Episode5 カワカド文庫の見学会
第15話 異世界見学会に出発
今日は四月二十五日。
このビジネスを始めて第一号の個人顧客であり、我が社のお得意先カワカド文庫の編集者でもある、滝山沙織さんのお誕生日だ。
そして彼女から依頼があった、作家さん四人の異世界見学の日でもある。
「社長、そろそろお迎えが来る時間ですよ」
「もうそんな時間か、よしっ」
俺は準備していた飴玉を手に、応接室へと向かう。
「たまには違う物あげたらどうですか?」
「いやあ、クイはこれが好きなんだよ。味も色々あるしさ」
知らない人はいないであろうスティックのついた丸い飴を手に、扉の前でしばし待つ。程なくしてカーテンの向こう側に光が差し込んだ。
「うんしょっと。ケータいる?」
「ああいるぞ。出ておいで」
中から可愛い声がして、ゆっくりと開いたカーテンの隙間から幼い女神が顔を出す。
美しい水色の髪は相変わらずのお団子ヘアで、真っ白の衣装と見事なコントラストを描いている。
「へへっ、こんにちわ」
クイがこの応接室を訪れるのはそう珍しい事ではない。
見学会の度にお迎えに来てもらっているのだが、それでもクイは毎度毎度こんな調子で照れくさそうにする。それがまた可愛いんだ。
「ほい、いつものお礼」
俺は手にしていた飴を手渡す。
「やったやった! ケータ大好き!」
俺とクイの賑やかな様子に気付いた里琴ちゃんが、スキップするように応接室へとやってきた。
「はあ~いクイちゃん」
「リコちゃん、ひさしぶり!」
里琴ちゃんに飛びついたクイは、そのまま里琴ちゃんを軸にくるくると三回転程。
ようやく床に降り立ったクイに対し、里琴ちゃんは膝を折って同じ目線から会話する。こういうところが、里琴ちゃんは凄いなと思う瞬間である。
「いつもありがとね。すき焼きパーティー、私がしっかり準備しとくから楽しみにしてね!」
「ホント!? リコちゃんも一緒なんだねやったー! うれしいなっ、うれしいなっ」
雨乞いでもするかのように妙な踊りを始めたクイ。
この無限にあふれ出てくる元気と明るさに、俺も里琴ちゃんも癒されまくるわけだ。
そうこうしているうちに事務所の入り口から人の出入りがあった。
そして不抜けた声が聞こえてくる。
「お世話になりまーす。滝山でーす」
異世界見学会へ向かう面々が到着したようだ。
里琴ちゃんが応対し、応接室へと案内。滝山さんを先頭に、作家さん四名がペコリと挨拶しながらやってきた。作家さんは全員男性で、里琴ちゃんの美貌にたじたじになっている人もいる。
「やっほークイちゃん」
「あ、サオりんだ久しぶり!」
クイと滝山さんが挨拶をしている間に、俺は作家さんたちと名刺交換を済ませた。下山さん、田中さん、大河さん、山崎さん。誰もみな丁寧で、人良さそうな作家さんばかりである。
「それでは皆さん、改めて注意事項を説明しますね」
俺は四名に対し、予め伝えてあった注意事項を再確認する。
「まず、電子機器等の持ち込みは禁止です。映像や画像を記録する媒体も禁止。それから、身の安全を確保するためこちらの指示には必ず従ってください」
この二点だけ。
俺はクイを目の前に呼ぶと、作家さんたちの方を向いて立たせてその肩に手を置いた。
「異世界で皆さんの安全を確保するのはこの子です。この子の指示には必ず従うように」
不思議そうな表情の作家さんたちの視線が、一斉にクイに注がれる。
「クイです。宜しくお願いします」
元気よく自己紹介し、小さな体を直角に折り曲げてぺこりと頭を下げる。
作家さんたちも各々ぱらぱらと挨拶しながら、それでもやはり腑に落ちないと言いたげな表情である。
そんな作家さんたちに、滝山さんが解説を入れた。
「皆さん、このクイちゃんは女神様なんですよ?」
「はい?」
「おお!」
「ロリ女神……」
「なるほど、そういう設定なのだな」
始めての人の反応はだいたいこんな感じだ。
クイとしても慣れたもので、にっこり笑って一歩前にでる。
「まだ見習いですけど、一応は神です!」
言うなり右手を高く掲げた。
ポンと煙が立ち上がり、その右手には三角形の旗が揺れる。その旗には『カワカド文庫御一行様』と記されていた。
「今の手品だよな?」
「魔法に決まってるだろ」
「可愛い……可愛すぎる」
「ほう、いいマジシャンになれそうな子だな」
信じられない人がいても何ら不思議はない。むしろこの段階で信じてしまえるほうがどうかしてる。仕方のない事だろう。
ある程度の予算を確保してくれる出版社は、この異世界見学会の効果をよく理解してくれている。だが、その中身がどんな物なのかの詳細までを理解している出版社は殆ど存在しない。
企業としては効果があるから金を出しているだけだ。大方、何かしらの研修程度に思っているのかもしれない。
「まあ皆さん、クイについて行けば分かります」
俺はそう促し、クイとアイコンタクトを取った。そして、扉にかけられているカーテンを開く。
「この鏡の向こう側が、見習い女神クイが治める異世界です。普段から行き来できるわけではありません。あくまで、女神の招待があってこそです。では、さっそく行きましょうか」
クイがぴょんと刎ねるようにして作家さんたちの前にでる。
「でわでわ、ご案内します!」
楽しそうに頭上で旗を振りながら、クイは真っ直ぐ鏡に向かって突き進む。そしてそのまま右足から、鏡にちゃぽんと波紋を作り入り込んでいく。
それを目撃した作家さんたちが、驚きのあまり思わず声をあげた。
「ええええ!?」
「おお、これが異世界への入り口か」
「間違いなく違法ロリ……いや、女神ならば合法か」
「どんな仕掛けだ?」
そんな作家さんたちの中で一番鏡に近かった下山さんの背中を、笑顔の滝山さんが強引に押す。
「ほらほら下山さんからですよ。ついて行ってください!」
「え? 冗談でしょ? 本気?」
「行かないなら俺が行く」
「ロリ女神が鏡の中へ……ならば俺もいこう」
「隣の部屋に出るとかいう落ちだろ?」
何かの覚悟を決めたかのような別の作家さんが前に出た。そして鏡の前で大きく深呼吸すると、そのまま意を決したように右手を鏡に触れる。
「うわ……なんだこれ」
偉そうに『俺が行く』とは言ったものの、やはり現実離れした状況に戸惑いは隠せないようだ。それでも決意は嘘ではないようで、歯を食いしばるようにしながら両目を閉じ、一気に鏡の中へと自分の体を沈めていく。
そしてすっかり消えていなくなった。
「おいおい……これどんな仕掛け? って、押さないで!」
「押しますよ。ほらほら、行って行って。行かないなら私が行っちゃいますよ? 私だって異世界行きたいんですからぁ」
滝山さんに押されるようにして、続々と鏡の中へと入る作家さんたち。
所々で『ギャー!』とか『ロリ!』とか『なんだこの素材!?』とか叫びながら、然程の遅滞も無く全員が鏡の向こう側へと姿を消した。
「ふう。今回はあまり苦労しませんでしたね」
滝山さんはこの見学会を見送るのが六回目くらいだろうか。
鏡の前で往生際の悪い作家さんがいた事もあり、それに比べれば今回は楽だったと言えるだろう。
「そうだね。よし、んじゃ行こうか」
ここでサプライズを披露する。
俺は滝山さんの背後に立つと、その背中を優しく押した。
「え?」
「行きたいんでしょ? それとも行きたくないの?」
滝山さんは数秒思考が停止した様子だ。
「そ、そりゃ行きたいですけど、心の準備とかあるじゃないですか」
「見学会だからね? ちょっと行って戻って来るだけだよ」
俺は笑顔で諭して背中を押す手に力を込める。
「待って待って待った待った! 社長、待って!」
大慌てする滝山さんに、俺は尚もその背を押す。
「お誕生日プレゼントだよ。今回は俺と里琴ちゃんからの奢り! 異世界、楽しんでおいで」
この言葉に、滝山さんはくるりと振り向いた。
そして見送ろうとしていた俺と里琴ちゃんに対し、大袈裟にお辞儀する。
「有難う御座います! あの、ついでに我儘を言ってもいいですか?」
真剣な表情の滝山さんに、俺も里琴ちゃんも黙ってうなずいた。
「あの……里琴ちゃん、あのね」
滝山さんは里琴ちゃんへと数歩寄り、言葉を続けた。
「ちょっと、怖いんだ。嬉しいけど、怖いの。今までずっと、異世界に行く事に憧れて来たけど……」
滝山さんの両目に涙が浮かぶ。
「行っちゃったら、私これからどうしたらいいと思う? 新しい目標見つかると思う? 勿論、今の生活にはそれなりに充実感あるけど……五年間も抱いてきた想いが叶っちゃったら、私この後、どうしたらいいと思う?」
一つ年上の滝山さんに、そんな質問をぶつけられた里琴ちゃんは困った顔で返答に苦しんでいる。
滝山さんはそんな里琴ちゃんの両肩に手を置き、まるで謝罪するように頭を下げた。
「ごめん里琴ちゃん、見学会の間だけでいいの。神野威社長を貸してくれないかな」
「へ?」
目を丸くして驚く里琴ちゃんに、滝山さんは続けた。
「私、神野威社長に連れて行ってもらいたい。神野威社長に連れて帰ってきてもらいたい。そしたらね、異世界渡航希望カード、今年から手放せる気がするの」
普段のふにゃふにゃした滝山さんではない、力強い滝山さんがそこにはいた。
それは、この世界で強く生きていけるという自信だろう。
異世界への転生は勿論、転移も召喚もいらない。この世界で、滝山沙織として、強く生きていけるという決意。
お誕生日のサプライズは、少々意外な展開へと発展しそうである。
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