第27話 曖昧な方がいい事もある

 そんなゴールデンウィーク直前。

 会社移転の手続きで多忙な俺に代わり、里琴ちゃんから女神ヌレニスへ候補者の選定を伝え、後は女神ヌレニスがどうするかを判断して連絡をくれる手はずが整った。これは色々な意味で大助かりである。


 そうして引越しの準備もひと段落し、俺は予てから予定していたお墓参りへと足を運んだ。


「なるほどなるほど、ここが人間界の墓地ですか。ボクの探究心がうずうずしてきますね」

「ルココ、あまり走り回るなよ?」


 俺は女神ルココを伴って、一つの墓石の前に立つ。

 とても綺麗に掃除が行き届いており、手向けられている花も数日と経っていない様子である。


 俺は感慨深い想いでしばらく墓石を見つめていた。

 どれくらいの時間をそうしていただろうか、後から追って来た里琴ちゃんとヒナが追い付いてきた。

 里琴ちゃんはその手にお線香とお花を。ヒナは水桶と柄杓を手に歩いている。

 四人揃ったところでルココが口を開いた。


「どなた様のお墓なのですか?」

「三年前に異世界転生させた男の子のお墓なんだ」


 神子田均かみこだひとしくん。

 小児ガンと戦う十四歳の男の子だった。

 俺と里琴ちゃんが一緒に仕事をするようになってから、初めて異世界への転生を請け負ったクライアントである。


 里琴ちゃんが少し震えた声で言葉を発した。


「この子ね、異世界に行ったら医療魔術のチートを貰って、病気で苦しむ子供たちを助けて回るんだって……そう言っていたの。その夢、叶ったかなぁ」

「人間は不思議ね。自分が助けてもらう側の立場なのに、助けてあげる事を望むなんて理解不能だわ」


 俺が神子田均くんと出会った時、彼の両親は医師からの余命を告げられていた。

 我が子の命があと三ヵ月と持たない事を知らされた両親から、我が社に一本の連絡が入ったのである。


 彼が大好きだった異世界物のライトノベル。

 八歳から闘病生活に突入してしまった彼には、ライトノベルという作品を読んでその世界を堪能するくらいしか、自分の生きている世界を広げる手段がなかったのだろう。

 息の詰まる病院での生活に愚痴の一つも零す事無く、寧ろ両親を気遣うような優しい子だった。辛い治療も、病の痛みも、頑張れば報われると信じて疑っていなかった。


「ボク、正直な事を申しますとお墓参りとか初体験なのですよ。お作法とかあるのでしょうか」

「これだから異世界の神は……。大切なのは作法ではなく、故人に対する想いよ。見てなさい、こうするの」


 ヒナは墓石の前に小さく屈み、静かに両手を合わせて両目を閉じた。


「なるほど、でわボクも……」


 小さな背中が二つ並んで故人を偲ぶ。

 二人とも彼を知らないにも関わらず、こうして素直に手を合わせられるのは、やはり神という存在だからであろうか。


「社長、はい」

「ありがとう」


 俺は里琴ちゃんから手渡された柄杓で、墓石を潤す。


 両親からの依頼を受けた俺は、彼に異世界へ行ける事を伝えた。

 ご両親が本気でそれを信じたかどうか、正直に言えばかなり怪しい。

 それでも、六年以上に渡って病と闘い続けた我が子が望む、異世界への渡航。それを形だけでも確約してくれる我が社の商品として、異世界渡航希望カードの発行を望んだのだ。


 実は、そこから先が本当に大変だった。


「元気にやってるか? もうとっくに平和をつかみ取っているだろうな」

「均くん、私ね、ようやくちょっと前進したと思うの。これからも異世界から見守ってね」


 俺と里琴ちゃんが墓石に語り掛ける様を、二人の女神は心底不思議そうに見つめていた。


 彼に異世界渡航希望カードを発行してから二ヵ月の間、俺は寝る間も惜しんで働いた。

 カードを彼に発行した段階で、転生者を募る神々からの依頼が一つも無かったからだ。

 例えあったとしても、神子田均君がその神々に求められるかは別問題であったし、ましてや医療魔術を体得して、病気に苦しむ子供たちを助けるようなストーリー展開が望める異世界など、見つからないかもしれないと思っていた。


 そんな時に出会ったのが、神アバルである。

 依頼を引き受ける代わりに報酬としてそんな世界を要望し、神アバルは管理下の異世界を全て当たってくれた。

 これから始まる異世界や、既にストーリーが現在進行中の異世界に至るまで隅々と交渉し、ついに医療魔術の使い手として転生を受け入れてくれる世界を紹介してくれたのである。


「里琴ちゃん」

「はい」


 里琴ちゃんは鞄からタオルを取り出すと、ヒナとルココにも渡して墓石の水を拭取るように伝えた。そうしてピカピカになった墓石に、今度は二冊の書籍を置く。


「はい、今年になって書籍化が決まった異世界転生物。最新作で、実はまだ発売前なのよ?」


 墓石に書籍を置いた里琴ちゃんは、そう優しく語り掛けながらも、そっと涙を拭う。里琴ちゃんにとって、初めて深く接したクライアントである。

 いや、俺にとってもそうだ。

 彼ほど憂い、苦しみ、悪戦苦闘したクライアントは他に居ない。


 彼の墓石に置かれた二冊のライトノベル。まだ発売日を迎えていないそれは、カワカド文庫さんのご厚意で寄せられた寄贈品である。どちらも、我が社の見学会を利用した作家さんによって書かれた作品だ。


「ほほーう、これが噂のライトノベルですか。ここは女神として読んでおかない訳にはいかなそうですな。ボク、帰ったら本棚にあるやつ片っ端から読んでみようと思うよ」

「そうしなさい。少しは黙って読書でもしていてくれると助かるわ」


 春の陽気は少しづつ、夏の様相に移ろいつつある。

 今年の夏は、賑やかにな夏になりそうだ。


「よし、行こうか」

「はい」

「カミノイ様カミノイ様、帰ったらボクに異世界小説を貸してほしいので御座るよ」

「私、お腹が減ったわ」


 四人並んできた道を戻る。

 大きな霊園ではない。


 所狭しと並べられた墓石の中を、初夏の香りを運ぶ風が吹き抜ける。


「あ……社長」

「ん?」


 俺の服を摘まんだ里琴ちゃんの目配せに、俺は足を止めて視線を向けた。


 そこには、此方に向けて深々と頭を下げる夫婦の姿がある。


「ご両親だね」

「ご挨拶、します?」


 少し悩む。

 転生させて三年が経つけれど、葬儀に顔を出した程度で特にご両親との会話はしていない。


「いや、やめておこう」


 俺は深く礼を返した。

 それに倣う様に、里琴ちゃんも、そしてヒナとルココも見様見真似で頭を下げる。


 俺は再び歩を進めながら、挨拶をしない理由を語る。


「我が子が異世界にいけたかどうか、ご両親としては気になる事なのかもしれない。だけど、行けたら行けたで、この世界にはいないって事になっちゃうし、行けなかったら行けなかったで、我が子の願いが叶わなかった事になる」


 駐車場に差し掛かった俺は、少し遠目から車のロックを外す。

 それに気づいた女神二人が、先を争う様にして助手席の取り合いを始めた。どうせ里琴ちゃんに後部座席に追いやられるのだが、物珍しい車という乗り物の、前方座席がどうにも気になるらしい。


「そうですよね……曖昧なままの方がいいかもしれませんね」


 里琴ちゃんは小さく呟いて立ち止まると、霊園の方を振り返る。

 そこには、彼の墓石の前に並んでいる夫婦の姿があった。

 里琴ちゃんは言葉を続けた。


「異世界にいけたかどうかよりも、『なあ、異世界には行けたのか?』とか、『異世界でも元気にやってる?』とか、『たまには帰って来いよ』とか。そんな風に語り掛けていられる時間があるほうが、ご両親にとっては大切な事なのかもしれませんね」


 そうなのだ。

 俺や里琴ちゃんにとって異世界というものは、普通では考えられないくらい現実的で身近な存在である。

 けれど、世間一般の話をすればそうじゃない。

 異世界なんてものは、空想の世界で丁度いいのだ。現実感のない、ふわふわとしたもので丁度いいのだ。


「さて、帰ろう」

「はい」


 里琴ちゃんの笑顔に元気をもらい、俺は運転席へと乗り込む。


「あれ、何してんの?」


 そこで目にしたのは、助手席を仲良く分け合う二人の女神。


「ボクは思うのですよ。この乗り物はどう考えても絶対に前の座席の方が臨場感やら迫力やらを味わえる筈なのです。後部座席との距離は然程ありませんが、この僅かな距離の差が、雲泥の差であると言えるのではないでしょうか!」

「素直に『前に座ってみたい』と言えないの? 私は前に座ってみたい」


 俺は噴き出しそうになりつつも、笑いを堪えてエンジンをかけ、助手席の窓を下げた。

 そこには、にっこり笑顔の里琴ちゃんの姿がある。


「あなた達は後ろ、社長の隣は十万光年早い!」

「ぐふわ怖い、リコ様怖すぎます。これは激オコになる前に言う通りにした方が身のため」

「そうね。それは同感だわ」


 大人しく後部座席へと回る二人を乗せて出発。

 しばらく走り、車は高速へと入る。


 そこで俺は、ある事に気付いた。


「里琴ちゃん、十万光年って距離だからね? 時間じゃないからね?」


 ゴールデンウィークが明けたら、新しい事務所兼自宅でお仕事が開始である。



Episode8 転生、その後で ~ Fin ~

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