第9話 瑞井彰吾君の日常

 女神ウルイナスとの会話は順調に進み、俺はその頼みを受けて瑞井彰吾くんの現在の生活を調査し、それをレポートする約束となった。


「よろしく頼むぞ神野威。リコ、神野威を管理してくれよ。報酬はしっかり払うからな」


 満面の笑顔でそう言われると否定しきれない。いや、そうでなくとも否定しきれない。事実、俺の行動管理は里琴ちゃんの仕事である。


「分かりました女神ウルイナス様」


 里琴ちゃんは笑顔で返答すると、ちらりと俺の方を見る。

 何のアイコンタクトだったのかイマイチ理解しきれなかったが、俺は一応、それに頷いて返した。そして里琴ちゃんも小さく頷き、女神ウルイナスへと向き直る。


「女神ウルイナス様、報酬の件ですが、こちらからお願いがあるのです」

「ほう、珍しい事もあるな。構わないぞ、何なりと言ってみろ」


 里琴ちゃんは「有難う御座います」とだけ付け加え、そのままお願い事を述べた。


「確か、女神ウルイナス様が二つ前に担当された世界、異能バトル物でしたよね? 今はすっかり平和な事だとは思いますが、そこに何人か見学に行かせてもらう事は出来ませんか?」


 流石である。

 面談相手が過去に担当した異世界について、この短時間でよく調べた来た。我が社の誇る里琴ちゃんに死角はない。


「ふむ、そのような事でよければ構わんぞ。本当にそれだけでいいのか?」


 その切り返しには俺の方から答える。


「はい。お互い持ちつ持たれつです。また転移者が必要になったら、我が社をご利用ください」

「そうか。その優男ぶりは商売の姿勢にも顕れているという事だな。見直したぞ神野威」


 にんまり笑顔で、抱えていた巨大斧をぐっと持ち上げる。


「ではこれにて帰るとしよう。報告を楽しみにしているぞ」


 そのまま斧を肩に担ぎ、ぷりっぷりの褐色のお尻を揺らして扉の向こうへと消えていった。

 女神ウルイナスを見送った里琴ちゃんは、一息ついて小さなガッツポーズを作って見せる。


「さ、社長。これでカワカド文庫さんの件も解決しますし、早急に調査を開始してくだいな」


 ガッツポーズと共に添えられたウィンクには、俺のやる気を奮い立たせる魔力が秘められてた。


「よし、ありがとう里琴ちゃん! 行ってくるね」


 俺は直ぐに事務所へと戻ると、瑞井彰吾くんのデータを印刷。それを鞄に乱暴に詰め込んで事務所を後にした。


 事務所のあるビルから少し離れた地点に、社有車を止めている。

 そこから車で一時間。都内某所の都立高校の正門付近に車を停車し、下校途中の高校生を横目で見ながら瑞井君の姿を探す。あまりジロジロ見ていたら完全に不審者なので、そこは目立たぬように注意が必要だ。


 異世界に転移した記憶が圧縮され、帰還後も普段と変わらない生活に戻る。

 そうではあるが、異世界で経験した事が消え去るわけではない。そのため、例えば殺気に敏感になったり、咄嗟の時に剣を抜くような動作をしてしまったり、時には魔法を使おうとしてしまう人もいる。

 魔法は当然ながら使えず、異世界で使用されていたような剣など手に入りようもないので危険はないのだが、体が覚えた事というのはそうそう消えてなくなりはしない。


 道行く高校生に、見覚えのある男の子を見つけた。

 彼らが車の横を通るのに合わせ、窓を開けて会話に耳を傾ける。


「彰吾まじで売っちゃったの?」

「ああ。結構いい金になったぜ」


 異世界で長い期間を過ごすと、当然ながら趣味趣向に変化が生じる事もある。


「まじか……で? お前さ、最近なんかモテるらしいじゃん」

「それは言い過ぎだろ。まあ……何かさ、ちょっと大人になったような気がするんだよね」

「は? 相変わらず童貞だろ?」

「その筈なんだけどさ、何でかな、もう童貞は卒業した気分なんだよ」


 転移した時点に戻るのだから、例え異世界で体の一部を失うような大怪我をしたとしても、綺麗さっぱり元通りになる。

 童貞も処女も元どおりだ。


「夢の中でセックスしても童貞は童貞だからな?」

「分かってるよそんなの。ああそうだ、健二さ、ガイガーロボのデラックスエディション欲しがってなかったっけ?」

「そりゃまあ、だから『売っちゃったの?』って聞いたんじゃんか」


 愛した女性がいたとしても、戻ってしまえば夢のまた夢。

 彼は今普通の高校生としてこの世界に戻って来たのだ。ただ少しだけ、周りの同級生よりも死線を潜り抜け、人として成長したというだけ。

 本人にその意識はないし、あったとしても朧気なものだろう。


「ガイガーのデラックスだけは残しておいたよ。健二、誕生日近いだろ?」

「え? まじ?」

「俺にはロボよりも健二のほうが大事だからさ」

「なんかすげえ嬉しいけどちょっとキモイぞ」


 仲間の大切さ、友達の大切さ。大切な人を失う絶望や、守る事の尊さ。それらを経験してくれば、この世界に戻ってからの価値観にも変化が出て当然だろう。


 異世界とは、そういう成長の場でもある。


「キモイとか言うなよ。俺はさ、真面目に言ってるんだからな」

「なあ、お前さ、やっぱりちょっと変わったよな。何があったの?」

「何もない……と思う。いや、あったような気もするんだけど」


 人知れず、本人すら知らず、そうして成長した人間の立ち振る舞いは、周囲とは一味も二味も差が出る。そしてその差は、大人びた雰囲気として表現され、高校生くらいの年代では女子からモテる。


「やっぱお前さ、彼女できたろ?」

「は?」

「その余裕、なんかリア充感あるんだよな」

「いねえよ。紹介してくれ」


 そんな会話を続けながら歩く男子高校生の前に、一人の女の子が飛び出してきた。制服からして、別の高校の女子生徒だろう。


「あ、あ、あの、これ、私のLINEのIDです! よかったらお友達になってください!」


 顔を真っ赤にしてそう言うと、瑞井くんに小さく折りたたんだ紙を強引に押し付け、そのまま逃げるように走り去った。


「紹介、する必要あるか?」

「いや……たった今なくなった」


 異世界に行けば誰しもがモテるようになるわけではない。

 異世界に行けば誰しもが大人になれるわけではない。


 だが少なくとも、普通に生活していたら絶対に出来ないような経験を、これでもかと言うほど、嫌ってほど、もう沢山だと叫びたくなる程、経験することが出来る。

 そうなれば自然と人間は成長し、変わるのだろう。


 俺はパワーウィンドウを上げ、車内を密室に戻した。


「若いっていいな」


 そしてエンジンをかける。


 彼の手元には、異世界渡航希望カードがあるはずだ。そしてその更新手続きをした時に、彼は気付くはずである。


 異世界を経験した人の更新後のカードには、明確に『異世界渡航回数:一回』と記載される。

 知らぬ間にと思うかもしれないが、自分が異世界に行った事を想い出せれば、そこから徐々に記憶が甦る事も珍しくない。 


「またのご利用、お待ちしております」


 そう小さく独りごちてアクセルを踏んだ。


 事務所に戻り、簡易的ではあるが女神ウルイナスへの報告書を作成する。


 ――瑞井彰吾君は元気にやっています。以前よりも大人びた表情になり、女性からモテる男子高校生に成長したようです。異世界での成長が感じられました。――


「さて、帰ろう」


 自宅はそう遠くない。

 車ではなく、通勤には電車を利用している。都内での移動は基本的にこの方が楽なのだ。


 俺は電車の座席に浅く腰掛け、背もたれに体を預け、特に読む気もない週刊誌の中刷り広告を目で追いながら時間をつぶす。


 異世界に転移し、目的を果たして帰還した。そんな本人さえ知らない経歴を持っている人間は意外と多い。


 向かいの席で文庫本のページを捲るサラリーマンも、俺の隣で携帯端末を握りしめ、熱心にネット小説を読み耽る大学生も、もしかすると、一度は異世界という場所を経験しているかもしれないのだ。


 その記憶は圧縮され、断片的な物になってしまっているだろう。


 けれど、たまには目を閉じて心の奥底から思い返してほしい。


 きっと君達は、知らないうちに大きく成長したはずなんだ。気まぐれな神々と、それを食い物にしている俺――神野威圭太――という存在により、男として、人として、一回りも二回りも成長したのかもしれない。


 寝て、起きたその短い間に、長い長い夢を見なかっただろうか。

 そこが君の異世界なのである。



Episode2 長い夢から目覚めた君へ ~ Fin ~

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