第11話 見習い女神クイのピンチ

 クイとのやり取りを里琴ちゃんに報告し、里琴ちゃんからは幾つかピックアップされたプレゼント候補を見せてもらった。どれも滝山さんが喜んでくれそうな物ばかりで、流石は同世代の女の子だと感心させられる。


 その日の仕事は俺も、当然ながら里琴ちゃんも定時で切り上げた。

 水曜日はノー残業デーと決めているのだ。まあ、里琴ちゃんは一年中ノー残業デーなので、この決め事は俺にしか通用しない。


 いや、そもそも役員報酬とになっている俺には残業という概念がなく、そうなれば俺にも通用しない決め事である。

 だからといって無くしてしまうのは違う。たとえ忙しくなろうとも、里琴ちゃんが捌ききれない仕事量になったとしても、水曜日はノー残業デーである事が我が社のプライドなのだ。


 いつものように自宅の最寄り駅で降り、駅前のスーパーで買い物を済ませ、単身者にはおあつらえ向きの1LDKの自宅マンションへと帰る。駅から徒歩五分という好立地であり、中層より上になるとファミリータイプの分譲が多くなる。俺のような単身者は下層で、俺の部屋は二階だ。


 何てことのない独身男の、なんてことない日常である。

 シャワーを浴び、テレビの前の定位置に陣取る。


 三十歳を迎え、どうにも最近は腹回りのぜい肉が気になり始めてはいるが、今のところ差し迫って対策を講じる予定はない。


 いつの間にか微酔に飲み込まれ、次に目が覚めたのは深夜二時を回っていた。

 目が覚めた理由は単純で、携帯電話がけたたましく鳴り響いたのである。常時マナーモードの俺の携帯が鳴り響くときは、ディスプレイを見るまでもなく発信元は明らかだった。


「クイ……?」


 俺は寝ぼけ眼で端末を手にし、画面を確認する。そこにはやはり、異世界の文字が浮かび上がっていた。


「もしもし、クイか? どうした?」

『ケータ……助けてお願い!』


 鬼気迫るクイの声に、俺の眠気はどこかへ吹き飛んだ。


「どうしたんだ? 大丈夫なのか⁉」

『あんまりだいじょばないかも……キャー』


 何かが空を切る音と同時にクイの悲鳴が響き、凄まじい轟音の直後に異様なまでの静寂が訪れた。聞こえるのは、悲し気に泣き続ける電子音のみ。


 ――ツーッ ツーッ ツーッ


「くそっ」


 俺はすぐに連絡先一覧を開き、タクシー会社へと連絡。

 タクシーが到着するまでの間に着替えを済ませ、財布だけを手にタクシーへと飛び乗った。


「秋葉原までお願いします。ものすっごい急ぎで!」


 声をかけた運転手さんは、どこかダンディな雰囲気のおじさんだった。


「ほう……いいぜ、任せな!」


 意外にも快諾してくれた運転手さんは引き締まった表情に変わる。

 

「前の車をつけてくれとか、急いでくれとか、そんな依頼に憧れてこの仕事を始めたってのによう……さっぱりだったんだ。だがついに出会えた! 感謝するぜ! タクシードライバーってのはこうじゃねーとな!」


 刹那、アクセルべた踏みで急加速した。

 言ってはいけない人に言ってはいけない事をお願いしたらしい。いくら何でもそこまでしなくていいんじゃないかと思ったが、お蔭様で深夜とは言え驚異的な短時間で秋葉原に到着した。


 タクシーを降りる時に「釣りはいらない」だなんて、今の今まで言った事がなかったのだが、今回だけは待ってられない。


「運転手さんありがとう! 恩に着るよ、貰っといて!」

「なあに。ドライバー冥利に尽きるってもんさ! っと、いいのかい? 悪いね」


 笑顔で親指を立てた運転手さんに一万円札を渡し、三千円を超えるお釣りを貰う間さえも惜しんで階段を駆け上がる。


 事務所の鍵を開けて中に入ると、脇目も振らずに応接室へと駆けこんだ。


「はぁはぁ……頼むよ……」


 息を切らしながらと俺はそう呟いて、扉へと踏み入れる。

 入口のカーテンを丁寧に閉め、大きな鏡に両手をついて祈るようにした。


「頼むよ、入れてくれ。頼む、頼む……入れてくれ」


 氷のようにひんやりと冷たい鏡は、俺の掌の体温をぐんぐん奪っていく。


「入れろ、俺を入れてくれ。頼む、頼むよ!」


 ぐっと体重をかけてみるも、冷たく硬い鏡はびくともしない。


「クイがピンチなんだって! お前、クイに作られたんだろ!? 通せよ、俺を通せ!」


 次の瞬間。

 両手をついた部分がぐにゃりと歪んだかと思えば、それはまるで水になったかのようにポチャリと俺の両手を飲み込んだ。


「よし! 良い子だ」


 人類は何十億人といるが、試着室に向かって『良い子だ』なんて声をかけたのは俺だけかもしれない。

 俺は水のようになった鏡にそのまま一歩踏み出す。鏡は俺の足までもポチャリと受け入れてくれた。


「ありがとな」


 そのままぐっと前に出て、己の身体を一気に鏡の中に沈めていった。

 反対側に出る時も、まるで水の中からザバリと飛び出すような感覚だ。


「おい……嘘だろ」


 思わずそう呟かずにはいられない光景が目の前にある。

 異世界側の出口は、クイが生活する社の中にある。木造の大きな社で、そこそこの賑わいがある村の中心に位置し、村の人達からとても大切にされている社だった。


「クイ!」


 叫んでみるが返事はない。

 俺が立ち尽くすそこは、正しく瓦礫の中。所々残っている太い柱は傷だらけで、床も天井もハリケーンが直撃したかのようにバラバラになって飛散していた。

 そんな瓦礫の中にポツンと佇む一枚の鏡。無傷である事が不思議で仕方がないのだが、何か特別な力で守られたのだろうか。それとも、社を破壊した者が意図的に残したのだろうか。


 社を飛び出して村を見渡すと、そこにも惨状が広がっていた。

 村とは言っても、限界集落のような小さな村ではない。俺の知る限り、二百件近い世帯が広大な農地に点在していたはずであり、特にこの社の周囲は村の中心地店として多少の賑わいさえあった。

 規模こそ小さいとは言え、宿屋、武器屋、防具屋、道具屋、教会といった異世界には欠かせない建造物は勿論の事、衣料品や飲食店もこの中心地に集まっていたのだ。それが見るも無残な状況である。まるで被災地だ。


「何があったんだよ」


 知らぬ間に拳を硬く握りしめていた俺は、一つ大きく深呼吸して心を落ち着かせようと努める。

 その時、壊れた家屋の中から初老の男性が姿を現した。


「おお、ケイタ様ではありませんかな?」

「……?」


 異世界と人間界では時間の経過が大きく異なる場合が多い。この世界も類に漏れず、時間の経過は異なるのだが、それは大抵の場合が担当する神の匙加減でどうにもでもなる。

 そこまで考慮して初老の男性を見ると、何処となく見覚えのある顔に見えてきた。


「ガライさん?」

「そうですガライです。覚えていていただけましたか」


 顔に深い皺を作って嬉しそうな表情を見せたガライさん。

 俺がこの世界でお世話になった時は、まだ働き盛りの男性だった。年齢で言えば、今の俺と同じような年代だったろうと思う。

 この村一番の強者で、ちょっとした行き違いから俺と戦う事になったのだが、ガライさんの操る六節棍を相手に俺は相当な苦戦をした想い出がある。


「何があったのですか?」

「ケイタ様、申し訳ありません!」


 俺の問いに、ガライさんは地面に倒れ込むように平伏した。


「ガライさん、顔を上げてください。何があったのか教えてください」


 駆け寄って身を低くし、ガライさんの肩に手を置いて問いかける。


「大丈夫です。俺がどうにかしますから、何があったのか話してください」


 顔を上げたガライさんの両目から、大粒の涙が零れ落ちた。


「申し訳ありません……本当に、本当に申し訳ありません。クイ様を、クイ様をお守りできませんでした」


 ガライさんは言い終わると、強く握りしめられた両の拳を地面に叩きつけた。

 これはただ事ではない。


「村の人達の被害は?」

「幸いにも怪我をした者はおりません。ですが、身を挺しても守るべきクイ様を連れ去られておきながら、誰一人として怪我をした者がいないなど……情けないにも程がある」


 怒りなのか、悔しさなのか、ガライさんの手は地面にめり込むのではないかというほどに再び叩きつけられ、震えていた。

 俺はガライさんの肩をがっちりと掴んで言葉をかける。


「村の人が無事であったのならば、それは間違いなく幸いです。クイも皆さんが怪我をするような事を望んではいないでしょうから」


 俺は改めて周囲を見回してみる。

 家屋や田畑が受けた被害に比べると、怪我人がいないのは奇跡と言えるだろう。


 俺とガライさんのやり取りに気付いたのか、半壊した民家から続々と村の人達が姿を現した。皆さん無事で何よりだが、この状況では今晩の食事にも困る状況ではないだろうか。


「ケイタ様……」


 未だ涙の止まらぬガライさんの口から、事の経緯が語られる。

 俺はその内容に驚愕し、直ぐには信じらず、心の整理が付かなかった。

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