Episode9 西村家への家庭訪問

第28話 決して予行演習などではない

 時刻は十七時五十分。約束の十八時半に到着できるかどうか怪しいくらい、すっかり遅くなってしまった。

 原因は、駄々をこねる女神二人を言い聞かせるのに手こずってしまったという事だ。


 ――十分前後遅れる見込みです。出発が遅くなってしまったので車で移動します。


 先ほど送ったメッセージに既読が付いたので、一先ずは安心である。

 均君のお墓参りの後、車で自宅へと帰った事が功を奏し、どうにか大幅遅刻だけは避けられそうだ。


 正直な所、言い聞かせるのに手こずった以外に、着ていく服に手間取ったという事実もある。あれこれ悩んだ挙句、結局はスーツに落ち着いた。

 何分、私服という物を殆ど持っていないのだ。


 四年前にご自宅へお伺いしてから、それ以降も何度か外でお会いしている。

 毎度毎度スーツであるから、寧ろその方が無難であろう。


 しばらく走るとメッセージの着信があった。

 信号待ちの間に確認する。


 ――了解しました! 家の駐車場に止めちゃってください!


「気を使わせちゃったかな……」


 少し申し訳ない気もするが、大幅遅刻よりはマシか。

 ところが、ゴールデンウィーク中だからか意外と交通量も少なく、結局は時間通りに到着した。


 西村家は郊外の一軒家である。

 駐車場に車を止めて運転席を出ると、二階の窓から可愛い女の子が満面の笑みで手を振っていた。


 俺が笑顔で手を振り返すと、女の子はぴょんぴょん撥ねて姿を消す。

 妹の弓香ちゃんだと思うのだが、一年見ないうちに随分と大人びた気がする。


 今年で五十を迎えるお父さんが出迎えてくれ、俺はリビングに通された。

 四年前、高校を退学処分になり荒んだ生活を送っていた里琴ちゃんを、都内の歓楽街で偶然助ける事になり、ご自宅まで送り届けたのが最初の出会いである。


「相変わらずいい男だね神野威君は。ささ、遠慮なく座ってください」

「失礼します」


 片側三脚の六人掛けのリビングテーブル。

 俺は真ん中の席を奨められ、対面の真ん中に座ったお父さんと向き合う形になった。

 直後、俺の両隣がバタバタと忙しなく埋まる。

 その様子に、大皿を手にキッチンから姿を見せた里琴ちゃんが声を上げた。


「ちょっと俊! あんた逆に座りなさいよ!」

「なんでだよ、いいじゃんか。サッカーの話題で盛り上がろうと思ってるのに」


 中学三年生になる弟の俊太くん。根っからのサッカー小僧である。

 今の服装も、ヨーロッパのクラブチームのユニフォームシャツだ。本当にサッカーが好きなのだろう。

 実は俺も高校二年までサッカー小僧だった。だが異世界転移を経験し、目標を持ってしまってからはきっぱり辞めてしまっている。


「じゃあ弓香。あんた逆に座りなさい」

「えー。どうして? 我が家のお客様でしょ? 受験生ってストレスたまるんだから、たまにはいーじゃん」


 遺伝子という物の存在を強烈に意識させてくれる、お母さんと里琴ちゃんを足して二で割ったような妹、弓香ちゃん。

 言いながら椅子を俺の方に寄せると、置かれていたグラスを手渡してくる。


「はい、神野威さんビールでいい?」

「いやあ……あの」

「離れろ! 弓、あんたね!」

「ねえねえ社長、俺さ、高校受験じゃん? 強豪校でみっちりやるか、中堅校でレギュラー確保するか悩んでるんだよね」

「ああそうなんだ、受験かぁ」

「神野威さん、私も受験なの。大学受験!」

「へえ大変だね」

「ちょっと待ちなさいよあんた達! もう、お母さーーーーーーん!」


 俺自身が一人っ子な所為もあるだろう。

 この賑やかな家族という図式の中で、どう振る舞っていいのか全く分からない。


 里琴ちゃんのヘルプが届いたのか、エプロン姿のお母さんが姿を見せる。


「神野威さんお久ぶりね」

「どうも、お邪魔してます」


 ペコリと頭を下げて挨拶する。

 お母さんはにっこり微笑んで返してくれると、直ぐに俺の両隣へと声をかけた。


「弓香、俊太、あなた達はその席から動かないように。いい?」

「はーい」

「おっけー!」

「ちょっとお母さん?」


 戸惑う里琴ちゃんを他所に、お母さんは手にしてた大皿をテーブルに置いて言葉を続けた。


「はい。それじゃお父さんと神野威さん、席交換してね」

「ああそうだな。そうしようか」

「……あ、はい」

「ぎゃああああああ。お母さんの策士!」

「ちぇ~。まあいいか」


 こうして俺は里琴ちゃんとお母さんに挟まれる形となり、西村家の賑やかな食事が始まった。

 他愛もない会話に花が咲き、美味しい手料理をご馳走になりながら、家族という存在の温かみをおすそ分けしてもらっている。


「神野威くん、飲まないのかい?」


 グラスに注がれたビールを片手に、お父さんからそう声がかかる。

 車で来ている事をお父さんは知らないようだ。


「すいません。ちょっと遅くなったので車で来てしまって」

「ああそうだったんだね。それでさっき、里琴が車動かしてたのか」


 その時、俺の右隣りに座っているお母さんが急に席を立った。


「里琴、あんた何で黙ってたのよ」

「え、だってわざわざ言う事?」

「言う事よ。普通にお酒勧めちゃったじゃない!」


 それだけを言い残すと、お母さんがリビングから姿を消した。


「悪い事しちゃったかな」


 何だか申し訳ない気持ちになる。


「いいのいいの。気にしないで。あ、社長、この生春巻き、私が作ったんですよ」

「へー、俺これ好きなんだよね」


 チリソースのたっぷり乗った生春巻きを頬張り、弓香ちゃんや俊太くんとの会話に応えながら、お父さんとは社会情勢について語る。これは実に忙しい。

 里琴ちゃんが事務所兼用自宅に住まう件、いつ切り出そう。

 いや、里琴ちゃんが自分で報告してあるだろうし、あちらから切り出すまで待てばいいだろうか。


 結婚の挨拶なんてした事はないが、まるで結婚の挨拶でもしに来たみたいな心境になる。

 そんな事を考えていると、何故か緊張して汗が出る。


 すたすたと回り込んできた弓香ちゃんが俺の肩を叩いた。


「暑くないです? 上着預かりますよ」

「ああ、ありがとう。ごめんね」

「何よ弓香、気が効くじゃない」


 弓香ちゃんは俺から上着を預かると、ハンガーにかける前に上着に顔を埋めた。


「ふはー! いい香り。大人の男って感じ。あ、お父さんと違って加齢臭はないよ?」

「おいこら変態! やめなさい!」

「あはは、冗談」

「弓姉ちゃん変態だったのか」

「神野威君すまんね、うちの娘がはしたなくて」


 本当に賑やかである。

 俺は笑ってやり過ごすので精いっぱいだ。


 そこへお母さんが戻って来た。


「神野威さん、今日は泊まっていって! 今お風呂いれてきたから」

「え」

「下着は……里琴、あんたひとっ走り行って買って来なさい」

「え?」


 俺と里琴ちゃんの思考が停止する中、弓香ちゃんと俊太くんが大喜び。


「ねえねえ神野威さん、ご飯食べ終わったら歴史教えて! 私ね、日本史苦手なの~。私の部屋で家庭教師して? ね? 他にも色々教わりたい事あるの」

「ちょっとまてよ。その前にさ、社長、ウイイレで勝負しようぜ!」

「そうか、泊まるのか。じゃあ子供の相手が終わったらとことん飲めるね。飲もう神野威くん!」


 この状況で断れてしまう程、俺の神経は図太くない。


「あの、いやあ……では、お言葉に甘えて」

「やったぁ~。あ、じゃあ私先にお風呂入ってこようかな。綺麗にして部屋で待ってますね!」

「馬鹿者! 何言ってんのよ弓!」

「里琴姉え、言葉、言葉」


 まあ弓香ちゃんと俊太くんの件はともかく、あの二人がいない状況を作らないとどうにも本題が進みそうもない。


「ごめんね社長……うちの人達が無理言って」

「ん? いいよいいよ。気にしないで。賑やかでいいよね」


 いつもの制服姿と違いTシャツ姿の里琴ちゃんが、ビール瓶を此方に傾ける。

 シャツのデザインがやや胸元を強調し過ぎじゃないかと思うが、里琴ちゃんの私服をあまり知らないので、普段からこんな感じなんだろうと納得するより他になく、現段階としては胸元に視線が行きすぎないように抵抗するだけだ。


 注がれたビールを手に、お父さんに会釈する。


「じゃあ、頂きます」

「うんうん。飲んで飲んで」

「お父さんったら、社長のお蔭で発泡酒じゃなくてビール飲めるって喜んでたんですよ?」


 暖かい家庭、賑やかな家庭。

 俺はどちらも知らないで育った。


「ふう、美味しい」


 瓶ビールがここまで美味しいとは、思ってもみなかった。

 やはり人間ではなく、であると実感する瞬間である。


 ビールを口にした俺を横目に、お母さんが口を開く。


「神野威さん泊まって頂けるなら、ビール足りないわね。お父さんも飲むし。俊太、あんたちょっとひとっ走りしてビール買って来なさい」

「はあ? 中学生にアルコール買わせるのかよ」

「買って来なさい?」

「あ、はい」


 里琴ちゃんのお母さんを見ていると、うちの事務員さんをそのまま見ているようで、なんだか愉快だ。


「弓、あんた入るなら早くしちゃいなさい。後ろ詰まってるんだから」

「はーい」


 そして、なんやかんや素直でいい子達。これもうちの事務員さんみたいで気持ちがいい。

 これも神々からの報酬だろうか。


 俺は今、幸せな気分である。

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