第29話 似た者姉妹と女神パニック
思いのほか美味い。
二口目でグラスを空にした。
「いい飲みっぷりだ。神野威君、普段は何を飲むんだい?」
「晩酌をするタイプではないので、たまに缶ビールですかね」
キッチンから新しい瓶を抱えてお母さんが戻る。
ガコンと椅子を寄せ、俺にビールを傾けた。その時にようやく気付いたのだが、風呂を入れに行った後、お母さんは服装が変わっている。こちらも里琴ちゃんに負けないくらい、胸元のぱっくり空いたキャミソール。
流石にご主人の前で人妻の胸元に視線を奪われてはなるまいと、必死に抵抗しつつグラスを差し出す。
その状況に里琴ちゃんが苦情を付けた。
「ちょっとお母さん近い! 離れて離れて!」
「あらそう? 今日くらい、いいじゃない。ねえお父さん?」
「え? いい……いや、うーん。いいか。飲もう!」
いや、全力で良くない気がする。
お母さんはビールを注ぎ終わると、思い出したように口を開いた。
「ほら里琴、神野威さんの着替え」
ひとっ走り買ってこいと言われていたが、それは流石に申し訳ない。
だが里琴ちゃんは何故か胸を張り、自信満々に答える。
「ふふふん、ご心配なく。ちょっと取ってきます」
その台詞に首を傾げた俺に、里琴ちゃんはニンマリと笑顔を見せた。
「社長、知らないんですか? 私ね、社長がいつ出張になってもいいように、トランクにお着換えセット入れてあるんですよ? 鍵貸してください取ってきますから」
「え、初耳」
「あら、里琴ったら奥さんみたいね」
「そうだなうんうん」
ご両親の反応に満足そうな笑みを浮かべ、俺からキーを取り上げた里琴ちゃんは鼻歌混じりに玄関へと向かう。
リビングにはご両親と俺だけが残った。
そしてすかさずお父さんが口を開く。
「神野威君、面倒な事は言いっこなしだ。里琴の事、これからも宜しくお願いします」
そう言って頭を下げると、ゴンと音がするほどテーブルにぶつける。
「ちょっとお父さん、顔を上げてください」
「そうよお父さん。言うなら『嫁に貰ってやってください』よ?」
それもだいぶ違う気もするが、お父さんは急に顔を上げて俺をじっと見据えた。
「貰って……くれますか?」
その時だった。
家の外で女性の悲鳴が響いた。
「っ!?」
俺はお父さんとお母さんが反応するよりも早く席を立ち、全力で外に飛び出した。
「里琴ちゃん!?」
そこには、俺の車の後方で腰を抜かして尻もちをついた里琴ちゃんの姿。
「大丈夫? どうした?」
「こ、こ、この中に何か」
俺は里琴ちゃんが指さしたトランクを覗き込む。
そこには、狭いトランクに身を潜める四つの瞳が光っていた。
「ぎょわわ、見つかっちゃったで御座る」
「不覚ね。まさかここを開けるとは予想外」
俺は額に血管が浮き出るのを感じた。
「君タチ、ココデ何ヲシテイルノカナ?」
「こここ、こ、こ、これは断じて隠密行動による追跡などではありませんぞ。ただ偶然にも程よい環境の空間がありまして、そこでヒナたんとラブラブごっこをですね」
「馬鹿ね。この期に及んで言い訳なんて通用しないわ。無断でついてきたの。ごめんなさい」
溜息しか出ない。
「社長、ちょっと、手貸して、手」
「ああごめん」
俺は腰を抜かした里琴ちゃんの手を握り、ひょいと引き上げる。
並んでトランクを覗き込む俺と里琴ちゃんの後方で、ご両親が心配そうに声をかける。
「どうしました?」
「里琴、あんた何したの?」
ご両親の声に反応するように、トランクから栗色のボブカットが顔を出す。
「これはこれは、このような場所から失礼をばいたします。私は見習い天才美少女神のルココと申します。リコ様のご両親にはお初にお目にかかります」
続けて、真っ白なロングヘアも顔を出した。
「リコの両親なの? ちょっと失礼……よし、これでいいわ。宜しくお願いします」
驚きを隠せないままに、里琴ちゃんのご両親は二人の女神に会釈する。
「里琴、あがってもらったら?」
「そうだな。まだ料理も残ってるし、あがってもらえ」
状況に困惑しながらも女神二人を招き入れようとするご両親と、頭を押さえて溜息をつく里琴ちゃん。そして、どうするべきか迷う俺。
「でわでわ、折角のお招きなのでお邪魔させて頂きましょう!」
「そうね。いい匂いがするわ。きっとお肉がある」
図々しくもご両親に付き添われて家に上がり込む二人に対し、こちらの二人は呆気にとられるばかりである。
仕方なく、俺はトランクからキャリーバックを取り出した。たぶんこの中に俺のお着替えセットとやらが入っているのだろう。
「はあ……ごめんな」
俺は居たたまれなくなってそう声をかけた。
「社長、ちょっと後ろ向いて」
「ん? こう?」
俺は里琴ちゃんに言われるままに背を向けた。
その俺の背に寄りそうように、里琴ちゃんは身体を寄せて額を押し当てる。
「ちょっとだけ」
「ん、ああ。どうした?」
蚊の鳴くような細い声になった里琴ちゃんを気遣いながらも、後ろ向きではどうしようもない。
「あのね社長。私ね、結構いろいろ考えて、馬鹿みたいな計画立てて、準備万端だったんですよ」
「そうなんだ。有難う。美味しかったよ、生春巻き」
「それだけじゃありません。まあ、ちょっと予定変更ですけど。これはこれで楽しいかな」
「よくわかんないけど……そうだね、楽しそうだ」
里琴ちゃんは俺の服を強く掴んだ。
「はーあ……ま、いっか」
「うん。そうだね」
「まったくもう……『そうだね』じゃないですよ。よし!」
里琴ちゃんは後ろからキャリーバッグを奪い取ると、さっさと玄関へ向かう。
そして、明るい笑顔で振り向いた。
「ちゃっちゃとお風呂入って下さいね。着替え、用意しておきますから!」
「ああ、そうするよ」
リビングで異様なまでに溶け込む二人の女神。
お父さんはちょっと楽しそうだ。
俺はお母さんにバスタオルを渡され、弓香ちゃんと入れ違いで脱衣所に入る。
「なんでもうちょっと早く来てくれないんですか? ラッキースケベが待ってたのに~」
「こら弓香! あんた社長のお風呂覗く気!?」
「ちがうよーだ。一緒に入るつもりだよーだ」
「馬鹿者! 逮捕だ逮捕!」
いや、そうなったら逮捕されちゃうのは俺だよね。
シャワーを浴び、少しだけ湯船に浸からせてもらい、上がった後のリビングがどうなっているのかを想像しながら一人で苦笑いする。
あの二人も一緒に住むと知ったら、ご両親はどんな顔をするのだろうか。
一般的な感覚で考えれば、猛反対だろう。
「まいったなぁ……」
独り言ちながら風呂を出た。
そして、そこに用意されていた着替えに驚愕する。
「これ、おい……まじかよ」
そこにあったのは、キャリーバッグから出されたでろう下着と、いつぞやの黄色いクマの着ぐるみ風パジャマだ。
脱いだ衣服はご丁寧に跡形もなく消えている。絶対に里琴ちゃんの計画的犯行である。
「くそう、謀られた!」
どうしようもなく仕方なく、本当に仕方なくそれを身に着け、恐る恐るリビングへ戻る。
そこでは、実に賑やかな会話が繰り広げられていた。
「かっわいい~。ルココちゃん、一緒に写真とろ!」
「よいですぞよいですぞ。しかしながらそれにしても、ユミカ様もリコ様に勝らずとも劣らず、女神顔負けの美貌じゃありませんか」
「そんなぁ~。ルココちゃんのほうがかわいいよっ」
「グヘヘ、そうでもありますけど、照れますねぇ」
「ねえねえお母さん、写真撮って……って、それ私のキャミじゃない!? なんでお母さんが着てるわけ!? 洗濯機に入れた筈なんだけど!」
「あ、あの、彼氏はいますか?」
「やめておきなさい。人間如きに手の届く存在じゃないのよ。私は」
「おおう、そのSっぷりもたまらない!」
「うるさい童貞ね。黙って私に食料を取り分けなさい」
「ぐはっ、流石は女神様、何でもお見通し! ……ハイどうぞ!」
そこへ顔を出す。
悔しい。
これ以上ないくらいに悔しい。
「ぶっ、アハハハハ」
里琴ちゃんが真っ先に噴き出した。
「くっ……お風呂、頂きました」
どっと笑いに包まれるリビング。三十路に突入した俺には、かなり今更ないじられ役である。
「神野威さんかっわいー!」
「これはこれは、カミノイ様もこのような姿になると実に可愛いものですな」
「いつみても可笑しいわ」
もうこうなったら開き直るしかない。
「くそー。飲むぞ。黄色いクマが酒を飲むぞ!」
「おおいいね神野威君、さあ、座って座って」
「えー、日本史と保健体育は?」
「ウイイレが先だろ?」
「やや、これはなんたる美味。お母さまこれはなんというお料理ですかな?」
「根野菜の破片と肉の残骸……それがこうも美味しいなんて不思議ね」
「肉じゃがよ? 良かったら持って帰る?」
「いいよそんなの、私が作るから!」
一層の賑やかさとなり、俺は何年かぶりに凄く楽しいゴールデンウィークを過ごしている。
楽しい時間というものは、あっという間に過ぎていく。
ようやく少し落ち着いた頃、俺はソファーで里琴ちゃんと横並びに座り、耳打ちするようにして問いかけた。
「なあ、何でうちの女神はすんなり溶け込めてるんだ?」
「ああそれ、私も不思議だったんですよ」
二人揃ってうちの女神の方へと視線を向ける。
その視線に気付いたヒナが珍しく自然な笑顔で、こちらに向けてピースサインを作って見せた。
「あの子、何かしたのね」
「まあ悪影響の出るものじゃないだろうけどな」
多分、玄関先で遭遇した時に何かしたのだろう。
「まったくもう……神様ってほんと自分勝手ですね」
「そうだね。まあでも、今日はほんと楽しいよ」
テーブル席で賑わう女神二人と、ご両親と、俊太くんと弓香ちゃん。
彼らを見ていると、まるで本当の家族を見ているようで心が温まる。
「たまにはこんな感じも悪くないでしょ? ぷーうさんっ」
「こら、だれがプーさんだ」
「じゃあ……けーたくんっ」
当然っちゃ当然だが、下の名前で呼ばれるのは初めてであり、不覚にもドキっとしてしまった。
お酒で少し酔っているのだろうか。俺を下の名前で呼んだ里琴ちゃんは、そのままゆっくりと肩を寄せ、俺の肩に頭を乗せた。
「私も楽しいですよ。すっごく」
「そっか。よかった」
ご両親の前でいちゃつくのもどうかと思うが、なんだかいい雰囲気である。
「あー! おねえ抜け駆け!」
ミサイルのように飛んできた弓香ちゃんが里琴ちゃんの逆側に陣取り、同じように頭を預けてくる。
そして、俺と里琴ちゃんにしか聞こえないように言った。
「私もこうしていればさ、お二人さんも遠慮なく、ずーっとくっついていられるでしょ?」
里琴ちゃん顔負けの悪戯な笑みでウィンクを添えて言い終わると、俺の肩に頭を預けたまま携帯をいじり始めた。
「いやいや危ない危ない、騙されるとこだった。弓香、あんた何しようとしてるのよ!」
「え、自撮り。神野威さんとラブラブショットを……」
「こらやめろ馬鹿者!」
「もう撮っちゃったもんね~」
「なに~。消せ、今すぐ消せ!」
「いやだよ~だ。タイムランに載せて自慢するんだい」
「まて、こら逃げるな!」
一人ソファーに残された俺は、苦笑いと共に小さな小さなため息をひとつ。
「楽しいけど……ちょっと疲れるな」
音には出さずにそう独りごち、つまみのイカを口に放り込んだ。
次の瞬間、俺の右足に何かが触れる。
「ん?」
視線を下ろすと、そこには可愛いチワワが全力で尻尾を振り回して俺を見上げていた。
「おいで、アルファくんだったよな」
チワワを膝の上に載せ、騒がしい西村家での夜が更けていく。
ここにいる全員に、其々が主人公の物語が存在している。それがどんな物語なのか、俺が知る事の出来る範囲は極わずかだ。
「君はどんな物語を紡いでいるのかな」
俺に頭を撫でられて気持ちよさそうにしているアルファくんも、立派な物語を紡いでいるのだろう。
Episode9 西村家への家庭訪問
第一章 君の紡ぎし物語は ~ Fin ~
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