第4話 水泳少女に会いに行く 四


水橋李雨の母親にも出会った。

初対面では玄関に顔を出し、ぱぁっと目を輝かせ―――どうぞ、すぐにお茶を用意するから、と言って、台所にぱたぱたと走った。

写真での娘とどこか似た笑顔である、それは当然として―――頬のあたりの感じなど、よく似ている、世辞ではなく若々しい。

見た目もそうだが、身体を動かすのが好きそうである。


嘉内夕陽が僕をじっと見ていることに気付いた。


「………うん?どうした」


「若くて綺麗ね」


「………ああ、まあそうだな」


「ふん」


と、嘉内夕陽は娘に向き直った。

水橋李雨へ。


別段、問題のある母親には見えなかった―――高校生の二人の来訪を笑顔で迎えてくれた母親。


紅茶が出されたころ、水橋李雨はぎこちなく腰かけていた。

母親の方は、邪魔をしないように、と席を外すことになった―――ううむ、いてくれても構わないのだが。

何か話せればいいし母親がいればもう少し、彼女のことがわかるかもしれないが。


この部屋に現れたときは、足取りも重い様子だったが。

ぎこちなかったが。

しかし風邪をひいた

時の僕なんかも、大体似た動きのような気はした。


「制服は―――着ていないのね」


嘉内夕陽、委員長は最初にそう呟く。

言われてから僕も見返す。

見てもいい、というような心の許可をもらったような気がした。


事実、彼女は私服だった。

そのため、人の名前を覚えるのが下手だった僕は、ますます、初対面の人間に見えた。

初めてこの人に出会ったのではないだろうか、という考え。

思考に支配される。


「自分の、家だから―――」


水橋は、彼女は、呟く。

小さく、かすれがちに。

しばらく待っていても、その次の言葉は続かず。

元気はないようだ。

内気な女子生徒、といった雰囲気であった。


「いいじゃない、可愛いし、ね、砂護くん」


「………え、僕に振るの?」


彼女の自宅なので、私服なのは当たり前だ。

むしろ制服で初めて訪れた俺たちの方が異物である―――嘉内はさらにコメントを急かす。


「オトコ目線で」


「うん、………いいと思うよ水橋さん」


と、途端になんだか恥ずかしくなり。


「これが授業ノートだよ、あと英語のプリントとか」


持ってきた、ものを渡す。

メインのお届け物を手渡すことには、成功できたので、少し安心する。



今のところ、僕の想定する引きこもり―――例えば映画やドラマに登場する、社会に不適合なタイプの人間には見えなかった。

表情はうつむきがちであるが、身体からの情報量がある。

かつては水泳選手―――選手かどうか、詳しいことはことはわからないが、とにかく体育会系な生徒だ。

見た目の印象からも、しなやかな動きをしそうな身体と女性的なものが相まっていた。

水泳は全身運動であり、カロリー消費で言うと大抵の陸上競技よりも負荷がかかると、うろ覚えの知識を持っている。


「僕も―――引きこもり、のようなものだし」


「え?」


「いや、あのさ―――まあ部屋で一人でいるのもいいかな、と」


僕は、言ってしまった台詞せりふの、補足をする。

まあ深い意味もないのだが。


「学校休みたい日とか、やっぱりさ、あるじゃん―――だから水橋李雨―――さん、まぁ、僕は気にしないんだ、たまに休むことぐらい、誰でもあるよな」


僕が身振り手振りをつけたしながら、拙い表現をしている。

それを見かねてか、嘉内も


「ああ、それはあるわね」


「だろ?」


「でもさ、サボっても行くところがあんまりないのよ………もうすこし田舎じゃないところだったら、お店が色々あるのにね」


「ああ………うん」


水橋さんは、またもやうつむきがちになる。

僕たちはそうなると、じっと見つめる時間が多くなってしまう。

手持無沙汰に、うつむきがちのクラスメイトを、黙って見つめる。

必然的に、女子どうし、嘉内との会話が多くなっていった。

僕としては、謙虚な女の子を眺めている時間というのはなかなか良いものでもあったのだが。

たとえ会話が思うように続かなくとも。

嫌いじゃあない。

嘉内委員長は紅茶のティーカップを持ち上げた。


「あ、コレおいしそー」


そこからお菓子に目を移し、何らかを口走ろうとした嘉内。

おしゃべりな彼女に頑張ってもらえるようで、嬉しいと思ったのだが。


「今日はありがとう―――二人とも」


水橋さんが、自信無さげに―――気まずそうにそういった。

ただし精いっぱい笑っているようにも見えた。


「高校のプールは、今どうなっているの」


高校の水泳用のプール。

そのことについて聞いてきた。

僕は嘉内を見る。

彼女も僕を無表情に見ていた。


「高校のプールは、まだ―――直っていないの?」


それは、心配事のようだった。

彼女には心配があるようだった。

高校に入学してからも水泳部である彼女に対して、僕は下手な嘘はついてみようか、とも思ったが。

まあ無駄だろうと思った。


「直っていないよ」


無駄なので。


「まだ、壊れたままだよ。ボロボロの、底がひび割れた状態で、容器いれものとしては使えない。水が張れない状態だ」


事実を述べた。


述べて、そこで僕はようやく思い至る。

ああ、だから彼女は、高校に来なくなったのかと。

僕たちの通う学校には、ちょっとした事件があった。

いやちょっとどころではないか、奇妙な――事件だった。


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