第21話 嘉内夕陽という女 3




僕はその時、嘉内夕陽の声を聴いて、唖然とした。

嘉内夕陽――さん?

え、何で意味がわからないのだが。

そこは高校からは距離があったし、何故彼女がここに来るのか、意味が解らなかった。

もちろん話したこともない僕と待ち合わせなどするわけもない。

僕は状況を飲み込めなかった。


「はあっ―――、はあっ―――遅かったか、流石に走ってじゃあ―――はあっ、無理だったかしら、ねえ砂護くん、誰かいた?」


夕暮れ。

夕陽に照らされている彼女は逆光で、違った人に見えた。


息を切らして、ずいぶん急いでいたらしい嘉内夕陽。

長い髪がばさりと波打ち、振り向く。

髪型は崩れているはずなのに、みっともなさなどは微塵もない。


「ええっ?」


「―――『目が光ってるヒト』いなかった?」


嘉内夕陽がこんな鋭い―――必死になるような、声を上げるのをはじめてみた。

授業中の受け答えは、お手本のように流暢りゅうちょうだったのだが。

まさしくそういうところが男子の注目を集めていたといっても過言ではないだろう。


彼女がしゃがんでコンクリート破片を検分している―――それを僕は、様子を眺めていた。

正確には、僕の能力によって破壊されたかけらだ。

破砕された建物のかけらをいくつか見ているうちに膝と手をついて四つん這いになった彼女を尻目に、僕はただ困惑していた。


なぜ彼女がこんなところに。

何とも言いがたい奇行だ―――いや、ここを離れなければ―――ひどくマズい気がする。

まあギミーとか名乗るあの男が原因ではあるものの、説明を上手くできる気がしない。



僕はどう動けばいいのかわからず、教室でのイメージとはかけ離れた彼女の奇行を眺めるのも悪い気がした。

彼女はぶつぶつと、両手を地面につけてコンクリートと話しているようで、表情は窺えない。

彼女はコンクリートと喋る系の女子だった―――らしかった。

僕はなんだか、彼女の見てはいけない一面を見たような気分になり―――。

目の―――やり場が困り、結局彼女の行動には目をつぶろうとした。



四月の事なので、制服は夏服、冬服とあるうちの冬服―――まだ肌寒さは残っている気温である。

冬服は夏服よりも厚着で、上着はごわごわとした―――硬い布である。

スカートも厚手である。


制服というものは、学年の全員が同じだ。

学年どころか全校生徒が同じだ。

同じとは同一。

個性無し。

個性というパラメータがあるのならば、それはゼロで統一されている制服。

なんの面白みもない。


制服の。

特に冬服というものは、基本、身体のラインが出ないものだと、僕は思っていた。

しかし確信をもって言える。

嘉内夕陽の尻は丸い。

胸は丸いってもう知ってる。

丸さが持ち上げている、制服を持ち上げている。


直接見てはいない、見たわけではない。

見てはいないないが、知ることはできるから人間とは不思議なものだ。

膝の裏や太ももは白い。

それは見えた。


尻目にっていうか、僕は尻を見ていた。

教室ではまず取らない彼女の姿勢に、あっけに取られていた。



「―――断面」


彼女の声は僕に向かっては発せられていない、ようだった。

彼女はぶつぶつと、コンクリートと話しているようで、表情は窺えない。

彼女はコンクリートと喋る系の女子だった―――らしかった。


「断面が、しろく、新しい―――これは壊されたばかり」


そのひんやりと冷静な口調は。

なんというか―――。


例えば。刑事が現場のアパートに押し入り、誰もいない部屋の、敷布団に手を当てて、まだ布団が温かい、犯人は近くにいるはずだ―――周辺を探せ!という時の雰囲気に酷似していた。


「周辺を探すのよ!」


本当に言ってしまった、酷似しているとかじゃなくて。

うん?酷似で合っているのか?

彼女は僕がなにか言おうか迷っている間に視線をさまよわす。

ちなみに彼女は僕のことを、ほぼ見ていない。


「ところで砂護くんは何でここにいるの?」


気が付いたように、彼女が言った。


「へぇッ!」


僕は見てません、何もじろじろ見ていませんよという気持ちを込めて驚いた。

実際夕焼け空がまぶしいのと入り組んだ建物の影があるのとで、この日は視界が悪かった。


この時の僕は彼女と話したのが、経験ゼロ。

皆無。

ていうか同じクラスになった直後だったので親近感はゼロである。

僕の心境慌ただしい変化に対して、彼女の表情はほとんど変化していない―――いや、少しずつ冷静になっている。

最初に走って飛び込んで来た時よりは、静かになった。


「いや―――嘉内さん。地面にコンクリに膝付けて、痛くなるぜ………なっちゃう。そういうのやめよう、怪我するよ」


その日は初めて話したようなものなので、そこそこ丁寧に話していた気がする、この時は。



「うん?………ええ、まあ」


そういえばそうねと言いながら、彼女は、立ち上がる―――しぶしぶと、仕方がないという風に。


「でも怪しい奴がここにいたでしょう?」


「怪しい――――やつ、は………」


僕は彼女の表現があまりにもしっくり来たので、怪しい奴が、つまりその日のギミーさんが姿を消した方向に、ゆっくりと顔を向けた。


「―――いたのね!」


やはりそうか、という感情が彼女の口から跳ねた。

そんな声。

声だけでなく、彼女も飛び跳ね、スキップ。


崩れた建物、つまり鉄筋混じりのコンクリートの山を、がらがらと走る嘉内夕陽。

走って上る。

破片が今にも崩れそう。

靴は学校指定の、たいして特殊でもない靴だ。


僕はその様子を見て、手を伸ばし、おいやめろ、と言いかけた。

だが彼女は瓦礫の山脈を、野生の鹿か何かのように跳ねて走り、僕の視界から消えた。

まあ今更、彼女の運動神経が良かったところで驚くこともないのだが。

そのまま犯人を追いようとした、追いかけたと知るのは、後日だ。


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