第12話 女神と女神と元勇者

 見習い女神クイは、正しく見習いである。

 特にそれっぽいのは見た目だ。


 クイの見た目は、どれだけお世辞を言ってみようと子供。日本人の女の子であるなら、年齢にして十歳前後にしか見えないのだ。小学生なら三年生とか四年生くらいの女の子だろう。

 残念な事に頭の中もその程度で、難しい会話は成立しないと思っていい。

 所謂ロリババア属性とは違い、本当にただの子供なのだ。何処までも無限にあふれ出る元気が特徴の、とても良い子である。


「じゃあ皆さん、先ずは安全に生活できるようにする事だけを考えてください。クイは俺がどうにかしますから」


 俺は村の人にそう告げ、ガライさんから告げられたクイが連れ去られたであろう場所へと向かう。



 村から二時間程歩き、ガライさんに教えてもらった火山の麓へと辿り着いた。この地方に温泉を湧き上がらせているこの火山は、人々に豊かな暮らしを提供してくれている。


 その火山の麓に、少し大きめの石の舞台がある。

 豊作を祈る祭りの時に、村の若い子達が華やかな衣装を纏って踊る場所だ。


 その舞台の上に、目の覚めるような深紅の髪と、美しく艶やかな褐色の肌を持つ女神の姿があった。その肩には、あの巨大な斧。

 俺の背筋に緊張が走る。


「女神ウルイナス、何故だ」


 最悪、女神とバトルなんて可能性も無くはない。

 こちらが万全の体勢ならばいざ知らず、十二年ぶりで上手く立ち回れるか正直微妙なところだ。取り敢えずひとつの可能性に賭けて罠は仕掛けてあるが、本格的なバトルに突入した場合、そんなものは全く役に立たないだろう。


 女神ウルイナスは首をかしげて答えた。

 今すぐに襲い掛かって来る気配がない事に安心しながら、俺はその言葉に耳を傾ける。


「何故? さあね。自分の胸に手を当てて考えな」


 思い当たる事などありはしない。

 これは完全に何かしらの行き違いだろう。


「女神ウルイナス、何があったか知らないが、恐らく誤解だ。俺は女神ウルイナスに何の敵意も無ければ、当然だが害意もない」

「ふざけた事を。敵意でも害意でもなければ、いったい何だ!」


 巨大な斧を右手一本で軽々と持ち上げて、それを一振りする。

 その一閃だけで空気は大いに震え、痛い程の衝撃が走った。


「やめてくれ女神ウルイナス。何が望みだ。出来る限りはその望みに応えるから、今は怒りを鎮め、理由わけを教えてくれ!」


 俺の言葉を受け、女神ウルイナスは厳しい表情のまま一歩一歩ゆっくりと俺に接近してくる。

 彼女の斧の殺傷距離を掴めているわけではないが、間違いなく物理的な距離を凌駕するはずである。即ち、もう数歩寄れば、斧の届く届かないに関わらず、俺は女神ウルイナスの射程距離に入るだろう。


「女神ウルイナス、俺は退かない。理由を教えてくれ」


 俺と彼女の視線は激しく交錯。

 だが、お互いに殺気という程の圧はなく、じっと見つめ合ったままその距離だけが縮まっていく。


「神野威、あんたは根っからの優男だ。何も意図的にそうしているわけじゃないだろうさ、そんな事はよく分かっている」


 俺と女神ウルイナスの距離は、もう手を伸ばせば届く距離となった。背中は汗でびっしょりになっているが、この緊張を悟られぬように極力平静を装う。


 この異世界にいる間、俺という存在は時に神に匹敵する。

 それだけの能力を有し、それだけの実績もある。人間界にいる時のように、全く及ばない存在というわけではない。だが、それでも神と人間との争いに、人間が勝利したという話はあまり聞かない。


「だから誤解だ。何があった」

「ふん。悪意のない者が無意識のうちに他者を陥れている事ほど、罪な事はない」


 女神ウルイナスは更に一歩進み出る。

 銀の鎧に包まれた艶やかで弾力のある膨らみが、俺の胸に触れそうな距離まで接近している。美しいく整った顔が目と鼻の先だ。


「女神ウルイナス、頼む、理由を教えてくれ。何を望む」

「……望む、か。望んでいたのではない。だからと言って爪はじきにするのも違うだろう」

「爪はじき? 俺がか?」


 深紅の髪に深紅の瞳。

 こんな至近距離で見つめ合うなんて、人間界でやったら間違いなく俺はどうにかなっている。篭絡されるか、それとも威圧されるか、神とこの距離で対峙して正常でいられる人間など人間界には存在しない。


 女神ウルイナスは小さく笑った。


「いいだろう。私がこうまでした理由を教えてやる。ただし条件がある」


 その瞬間、女神ウルイナスが手放した巨大斧が、倒れて地面に食い込んだ。


「条件?」

「ああそうさ。神野威、望みに応えると言ったろう? ならば一つ、こちらから要求しようじゃないか」


 言いながら、女神ウルイナスはその両手で俺の頬を挟む。


「あんたこれから三日間、私の情夫になりな。なあに、三日後には開放してやるさ。ただの気まぐれ、三日限りの情事ってやつだよ。たかが人間の身で女神を抱けるんだ、悪くない話だろ?」


 言葉を終え、髪や瞳と同じような真っ赤な舌をぺろりと見せる。

 そして、両手で挟んだ俺の顔を信じられない力で固定し、その舌で俺の唇をなぞった。

 とろりと艶めかしい感触が俺の唇を這う。


 女神ウルイナスのその行動と同時に、俺は拳を強く握りしめ、血が滲むほど掌に己の爪を食い込ませた。その痛みでどうにか意識を保った俺は、女神ウルイナスがひとつの魔法を仕掛けてきた事を察する。


 ――よし、読み通り。


 俺は読みが的中した事に安堵を覚えながらも、篭絡される寸前の、ギリギリの所で踏みとどまった俺の欲望を掌の痛みを利用してねじ伏せる。


 女神ウルイナスの動きがピタリと止まった。

 そして、その瞳孔が開き気味に固まっている。


「女神ウルイナス、下がれ」

「はい……」


 女神ウルイナスが俺に仕掛けてきたのは、魅惑チャームの魔法だ。


 如何に戦いの女神とは言え、自分の世界ではない場所で力を振るうとなっては本来の実力を発揮できない。ましてや、相手はこの世界を救った元勇者の俺だ。俺はこの世界でしか実力を発揮できないが、この世界なら相当強い自信がある。


 そうなれば女神ウルイナスとしても、安易にバトルに持ち込むのは得策ではない。

 故に何かしら別の手段を選ぶ筈だと踏んだ俺は、ここへ来る途中で反射魔法を仕込んでおいたのだ。そして、欲望に負ける事なく反射魔法の発動に成功し、女神ウルイナスは自分の仕掛けた魅惑チャームにかかった。


 女神ウルイナスは戦いの女神。俺はそれを良く知っている。

 だからこそ、その戦いの女神が魅惑チャームを仕掛けてくるという戦い方はナンセンス。俺がそう考えれば油断していたに違いない。

 俺の知る限り女神ウルイナスは頭がいい。特に戦いの駆け引きに関しては、実によく頭が回る。


 だから裏をかいてくる。

 そう睨んだ俺の読みが的中したのだ。


「女神ウルイナス、どうして村を襲った」

「……私をのけ者にするからだ」


 この魔法がかかれば、相手を意のままに操る事も難しくない。今ここで女神ウルイナスにどんな悪戯でも可能だが、それはやめておこう。後が怖い。


「のけ者ってどういう事? 誰からの情報?」

「……スキヤキとやらに私は呼べぬと、見習い女神風情が」

「は?」

「だから、見習い女神クイが、わたしを神野威とのスキヤキには呼べないと、そう言ったのだ。何故だ神野威」


 涙に潤んだ真っ赤な瞳で、俺を見つめ、下がったはずの距離を一瞬で詰め寄ると俺に抱き着いた。


「神野威、スキヤキとは何だ。私と神野威が打ち合わせをする事で、見習い女神クイが得られるその褒美を、どうして私は得られんのだ」


 むっちむちの褐色おっぱいが思い切り押し付けられた状態で、俺はどうにか平常心を保つ。


「なんか変な体勢で変な話になっているが、クイは何処にいる」

「この地下だ」

「すぐに連れてこい」

「嫌だ。私にもスキヤキをくれ。そうでなければクイは返さない」

「分かった分かった、女神ウルイナスもすき焼きに呼ぶから、クイを返してくれ」

「本当か?」

「ああ、本当だ」

「そうか、これだから私は神野威が好きなのだ」


 そう言って、俺の唇を強引に奪う。

 これは完全に魅惑チャームの効果であるが、これ程強い効き目の魔法を俺が真面に受けていた場合の惨劇は、想像しただけで恐ろしい。


「そ、そうかありがとうな。ほら、早くクイを」

「そう焦るな。二人で楽しんでからでも遅くはなかろう?」

「だーめ、今すぐ!」


 俺の体をまさぐるようにする女神ウルイナスの両手を抑え、体を強引に引き離す。


「そうか、これも焦らしのうちか。神野威、そうなのだろう? ならばいい、見習い女神クイを連れてこよう」


 口の中で小さく詠唱を始めた女神ウルイナスは、高まった魔力を地面へと突き刺した。すると地中から光が立ち登り、鳥かごのような牢が出現した。

 その牢の中に、座り込んでめそめそしているクイがいた。


 目の覚めるような水色の美しい髪は、いつものように頭の天辺よりやや後ろでお団子にまとめられており、どことなく巫女装束を連想させる白い和装も普段通りである。

 クイは俺に気付くと、とうとう声を上げて泣き出した。


「うえーん、ケータぁぁぁ」

「クイ、待ってろ、今出してやる」


 俺は牢へと駆け寄りつつ、右手の頭上に掲げた。


「よし、まだ使えるな」


 俺は所謂『アイテムボックス』と呼ばれる独自の仮想領域から、そこに仕舞い込んでいた一振りの剣を取り出した。

 古代スペルで装飾された、高い魔力を帯びた剣。


「クイ、下がれ! ルーンブレイド!」


 久しぶりにしては上出来だ。

 牢の一部を切り落としてクイを救い出す。


「怪我は無いか?」

「うん、大丈夫」


 どうにか泣き止んだクイを抱きしめ、頭を撫でてやりながら女神ウルイナスへと視線を向けた。


「ありがとう女神ウルイナス。すき焼きには招待するからな」


 何処となく不満げな女神ウルイナスが小さく頷く。

 だが、俺が抱きしめていたクイがそれに猛反発した。


「駄目! そんなの嫌だよ!」


 意味が分からん。


「なんでだよ。別に女神ウルイナスがいたっていいじゃないか」


 俺の説得に、クイは再び涙目になって首を横に振った。


「だってさ、だってさ、ウルイナス様がいたらさ、クイが食べるお肉様が減っちゃうじゃん!」

「はあ?」

「だってそうでしょ? せっかくのお肉様が減っちゃうなんて嫌だもん!」

「いや、そうじゃない」


 なにこれ。

 そういう喧嘩なのか?

 俺は深いため息をついて、クイに言って聞かせる。


「俺とクイがすき焼きをやる時のあの鍋は、三人や四人で囲うには確かに小さい。けどな、あれは色々と種類があって、もっと大きなすき焼き鍋もある。俺とクイと、それから女神ウルイナスと、なんなら里琴ちゃんも一緒にすき焼きしたって十分な大きさの鍋もある」


 抱きしめていたクイを一人で立たせ、頭を撫でてやりながら言葉を続けた。


「それとな、お肉も、お野菜も、沢山買っておけば問題ない。たらふく食べても余るくらい、沢山用意しておくから心配するな」

「そうなの? そっかー、それならウルイナス様も一緒にスキヤキのほうが楽しそう!」


 俺はどっと疲れながら女神ウルイナスへと視線を戻す。


「という訳で女神ウルイナス、今度うちですき焼きパーティーするから来てくれよな」

「そ、そ、そうか。のけ者にしないでくれれば、それでいい。来てほしいと頼まれたからには、行かせてもらおう。ところで、スキヤキとは何なのだ?」


 ああ、俺の睡眠時間を返してほしい。


「んな事は当日までのお楽しみだ。それよりだな」


 すき焼きの説明など、この状況では面倒な事この上ない。

 俺は女神ウルイナスと見習い女神クイを並んで立たせ、きつく言い放った。


「今すぐ、村を元通りにしなさい!」

「わかった。そうしよう」

「はーい!」


 女神である二人にしてみれば、ちょっとした喧嘩のつもりだったのだろう。村人に怪我人がなかったのは、最低限の配慮といったところだと思う。


 そうだとしても、ガライさんは涙を流す程に罪悪感を感じていたし、家を破壊されるのは恐怖だったろうと思う。村の子どもたちに妙なトラウマが残らなければいいが。


「ったく……人騒がせにもほどがあるだろ。迷惑な女神だな……疲れた」


 村の修復に向かった二人の女神の背を眺めながら、俺はその場にへたり込んでしばらく動けなかった。



Episode3 真夜中の呼び出し ~ Fin ~

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