【閑話】西村家の人々
里琴ちゃんと美魔女ママ
~ Side Episode
Riko Nisimura ~
今年の連休は引越しの準備で忙しい。
気温もすっかり高くなり、半袖で作業をしていても汗ばむ陽気。
一休みにと母が容易してくれた麦茶と苺大福を前に、私は正直に答えるしかない。これはたぶん私に吐かせるため、母なりに熟慮された餌であり、私はまんまとその餌に釣られて真実を打ち明ける。
「まあ……同棲ってわけじゃないんだけどさ」
執拗に問い詰めてくる母に、私はどうにも居たたまれない気持ちになる。
「違うの? ねえ里琴、神野威さんとはどこまでいったのよ」
「どこまでって……そんな露骨な聞き方あり?」
「ちなみに、お母さんとお父さんはね、初デートがお父さんのお家で、その日のうちに……よ?」
「ちょっとちょっと、両親のそんな話なんて聞きたくないってば」
母は今年で四十三歳になる。
今の私の年齢を考えると、母はその頃にはもう結婚して私を妊娠していたのだ。
まさかとは思うが、初デートで発生したそれにより、私を妊娠したのではないかという疑問が浮かび上がる。
「何言ってんのよ。さっさと押し倒しちゃいなさい。男はね、胃袋と股間を捕まえておけばそうそう逃げやしないんだから」
「あのねぇ……って、もうその話やめない?」
私は深いため息をひとつ。
母の言う事は御もっともなのだろうが、この母は私がかなりの奥手である事実を知らないようだ。
私の同級生からは勿論、弟や妹の同級生からも『美魔女』扱される母で、私と二人で出かけると親子揃ってナンパされる事も珍しくない。私はナンパしてくるような男とは話す事さえ嫌なのだけれど、母はそれが満更でもない様子なのが気に入らない。
「里琴、いい? 男ってのはね――
そこからしばらく、毎度の事である母の男理論が展開される。
何度聞いたか分からない。その内容を暗記できるくらい、私は何度も聞かされている。
母の持論を右から左へ聞き流しながら、好物の苺大福に齧りつく。
「――だからね、神野威さんは丁度いいお年頃ってわけ。里琴みたいに早くから遊んでた子は、ああいう優しくしてくれるタイプの男に慣れてないからダメなの。口を開けば『男運が無い』とか言う子はね、殆どが自分からダメな男ばかりを選んでるのよ? ダメな男のほうが簡単に落とせるから、楽な方に行っちゃうわけよ。分かる? だから――
早くから遊んでたとは心外な物言いじゃないかと思う。
初デートでそんな事してる母の方こそ、それなりに遊んでたほうじゃないだろうか。
私は苺大福を堪能しながら、窓から見える快晴に過去の想い出を投影してみる。
「――だからね、それはそれでタイミングが大切なのよ。男から遊んでると思われた瞬間、いざって時にただの尻軽だと思われるわけ。だから――
だから、だから、だから、だから。
こうなり始めた母のトークは延々と続く。聞いていると馬鹿々々しくなる程、いつまでも続く。
それに耐えるのも鬱陶しくなり、私はつい、母の口を封じるために言わなくてもいい事を言ってしまった。
「あのねお母さん、社長が挨拶に来てくれるって」
「――!? いつ!? いつ来るの!? 美容院行っておかなくちゃ。折角だから洋服も新調しておこうかしら」
まるで憧れの男子が遊びにくる事を知った女子高生のように喜ぶ。
これじゃ社長の事を好きなのは母のほうで、私じゃないみたいだ。
「なんでお母さんがお洒落するのよ」
「だって、別に結婚の挨拶しにくるわけじゃないんでしょ? だったらお母さんにもチャンスあるじゃない」
何を言っているのやら。
「何のチャンスよ……」
呆れた私はぼそりと呟いた。
それを聞いた母は、ニヤリと笑う。
「そりゃ勿論、昼顔に決まってるじゃない」
「は? お父さん聞いたら泣くよ?」
「まあ……神野威さんがその気なら、残念ながらお父さんはお払い箱ね。里琴、私の苗字が神野威になっても恨まないでね? ちゃんと神野威さんを『お父さん』って呼ぶ心の準備しておくのよ?」
「やめて。冗談でもやめて。絶対にあり得ないと分かっててもゾッとする」
私は右手に残った苺大福の欠片を口に放り込み、酸味と甘味をゆっくりと堪能し、余韻を麦茶で押し流す。
「とにかく、私、引っ越しますから」
それだけを言って席を立つ。
その私の行動に母はクスリと小さく笑い、いつになく優しい顔で私に語った。
「いいわ、好きにしなさい。この四年間、いい娘でいてくれて本当に有難う。感謝してるわ」
「馬鹿、急に何言ってるの」
「いいじゃない。娘に感謝して何が悪いの? ま、神野威さんにはもっと感謝しないといけないけどね」
「……そうだね」
そこで私は、今回の引越しの大義名分を思いついた。
「そうだよ、恩返しだよお母さん。私ね、社長に恩返ししたいの」
「だーめ。そんな後付けの理由、お母さんは許しません」
「いま『好きにしなさい』って言ったじゃん!」
「そうよ? 好きな人と一緒に住みたいって、素直にそう言いなさい」
母の言葉に、私の顔は勿論、耳まで真っ赤に違いない。
「そ、そんなんじゃないから」
「ふふ、まあいいわ。で? 神野威さんいつ来るの?」
「もう。あのねお母さん、社長が来ても変な事言わない?」
「言わない言わない。口説くかもしれないけど」
「それもだめ!」
どうやら母にからかわれている。
「分かったわ。じゃあ残念だけど口説くのも諦めるわ。で、いつ来るの?」
「まったくもう。社長はいつでもいいって言ってるから、呼べば今日だって来ると思う」
「あらそう。呼ぶなら教えてね? 洋服と美容院はともかく、お食事くらいはそれなりに見栄張って用意しないと……」
そこまで言うと、母は何かを思いついたように手をぽんと叩いた。
「違うわ。里琴、あなた引越しの準備とかしてる場合じゃないわ!」
「え? どうしたの?」
母は唐突に立ち上がると、普段から持ち歩いているバッグを手にした。
「ほら行くわよ!」
「って、何処に?」
「里琴、貴女が作るのよ! 男はね、胃袋と股間をしっかり掴めばそれで逃げられなくなるの。先ずは、胃袋よ。その次にしっかり股間を掴みなさい!」
「ねえ、さっきからその股間を掴むって表現やめない?」
「あら、比喩じゃなくて本当に文字通り掴むのよ? 当然だけど掴むだけじゃ駄目で、そこから――
「だー! 聞きたくない! 他人の話ならともかく、両親のそんな話は聞きたくなーい!」
その後、私は母に引きずられるようにして買い物に連れ出された。
クックパッドを片手に、社長の好きなメニューを開いての食材の買い出し。
いざ家を出るとなると、こうして母と一緒に買い物をする時間も減ってしまうのだ。そう思うと、何だか急に母が愛おしくなった。
家を出たら、三人の彼氏とも、二人の彼女とも、今までのようにはいかなくなる。父、弟、アルファくん。母、妹。
私の大切な家族。
その家族の大切さに気付かせてくれたのは、他でもない社長という存在。
四年前、心が潰れてしまっていた私に手を差し伸べてくれた、神野威圭太という一風変わった大人の存在。
母と並んで食材を選びながら、私はピーマン片手に母に言う。
「お母さん、有難う。私ね――
その言葉を、興奮した母が遮った。
「里琴あれ見て、トイレットペーパー半額! お一人様一点限り! 直ぐに弓香を呼んで。お母さんは俊太に連絡する!」
半額のトイレットペーパーのために呼び出される弟と妹を哀れに思いつつも、私は母の背中に小さく呟いた。
「私ね、絶対に掴んで見せるよ。私なりに掴みたいものがあるんだ」
母は胃袋と股間を掴めと言うが、私は私自身の幸せを掴みたい。
それには社長が必要不可欠で、大好きで大切な家族にも祝福してもらいたい。
そして携帯を耳にあてる。
『もしもーし、どうしたの? おねえが電話してくるなんて珍しいじゃん』
「珍しいかな? って、そうじゃなくて弓香、何処にいる? 直ぐにいつものスーパーに来て! トイレットペーパーが半額なの!」
何だかんだ言って、私はやっぱり母の娘なのだ。
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