Episode2 長い夢から目覚めた君へ

第8話 異世界転移者が帰還した

 今日は朝から雨続き。

 こんな日は、事務作業に没頭するに限る。


 我が社の個人顧客である異世界渡航希望者は、年会費という形の有料会員となっている。従がって、一年単位で更新となるわけだが、この更新作業がとても大変なのだ。


 更新前々月に一度、更新するか否かの案内を送付し、返答の無い人には前月にもう一度発送。

 それでもノーリアクションの人については『更新停止並びに契約解除の可能性』というタイトルの書面を発送し、その上で尚も連絡が取れない場合、地域がある程度近隣の場合は俺が直接訪問する。それでも会えない場合、もしくは遠方で訪問できない場合、契約解除通知を送付し、そこでようやく契約解除となる。


 ここまでしつこくするのには理由がある。


 仮にその人が事故や病気で重篤な状況になっており、異世界への渡航を今まさに必要としている状態であるにも関わらず、その対応出来ない可能性が無くはない。

 その可能性を考慮せずにすんなり契約を解除してしまっては、せっかくの異世界行きのタイミングを逸する事になるからだ。ある程度覚悟を決めて渡航希望カードを手にしてもらっている会員の皆様に、俺は出来るだけの事をしたい。そう考えている。


 春先の雨、気温は少々下がって肌寒い。

 今日は日名子さんが旅立ってから十日目、俺もようやく平常運転になってきた。


「社長、カワカド文庫さんからの依頼、どの女神様にお願いするか決めましたか?」


 キーボードを打ちながら質問してくる里琴ちゃんは、今日は美しい髪を後ろで一本に束ねている。

 ちなみに、おっぱいで口封じされた翌日から今日まで、それっぽい出来事は全くないし、それっぽい言動も全く見られない。あれはたぶん、女神エルミーアが報酬としてくれた幸福が発動した結果だろうと思う。


「それがさ、正直ちょっと迷ってるんだよね」


 二人の女神のプロフィール画面を見比べながら、最終的にどちらの女神にコンタクトを取るか悩んでいた。

 その様子に里琴ちゃんが何かを言おうとした様子だったが、それを電話機が遮った。


「お電話有難う御座います。イセカイ・ソリューションズ、西村がお受け致します」


 受話器を手に会話を始めた里琴ちゃんは、何やらメモ用紙に走り書きしてそれを俺に渡す。


 ――本日のご予定は?


 まさかこのタイミングでディナーのお誘いでもないだろう。

 俺はそのメモに赤ペンで書いてお返しする。


 ――いつでもOK


 俺の返答を確認した里琴ちゃんにより、受話器の向こう側の誰かの来社が決まった。


「女神ウルイナス様が来社されます。直ぐに行くと仰っていたので……」


 里琴ちゃんが言いながら、視線を応接室へと向けた。

 案の定、応接室の奥で何かが発光した。カーテンの向こう側から女神がやって来たのだろう。


「ありがとう。なんの用だって?」

「さあ。社長に頼みたい事があるみたいですよ?」

「頼み事……か」


 俺は一足先に応接室へ。

 里琴ちゃんはお茶を入れるべくキッチンへと向かう。


 応接室の戸を二度ノックし、ゆっくりと開いた。


「こんにちは、女神ウルイナス」

「やあ神野威。相変わらずの優男ぶりだな」


 ご本人曰く、ケルト神話の神々の流れをくむ存在で、ご自身は戦いの女神らしい。

 自称と言えば自称だが、その実力は本物である。


 割と背の高い女神ウルイナスは、その抜群のスタイルを惜しげも無く強調する立ち姿だ。

 艶のある褐色の肌に、腰まで伸びた燃える様な赤い髪が映える。戦闘用を連想させる銀の鎧を身に付けてはいるが、水着としてもどうかと思う程に露出部分が多く、その防御力については期待出来そうもない。


 そして何より印象的なのは、女神ウルイナス本人よりも重たいであろう、見事な装飾が施された巨大な斧を担いでいる事だ。


「どうぞお掛けください」

「ああ済まない」


 女神ウルイナスは斧を抱えたまま、どっかりとソファーに腰を下ろす。


「先般転移させたミズイ・ショーゴを人間界に戻しておいた。いやあ、良い働きをしてくれたよ。これで私の評価A獲得の連続記録が二桁になった」


 褐色の肌ではあるが、それでも見て取れる程に頬を赤らめて笑顔を見せる。

 仕事が上手くいった事が心底嬉しいようだ。


「それはよかった」


 俺は笑顔で相槌を入れ、手にしていたタブレットで瑞井彰吾みずいしょうごくんのプロフィール画面を開いて確認する。

 そしてその間を繋ぐように、お茶を乗せたトレイを手に里琴ちゃんが入室してきた。このタイミング、正しくプロの仕事である。


「女神ウルイナス様、今日は羊羹がありますので、どうぞ召し上がってください」

「おおリコ、気が利くな。君は神野威の部下には勿体ない」


 瑞井彰吾くん、十五歳。

 都内の高校に通う、所謂オタクな男子高校生だ。

 二か月ほど前、女神ウルイナスの希望だった『巨大ロボバトルに精通している者』という条件の合致から、自宅がロボのフィギアだらけという彼が選ばれた。


「女神ウルイナス、帰還時の処置は済んでいますか?」

「ああ勿論だ。記憶の圧縮と、転移時点への帰還。どちらも問題なく処置済みさ」


 我が社の会員を転移させ、帰還させる場合、今しがた女神ウルイナスが述べた通り、二つの事をやってもらっている。


 そのうち一つが、転移時点への帰還である。

 転移と帰還に関して、ほぼ同時点への実施をお願いしているのだ。

 ちょっとしたタイムパラドックスを想像するかもしれないが、全くその心配はない。何故なら、そこに神の力が介在しているからである。

 転移と帰還を同時点にするというのは、例えば転移の発生を交通事故に設定したのであれば、事故と同時に転移し、その日、もしくは数日内に病院のベッドで目覚めるそのタイミングが帰還という事である。


 普通に寝ている間に転移したのであれば、その睡眠が目覚める時点が帰還であるし、不可解な現象に遭遇して転移した――半ば無理やり強引に転移させた――場合には、両目を硬く閉じた瞬間が転移であり、何事も無く恐る恐る両目を開く瞬間が帰還である。


 これは実に重要な事で、俺がこのルールに則って運営を始める前は、それぞれの神が何となく『ここら辺』という感覚で転移者を帰還させてきた。


 そうなると問題が多く発生し、極端なケースでは現代から異世界へ転移させた人間を、あろう事か江戸時代に帰還させてしまった大雑把な神までいるらしい。


「では、今から約二ヵ月前。二月十四日午前三時頃に戻したという事ですね?」

「ああ。正確にはその日の午前六時頃だ。目覚めと同時にしてやった」


 バレンタインデーの日に学校へ行くのが辛かった彼の、その負の感情を転移発生ポイントに設定し、寝ている間に転移させたのだ。そして、そのまま目覚めと同時に帰還させたという事になる。


「あちらではどれくらいの時間を?」

「大よそだが、三年ってところだな」


 そしてもう一つは、記憶の圧縮である。

 異世界で一年を過ごそうと、三年を過ごそうと、それこそ十年を過ごそうと、その記憶を圧縮する。消去してしまうという方法もあるのだが、圧縮するほうが簡単であり、神にかける負担も少ないのだ。

 そしてその圧縮された記憶は、転移してから帰還するまでの時間に全て押し込められる。

 今回の場合、三時間程度の睡眠の中に、異世界で経験した三年分の記憶を圧縮して押し込めたという事になる。当然、そうなってしまった記憶が正常に機能するはずもなく、思い出せたとしても断片的なものだろう。


 そうする理由は単純である。

 元の生活に戻るには、染み付いた異世界の文化は邪魔になるのだ。それを俺は身をもって体験している。


「なるほど。有難う御座います」


 俺は今聞いた情報を、彼のプロフィールに追加していく。


「いい茶だ。おいリコ、お前も座れ」

「え? あ、はい」


 退室しかけていた里琴ちゃんが呼び止められ、半ば強引に俺の隣に座らされる。


「神野威、リコ、二人に頼みたい事があるのだ」


 女神ウルイナスは真剣な表情でその頼みたい事を口にした。


「ミズイ・ショーゴが人間界でどう過ごしているのか、レポートを頼みたいのだ。あいつは帰還させる直前まで、どうにかしてあの世界に残ろうとしていたのだが……」


 評価Aを獲得したという事は、女神ウルイナスがその世界を離れる時が来たという事だろう。平和になった世界は、往々にして見習い程度の神へと担当変更される事が多い。

 その際、担当していた神が別の世界から呼び入れた生命体については、余程の事情が無い限り元の世界に返還せねばならない決まりらしい。


 無理やり戻してしまった彼が、その後どうしているか気にかけてくれている。

 女神ウルイナスは戦いの神と自称しているが、とても優しい女神様だ。


 俺は女神の頼みを引き受けようと、小さく頷いた。

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