せるかどうかは別として。

そう思い、引き受けた。


「病弱な女の子と出会う機会っていうのは、なかなか悪いものではないのよ男子にとって―――そうよねえ?」


「いやいや………え、その子は、身体が悪いんですか?」


休みがちな子には休みがちである事情、理由はあると思うが、何も知らない状態でその子のお宅に行くのは流石に無謀であると言えるだろう。

うまくコミュニケーションを取れるかどうかわからない。

彼女のお宅では大人しく振る舞うつもりだが、ほとんど話したことがない男子生徒が乗り込んでいって、どうしろと。


「プリント、渡して二言三言、挨拶をすればいいのよ」


「はあ……」


まあ気楽に。本気で取らないで、と付け足し、微笑ほほえむ柿本先生。

まあ深く入らない話もあるのだろうが―――訳ありなのだろう。



僕は砂護野晴さごのはら

一般的な高校生二年生をやっている。

やっているというか、演じている。


その一方で、別の側面も併せ持つ。

新人類で、大地を操る地属性能力者だ。

地味なものだよ、地属性能力者の日常なんて。


始めに言っておくけれど、僕が能力者としての活躍を見せる場面、能力をふるう場面は、しばらくないみたいだ。

それはそれで、この社会が平和である証拠でもあるのだけど。

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