第二章 想う事の価値

Episode10 バッドエンドを覆せ

第30話 ベランダの白装束

 ゴールデンウィーク最終日。

 新居に続々と荷物が運び込まれ、引っ越し作業もひと段落である。


 新しく買った冷蔵庫や洗濯機も、こちらの新居へと搬入。図らずも、新しい家電製品に囲まれての新居生活となった。


 三十畳近くある巨大リビングには間仕切りとしてパーテーションを設置し、オフィスとプライベート空間を区切る。

 間取り的に、応接室以外の四部屋は全てリビングを通らなければ入れない形状になっており、特に俺と里琴ちゃんの居室、それから納戸と書斎と浴室については、リビングのプライベート空間から更に廊下の奥になる。


「社長~、滝山さんがいらっしゃいましたよ」

「あ、はいはい今行くよ」


 広いため、何かと遠い。

 本当にすべてが広い。玄関も六畳くらいの広さである。実に贅沢だ。


「やあいらっしゃい」

「お引越しおめでとう御座います! 凄い所ですね!」


 手に花束を抱えて、目をキラキラさせた沙織ちゃんがそこにいた。

 そして、その後ろにもう一人。


「神野威社長、お久しぶり」

「おお井上さん。編集長に昇進なさったそうで、おめでとう御座います!」

「いやいや、上の椅子が空いた事による心太ところてん人事だよ」

「まあいいじゃないですか。まだ散らかってますけど、さあどうぞ。良い眺めだけは保証します!」


 井上保いのうえたもつさん。

 カワカド文庫の編集長にして、我が社の個人顧客でもある。


 出来たばかりの応接室へを二人を通し、昨今のライトノベル業界についての話題で盛り上がる。

 新事務所への移転についてお祝いに来てくれたわけだが、早速次の見学会の予定まで入れてくれた。本当に感謝である。


 二人が帰宅した後、早々ではあるが新たな見学会のセッティングに入る。


「また異能バトルか」


 未だ配置の確定しないオフィスデスクに肘をつき、ネットに繋がってすらいないパソコンの画面と向き合う。


「社長、やっぱり女神ヘステル様しかいないんじゃないですか?」

「それは避けたいんだよな」

「そうかもしれませんけど、他に当てが無いじゃないですか」


 苦笑交じりの里琴ちゃんに諭される。

 それはそれとして、聞いておかないといけない事があったのを思い出した。


「ところで里琴ちゃん、いつからこっちくるの?」

「今週末にしようと思ってるんですけど、いいですか?」


 それまでは、女神二人と俺だけという事になる。それと同時に、今週末から里琴ちゃんとの共同生活が始まるのだ。なんだか妙な緊張感を覚える。


「うん、いつでも大丈夫だよ。引越し手伝うから言ってね」

「大丈夫ですよ。荷物は段ボールに詰めて送っちゃいますし、家具はせっかくなのでネットで買いました」


 ご機嫌な里琴ちゃんの笑顔に癒されていると、パーテーションの向こう側のプライベートスペースから女神たちの会話が聞こえてくる。

 それ自体は問題ないのだが、気になるのはその中身だ。


「カミノイがリコに怒られないやり方? ……そうね。なら、夜中にベッドに潜入し、私が勝手にカミノイのズボンを脱がせて行為に及ぶのならば問題ないわね。抵抗できないように金縛りにでもかけておくわ」


「勿論それならばヒナたんの単独行為ですから、抵抗できなかったカミノイ様がリコ様にお咎めを受ける事もないでしょうが、なんでそもそもヒナたんはさっきからエッチな事をしようとしているのかね?」


 あいつら何考えてんだ。


「エッチな事……それはどういう意味? 私はただ、男はそうすると喜ぶという情報を入手しただけよ。これからも世話になるのだから、あなたもカミノイの喜ぶ事を考えなさい」

「ぐへら、ヒナたんにはちょっと性教育と貞操概念の教育が必要ですな。お世話になっているお礼であれば、何も躰のご奉仕じゃなくともよろしいわけですぞ」

「私には何もない。魂を喰らって得たのは強い力とこの躰だけよ。ならばその両方を使って出来る事をするまで」


 俺はアイコンタクトで里琴ちゃんを促し、あらぬ方向に進もうとしているヒナを諭してもらう事にした。


「あなた達、何の話してんのよ。社長に丸聞こえよ?」

「聞かれても何の不都合もないわ」

「いやいや不都合だらけでしょヒナたん。リコ様からも言ってやって下さいよボクは聞いてるだけで恥ずかしくて恥ずかしくて」


 困り果てたルココの言葉に同意を示した里琴ちゃんであったが、その口から発されたのは意外な言葉だった。


「分かった。ねえヒナちゃん、だったら私と一緒に社長を喜ばせない?」

「そうね。リコも世話になるのだからそれくらい共同でやってもいいと思うわ」


 何という夢のハーレム。

 いやいや、どういう流れだ。

 俺はどうしても気になって、パーテーションの隙間からその様子を覗き見る。


 里琴ちゃんは笑顔でヒナ頭を撫でていた。


「いい子ね。じゃあ、ベッドの上で体のご奉仕するよりも、もっといい方法があるのよ。それを一緒にやらない?」

「いい方法があるならば試してみたいわ」


 里琴ちゃんとヒナとの――

 いや、そんな煩悩は振り払うべし。

 俺は頭を左右に振って邪な発想を排除する。


 里琴ちゃんはタブレットを手に、ヒナとルココにもそれを見るように促した。それによって、三人は顔を寄せ合うようにしてタブレットを覗き込んでいる。


「これが肉じゃがのレシピよ。こないだうちで食べたでしょ? あれね、社長も好きなの。ヒナちゃんも食べるの好きでしょ? 社長も勿論、食べるの好きよ?」

「おおこれはいいお考えですな。せっかくなのでボクもお料理の勉強がしたいのであります」

「そうね。私も躰で奉仕されるより、美味しい食事を用意してくれたほうが嬉しいわ」


 あっという間に料理を作る話に纏めてしまった里琴ちゃんは凄い。心なしか、心の隅に残念な気持ちが無いではないが、後が怖いから料理で満足である。

 そんな事よりも、内容はともかくヒナがお礼をしたいと思ってくれていた事が驚きであり、それを行動に表そうとしてくれていた事が嬉しい。


「じゃあ決まりね。早速だけど三人でお買い物いかない?」

「いいわ」

「いいですないいですな。ボクお買い物が楽しいのですよ。人間界のスーパーマーケットはどの世界のお店よりも楽しいんです正しくスーパーなマーケットですよ」


 どうやら買い出しに出るようだ。

 このまま夕飯を作るとなると、里琴ちゃんは定時を超えるが良いのだろうか。


 場が決し、行動に移そうとしたその瞬間、ヒナが里琴ちゃんに問いかける。


「リコ、それで胃袋を掴むのね。股間のほうはどうするの? 予定通り私が掴んでおいてもいいわ」

「ちょっ!?」


 慌てる里琴ちゃんは、誰がヒナにそんな事を吹き込んだのか瞬時に察したらしい。

 勿論、俺も察した。


「あのねヒナちゃん、それは冗談よ冗談、いい?」

「そうは思えない。リコの母親は嘘をついていなかった。私は別に胃袋を物理的に掴んでも構わないけど、それではカミノイが死んでしまう。だから、股間を選択しようと思っているだけよ」


 怖い事を言う。

 そして後半の台詞も、これっぽちいも色気を感じない。恐怖しかないのは何故だ。


 返答に困る里琴ちゃんに代わり、ルココが口を挟む。


「はーあ、ずっとこの調子ですからねヒナたん。やれやれですよ」

「随分と他人事ね。あなたが掴まない、リコも掴まない。それなら私が掴む。それだけよ」


 これは困った。

 先ずはその考えを捨てさせないとダメだろう。俺はヒナを諭すべくパーテーションを回り込む。だが俺よりも先に言葉を発したのは里琴ちゃんだった。


「私が掴むから結構です!」


 里琴ちゃんがそう言い切るのと、俺が三人の前に姿を見せたのが同時だった。


「……だそうよ、カミノイ。よかったわね」

「おほほほ、これはムフフな展開ですか?」


 俺は深いため息をひとつ。それからヒナに向かって諭すように語る。


「ヒナ、世の中には節操という言葉がある。今日からみっちり、里琴ちゃんに色々と教えてもらいなさい」

「股間の掴み方を?」

「違う! はあ……まあいいよ。ほら、買い物いっといで」


 これは苦労しそうだ。

 ヒナとルココが玄関に向かおうとする中、里琴ちゃんは半ば放心状態といった感じで突っ立っていた。


「里琴ちゃんどうしたの?」

「……あの、いえ。社長、今のセクハラですから!」

「はああああ?」

「今のはぜーーーったいセクハラです!」


 何故か頬っぺたを膨らませ、速足に玄関へと向かう。

 賑やかなのはいい事だし、多少喧しいのもご愛敬だ。だが、そっち方面の言動が元でギクシャクするのだけは絶対に避けたい。


 姿が消えた三人の、その声だけがリビングまで響いてくる。


「ほらさっさと行くわよ!」

「おろろ、リコ様急にどうしましたオコですか」

「照れ隠しに怒っているだけよ」


 直後、ヒナの「痛い!」という声が聞こえてくる。

 神様に手を挙げるとは、里琴ちゃんは人間界最強かもしれない。


 一人きりになった俺は、事務所のベランダから外へと視線をやる。

 良く晴れた午後、スカイツリーが空に向かって突き刺さっている。


「ま、里琴ちゃんが上手くやるか」


 そう独りごちて視線をデスクへと戻そうとした、その時だった。


 ベランダの隅に、白い服の女を見た。

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