第52話 英雄は逃げ帰る

 魔王が去った後、俺もヒナもその場に座り込んでしばらく動けなかった。やり切ったというか、出し切ったというか、とにかくヘトヘトだったのである。

 ようやく動き出してルココ達のいる場所へ向かったのは、もう日がだいぶ高くなってからだった。

 横を歩くヒナが言う。


「お腹が減った。あのドラゴン焼いたら美味しいかしら」

「いやあ……そもそもドラゴンって食べられるのか?」


 狙撃ポイントでは、魔王の攻撃に負傷した西の神や人々の手当が行われていた。

 そしての奥、狙撃台の所にルココの姿がある。

 その姿にヒナが感想を述べた。


「ねえカミノイ、この感じ前にも見たわよね」

「そうだな。見たな」


 初めてルココと出会った日に、神界の門を破壊して項垂れていたルココの姿を思い出す。正しく『orz』の姿勢で項垂れ、身じろぎ一つしない。


「心配ね」

「ああ、行こう」


 見ると、ルココのいる場所に横たわっている大砲は、その砲身が派手に破れ、まるで暴発したかのように無残な形状となっている。


 ルココを挟むように両脇に立った俺とヒナは、哀れな姿になった大砲を見つめた。


「壊れちゃったのね」

「こんな状態でよく命中させたな」


 何やら早口で泣きついてくるルココを想像していたのだが、意外な事に全く反応が無い。


「ルココ、大丈夫か?」


 俺は心配になってルココの横にしゃがみ込み、その背に手を当てる。

 ルココの小さな背は、震えていた。


「……ルココ?」


 俺の言葉にようやく気付いたのか、ルココは無表情のまま俺の顔を一瞬だけ見る。そしてすぐに視線を地に戻すと、小さな宝玉の欠片を両手に集めた。


 女子特有の姿勢で――女の子座りというやつ――で地面にへたり込んだまま、六つに割れた赤い宝玉を手に、無言のままそれをじっと見つめている。


「カミノイ様……ボク、ボク」


 そしてようやく言葉を発すると、それと同時に静かに涙を流す。


 ルココが手にしている宝玉が何であるのか、明確には分からない。だが普段あんな感じのこの子が、ここまで神妙になるだけの存在なのだろう。気持ちを推し量ってやる事しか出来はしない。


 俺はルココの震える肩しっかりと抱えてやった。


「有難うルココ。この世界は今、希望を手にした」


 女神の泪は美しい。

 それが見習いであっても、同じ事だ。


 手にした宝玉の欠片を涙で濡らしながら、ルココは俺の言葉にしっかりと頷いてくれる。俺はもう少し身体を寄せ、ルココの頭を優しく抱えた。


「うわーーーーーん」


 それから暫く、ルココの大号泣に付き合わされる事になったのだが、そんな事は大したことではない。あの塔を破壊したこの少女こそ、この世界に希望をもたらした英雄である。

 泣こうが、喚こうが、どれだけ我儘を言おうが、そんな物は全て差し引いても十分すぎる功績だろう。


 結局、この第八島からの狙撃による魔族の塔の破壊が成功した事により、フタトヨジマの奪還も大成功を収めた。

 女神ヘステルの導きにより人々と神々が団結し、見事に勝利してみせたのである。今後は魔族にとって厳しい展開になるだろうが、それはそれ。

 魔王がどんな選択をするのか。

 女神ヘステルがどんな選択をするのか。

 それは俺の知るところではない。


 北の国の船団に送られて、俺達は南の国の港へと戻ったのだが、その帰りの船でルココから事情の説明を受けた。


 あの宝玉は、ルココの師匠とも言える存在だった女神エリオラが、女神としての役割を終えて消滅する間際、その神力を分霊して作られた宝玉だったそうだ。

 唯一無二の、しかも敬愛する女神その物とさえ言えるあの宝玉。

 バズーカ砲の命名にはそんな彼女の過去が影響していたようだ。


 南の国に戻った俺達は英雄として歓待されたが、お祭り騒ぎや大宴会というような派手な物にはならなかった。女神ヘステルから各方面の神々に対し『浮かれるのはまだ早い』と、そう釘が刺されていた事による。


 そんな女神ヘステルの比護の元、俺達は一週間ほど滞在。

 特に俺とヒナについては身体に負ったダメージの回復に努め、万全の状態で人間界へと帰る準備を整えた。

 異世界で負ったダメージを人間界に持ち帰ると、予想外に深刻な事態を招きかねないからだ。


 そして準備が整った今日。

 美しい海を一望できる丘の上には、俺達三人と、それを見送る女神ヘステルの姿がある。


「本当にいいのね?」

「ああ。今回の依頼は女神ヘステルからのものだ。東西南北の神々から報酬を貰うつもりはない」

「欲のない事を言うわね。それぞれ抱きたい放題よ?」


 妖艶な笑みを浮かべる女神ヘステルに対し、俺は苦笑いでそれを誤魔化す。


「まったくまったく女神ヘステル様はすぐそっちに走りますからな。駄目ですぞ?」

「そうね。魔王だけじゃなく女神ヘステルまで倒さないといけなくなるわ」


 二人はそう言うが、以前ほど女神ヘステルに向けて敵意や警戒心を抱いているわけではない。彼女らにとって、このやり取りはあいさつ代わりなのだろう。


 帰りの荷物は殆どない。

 あれだけ大きな荷物を抱えていたルココさえ、小さなバッグ一つである。


「行こう。里琴ちゃんが待ってるからな」

「そうね」

「うんうんそうですともそうですとも。早くリコ様の手料理が食べたいですな」


 転移ゲートへと足を向ける。

 そんな俺達に、女神ヘステルが苦笑した。


「いいわね……あなた達。私もこの世界で、あなた達のような仲間を見つけられるよう、頑張ってみるわ」


 その言葉に若干の寂しさを覚えたが、それが女神ヘステルの選んだ道なのであれば応援する以外にない。


「そうか。じゃあ、俺達はもう用済みだな」


 この世界に仲間を作る。

 それは彼女が、この世界に留まり、この世界が終焉を迎えるまでを共にし、そしてこの世界の女神として、この世界の終焉と共に消滅する覚悟を示している。


「ええ。有難う神野威。私にも居場所が出来そうね」

「そうだな、出来るさ」


 ふわりと身体を寄せて来た女神ヘステルの、その艶めかしい唇が俺の唇と重なった。

 完全な不意打ち。

 ルココとヒナの猛反発は必須と思われたが、意外や意外であった。


「カミノイ、今のは見なかった事にするわ」

「そうですな。絶対にリコ様に言ってはなりませんぞ。いや、そうではなく誰にも言ってはなりませんぞ。記憶から抹消し、墓場まで持って行って下さい!」


 言いながら二人して俺の手を引き、転移ゲートへと連れ込む。


「有難う、元勇者神野威、人間界の女神ヒナ、そして見習い女神ルココ。あなた達はこの世界の英雄よ。歴史にその名を刻んでおくわ」


 女神ヘステルの杖が輝き、転移ゲートが魔力を帯びる。

 だがその瞬間、遠くの空から急接近する存在がった。


「待てぇええええ! カミノイ!」


 北の女神である。

 あまり飛ぶのが得意ではない様子で、着地に失敗して派手に転びながらも転移ゲート向けて猛然と駆け寄ってくる。

 そしてその手にあるのは数冊の雑誌。


「貴様ぁ!」


 凄まじい剣幕で叫びながら、北の女神は顔を真っ赤にして駆けてくる。


「このような破廉恥な物を持ち込んで、この世界をどうする気だったのだ! 答えろおおおおおお!」


 あれは間違いなく、エロ本だ。

 おっさんの神々にくれてやろうと思って持ち込んだ、完全に大人の本である。


「やばっ、ヘステル、早くっ、早く!」

「逃がすかぁああああああ」


 戦々恐々とする俺に、女神ヘステルは美しい笑顔で最後の言葉をかけた。


「貴方を愛しているかどうか、それは私にも分からない。けれどこれからも、貴方を想い続ける。それは未来永劫変わらない。それが私の価値になる。貴方を想う事が、私自身の価値になる」


 何だか哲学的でよく分からないが、目の前に迫る北の女神の危機は確かだ。

 女神ヘステルが杖を高く掲げた。


「それじゃあ、元気で」


 視界が真っ白に覆われた。


「待てぇええカミノイ! 礼くらいちゃんと言わせ――……




 北の女神の言葉が途切れると、徐々に色を取り戻した視界に見慣れた社が移り込む。


「戻ってきましたなぁ」

「正確にはまだ戻っていないわ」


 そこへ水色の髪の可愛い女神が顔を出す。


「やっほ、ケータ元気だった?」

「ああクイ。有難うな」


 あとは社の奥の扉から事務所に戻るだけである。

 神アバルへの報告は後日ゆっくり行うとしよう。今はとにかく事務所に戻り、里琴ちゃんに無事を知らせるのが優先だ。


「よし、いざ人間界へ!」


 ルココを先頭に扉へとその身を沈めていく。

 そしてヒナが扉の前に立ち、足を止めて背中越しに言う。


「女神ヘステルの言葉、分かる気がする。自分の存在意義や価値を見失っていた私も同じ。カミノイやリコを想う事でしか、自分の存在や価値を肯定できないの。不器用な女神で申し訳ないと思うけど、これからもヨロシクね」


 そして俺の返事を待つことなく、扉へその身を沈めていった。


「想う事でしか価値を肯定できない、か」


 敢えて口に出してみて、その意味を知ろうとする。

 だがどうにも難しい。


「俺そういうの苦手なんだよなぁ……」


 理屈で物事を考えるのは得意だが、抽象的で哲学的な考察は苦手である。

 俺は頭を振って気分を変え、ぽちゃりと扉にその身を沈めた。

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