第2話 ご説明さしあげます

 女神エルミーアは、勿論、女神である。

 女神の中にもそれなりに美醜あるわけだが、女神エルミーアはかなり美しい部類に入ると言えるだろう。その上透け透けのレース姿なのだから、篭絡されてしまわないように気を強く持たねばならない。


「では、まず我が社の経営理念から」


 俺は女神エルミーアへ向けて会社案内を開く。


 一、我々の職務とは、異世界転生、転移、召喚を通じて、お客様の笑顔を創造する事である。


 一、我々は異世界転生、転移、召喚の対象となった人間の、家族や友人の笑顔を損なわぬよう、真摯に勤める事を忘れてはならない。


 一、我々は異世界という存在が忘れ去られる事がないよう、不断の努力によって伝え、守らねばならない。



「何度目にしても素晴らしい理念ですわ。ミスター神野威、尊敬致します」

「どうも……なんだか照れますね。では続いてサービス内容です」


 俺はページを捲った。


「先ずはこの世界に住む人間向けのサービスです。そして二番目は、異世界を司る神々へ向けたサービス。そして最後に、この世界に異世界という存在を知らしめる活動をしている、作家さんや出版社に向けたサービスです。我が社のサービスは概ねこの三つに分類されています」


 ふむふむと頷きながら聞いてくれる女神エルミーアは、真剣になるあまり若干前屈みになっており、薄いレースに守れた胸の谷間がぐぐっと俺に迫ってきている。

 俺はどうにか煩悩を振り払い、サービス説明を続けた。


 人間向けのサービスとは、厳密に言えば『異世界へ行く事を望む人間に向けたサービス』である。

 異世界渡航希望カードという物を作り、希望者にそれを渡しているのだ。


 神々へ向けたサービスとは、この世界から異世界へ転生や転移、または召喚によって人間を連れていこうとした場合に利用してもらうサービスである。

 突然異世界へ連れて行った場合、何かと上手く行かない事が多い。

 そこで、予め異世界へ行く事を希望する者に異世界渡航希望カードを渡しておき、そのカードを所持する者のリストを作り、神々はそのリストの中から理想に近い人材を選んでもらうという仕組みだ。


 そして三つ目、作家や出版社に向けたサービス。

 これは異世界物のライトノベル等を執筆する中で、アイディアが枯渇したり、プロット作りに行き詰ったりした場合、我が社を通じて神々に依頼し、実際に異世界を見学させてもらうというものだ。


「今までは三番目のサービスでお付き合いがあったわけですね。納得しましたわ。それから、今回わたくしは……この二番目のサービスを利用させて頂くのですね」


 いちいち最高の笑顔で問いかけてくるものだから、本気で心臓がドキリと撥ねる。


「はい。そこでこの個人向けサービスに登録している人間のリストから、女神エルミーアのお好みで選んで頂く事になります。ですが、本日の正午時点で登録されている人間の数は八千名を超えています。その中からお好みの人材を探すのは大変でしょう」

「まあそんなに? それでは日が暮れてしまいますわ」


 美しい眉を八の字にして困った表情を浮かべる。


「ええ。そこで、神々のご注文に合わせて我々がピックアップ致します」

「そうですか、それを聞いて安心しましたわ」


 ホッと胸を撫で下ろす女神エルミーア。

 くどい程に分かりやすいリアクションが、この女神の特徴である。


「早速ですが、今回はどのような人材をお求めですか?」


 俺は一枚の用紙を取り出して見せた。

 女神エルミーアに見せる一方で、俺は同じものを目の前に置き、エルミーアから述べられる希望を記入していく。


「わたくしが今回担当する世界は、ほのぼの系ですの。なので出来れば、若い女性が来ていただけると雰囲気が崩れなくて助かりますわ」


 女神エルミーアは『今回担当する世界は』と言うが、俺の知る限りこの女神は毎度毎度ほのぼの系の世界しか担当していない気がする。


「では、第一希望は若い女性ですね。他には?」

「そうですわね……お料理が得意だと、わたくしも美味しものが食べれそうでウキウキしますわね!」


 相変わらずの食いしん坊。美味しい物に目が無い。

 女神エルミーアが出版社向けのサービスで見学を引き受けてくれるのは、見学の度に作家や出版社の人間が手土産を持っていくからである。要するに、手土産の美味しい何かがお目当てなのだ。


「料理が得意……と。他には? ああそうだ、転生、転移、召喚、ご希望は?」

「重要なのはそこですわ。今回は王の娘、お姫様になってもらいたいので、是が非でも転生でなくては困りますの」


 若くて料理が得意な女の子が転生か。

 さてさて、これは難しい注文になった。


「分かりました。女神エルミーア、一応確認しておきますが、転生という選択は一度生命を終わらせるという事です。その点についても問題ありませんね?」

「……分かっていますわ。だからこそ、ミスター神野威にお願いしに参ったのではありませんか」


 真剣な表情でぐぐっと顔を近付けてきた。


「そうですか、そこまで言っていただけるのであれば、全力でご期待にお応えしましょう」

「良かった、お願いに伺って正解でしたわ」


 パッと花が咲いたような笑顔になる女神エルミーア。


「では女神エルミーア、明日もう一度、同じ時間にお越し頂けますか?」

「ええ、構いませんわ。感謝しますミスター神野威」


 俺は聞き取った情報を書き取り終えると、会社案内の最後のページを開いた。


「では最後に、頂戴する報酬についてご説明します」

「はいっ」


 満面の笑みで頷いてくれる。


「個人向けサービスと作家向けのサービスには興味が無いかもしませんが、一応」


 俺はそう付け加え、一から説明した。


 個人向けサービスは、年会費という形で一人三千円を申し受けている。

 異世界渡航希望カードの作成やその送付も込みで、一人当たり年間三千円であるから、買う方としては然程苦労なく買える金額である。これは学生でも買う事が出来る金額を意識しての事だ。


 神々向けのサービスについては、流石に経済的な報酬を貰うのが難しい。

 そして、作家や出版社向けのサービスに協力してもらうため、また、異世界渡航希望カード所持者を選んでもらうため、報酬の内容は破格で設定させてもらっている。

 その報酬とは『少しばかりの幸福』である。

 忘れてはならない、商売相手は神々なのだ。彼らが俺や我が社に『少しばかりの幸福』があるようにしてくれるだけで、俺や我が社が受ける恩恵は実に大きい。


 そして三つ目の作家や出版社向けのサービスでは、異世界の見学一時間につき一人当たり十万円を頂戴している。

 これは俺の持っている神々との人脈を通じ、安全に見学できそうな異世界を担当している神にお願いし、どうにかほぼ無償での見学に応じてもらっているのだ。

 女神エルミーアの場合は美味しいお土産が目当てであったし、別の女神はBL系の同人誌で見学を請け負ってくれたし、そこら辺は実に様々な要望がある。


「わたくしがお支払いするのは、ミスター神野威に少しばかりの幸福……ですわね?」

「はい。申し訳程度に頂いているようなものです。この世界でお力を使うのは大変でしょうから、無理のない範囲で構いません。今回は特に、お気持ちだけでも結構ですよ」


 女神エルミーアには見学で世話になっている事もあり、正直なところ無償でも構わないと思っている。


「いえ、それでは申し訳ありませんわ。お支払いはいつ?」

「基本的には人材が確定し、異世界への渡航が無事に成立した時点でお願いしています」


 俺の説明に少し考えた風の女神エルミーアは、小さな笑みを浮かべた。


「では、気持ちだけ少々前払いさせて頂きますわね」


 そう言ってテーブルにぐっと身を乗り出し、俺の頬を両手で挟むと、そのまま俺の額に口付けた。

 額に柔らかい感触と、肌に感じる女神の吐息。

 目の前には、豊かな胸の谷間。

 そしてその谷間から漂うような、どんな香水でも演出できないであろう甘美な香り。


「それではミスター神野威、今日はこれで失礼致します」

「あ……はい。女神エルミーア、それではまた明日」


 両手の指先でレースのスカートを摘まみ、恭しく頭を下げてカーテンの向こう側へと消える女神エルミーア。


 俺はぽーっとした頭で見送った。

 気を付けてはいたのだが、篭絡されかけている。

 額に残った唇の輪郭と、ふわりと漂った女神エルミーアの美しい香りと、少し冷えた両手の感触が、いつまでも俺の顔に纏わりつて離れなかった。

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