第39話 準備完了
丸一日を使った特訓は、実に清々しい汗と笑いが出る程の疲労感で締めくくられた。
流石に十二年という歳月は、ブランクと呼べるような優しさではなかったのだ。
歩くのもしんどい程に疲れ果ててしまったわけだが、それでも疲労回復の為に出来る限り食べ、そして寝た。
翌日。
目を覚ました俺は明らかな変化に気付いた。
全身筋肉痛でどうにもならない事さえ想定されたのだが、流石は俺。この世界ではチートクラスのご都合主義な元勇者である。
「体に力が漲ってくるよ。有難うなキャス」
「頑張ってニャ。また来てほしいニャ!」
笑顔で手を振るキャスに別れを告げる。
二度目の別れ。
けれどあの時とは違い、今度の別れはまたいつでも会える別れである。
「ああ。近いうちにまた来るよ」
そう言い残して駆ける。
獣人の少女達に追われて来た時とは比べ物にならない速度で、風になったように木々の合間を駆け抜ける。特訓の成果は上々だ。
村へ戻ると、ヒナも準備が整った様子である。
「遅かったわねカミノイ」
「悪い、待たせちゃったかな」
相変わらずの赤いパーカーに黒いハーフパンツ。真っ白な髪が風に揺れ、深淵に力を秘めるオッドアイが珍しく微笑んだ。
「ええ。けれどいい時間を過ごさせてもらったわ。感謝してる」
そう述べるヒナの後方では、ガライさんが力強く頷いている。
「そうか。よし、戻ろう」
多くの言葉は必要ない。
ガライさんの頷きこそが、俺にとって最大の確証である。ヒナは間違いなく成長したのだろう。
「ええ。早く帰ってリコの手料理を食べたいわ」
「ああそうだな」
その会話に笑顔のクイが参加してくる。
「いいなー、クイもリコちゃんのお料理食べたいな。あのねケータ、女神ヘステル様の世界へのゲートはどうにかなりそうだよ! 今こっちからアプローチしてるとこ。もうすぐ繋がると思うから、そしたら連絡するね!」
俺はクイの頭を撫でてやり、礼を述べる。
「仕事が早くて助かるよ。女神ヘステルの世界に繋がったら、何か美味しいものを里琴ちゃんに作ってもらって持って来てやる」
「ホント? やったー、クイ頑張るね!」
一通りの挨拶を終え、村の人達に手を振り、扉を潜る。
現実世界でどれだけの時間が経過したのか分からないが、そう大きな差異は発生していないだろう。
「空気が違うわね」
「こっちのほうが落ち着くか?」
新事務所の応接室へと戻る。時計に目をやると、時刻は十五時を回ったところだった。
俺たちが戻る時に光が漏れたのだろう。応接室へと勢いよく飛び込んでくる栗毛の少女が相変わらずの早口でまくし立てた。
「おかえりなさいなのだ! ご無事で何より! お二人の帰還を今か今かと待ちわびていたところですぞ」
笑顔のルココに迎えられ、俺たちはリビングへと向かう。
そこには、にっこりと微笑む里琴ちゃんの姿があった。
「お帰りなさい社長、ヒナちゃん。こっちは準備万端ですよ!」
そう言って里琴ちゃんが指さした先には、大き目のリュックサックが三つ。
異世界への土産物が詰め込まれているのだろう。
「無論勿論ボクも準備万端なのですよ。エリオラたん改のエネルギーパックは五つ全てが充填率百パーセント。本体への影響を考えなければマシンガンもびっくりの連射さえ可能なのであります!」
大き目のリュック三つとは別に、ルココが右手で持ち上げて見せた緑色の大きなバッグ。組み立て式の本体とエネルギーパックとやらが入っているのだろう。
「二人とも有難う。俺もヒナも出来る限りの事はしてきたつもりだ」
ヒナと視線を合わせ、二人揃って頷き合う。
「あとはクイからの連絡を待つだけだ。里琴ちゃん悪いんだけど、クイへのお土産に何か手作りの美味しいものを用意してくれないかな」
「美味しいものですか……。いいですよ、分かりました」
快諾してくれた里琴ちゃんが冷蔵庫と格闘を始めた傍ら、俺は敢えて作った真剣な表情でヒナとルココに言葉をかける。
「どんな世界なのか、どんな状況なのか、さっぱり分からない。下手に作戦会議をして固定概念を作るのはかえって危険だ」
ヒナもルココも真剣な眼差しを返してくれている。
俺は言葉を続けた。
「どんな状況であれ、先ずは自分の身を守れ。次に守るべきはルココだ。そのバズーカ砲は俺たちの切り札になる。出来る限りそのバズーカ砲の存在を隠し、誰にも知られる事なく運用したい」
だがヒナは小さく首を振った。
「それは出来ない相談よ。私は何を差し置いてもカミノイを優先して守るわ」
「そうですともそうですとも。バズーカ砲と呼ばれる事についてはこの際もう諦めますが、カミノイ様をお守りする事もボクとヒナたんの大事な役割でありますからな」
ルココまでがそう言うが、女神ヘステルの世界のバッドエンドを打ち砕かなくては、そもそも俺たちが行く意味さえも無くなってしまう。
態々リスクを冒してまで行こうというのに、最大の目的を果たす事を目標に掲げないわけにはいかないだろう。出来れば果たしたい程度で行くのならば、そんな中途半端な覚悟で行くのならば、行かない方がマシだ。
「二人の想いは嬉しいが、第一の目的はバッドエンドを覆す事だ。俺の安全は二の次でいい。それに俺だって、君らに守ってもらわないといけないほど落ちぶれちゃいないさ」
自分で言っておきながら、なんと説得力に欠ける言葉だろうか。
そんな俺の言葉に対してヒナは頷いて同意を示しながら、その上で反対意見を述べる。
「それは否定しない。けれどカミノイ、私達には私達の役割があるの。里琴と約束したのよ。何があっても絶対に、カミノイを無事に連れて帰る事を」
「そうでありますとも。じゃないとボクもヒナたんもこの世界で飢え死にする事になるであります!」
二人の言葉を援護するように、エプロンを装着した里琴ちゃんが参戦した。
「そうですよ社長、無事に戻ると約束しましたよね。それって戻って来るだけじゃダメなんですよ? 無事である事が大事なんですよ?」
里琴ちゃんは真剣な眼差しで言葉を続ける。
「あの女神ヘステル様のために戦って大怪我するとか、私絶対に許しませんから。あの女の為に身を削るなんて、そんな腹の立つ事ありませんからね!」
「そうですともそうですとも。リコ様という存在がありながら、元カノの為に戦ってお怪我したとあっちゃあ情けないにも程があるってもんですよ」
「私はただ、カミノイを守る。それだけよ」
まるで三人に説得されるような形になっているが、俺の想いは少々異なる。
けれどそれを言っても仕方のない事。俺は俺として譲れない想いがあり、それを守る為には何の躊躇も無いだろう。だがそれは、この子達に態々言わずともいいだろう。
「そっか。有難うね。皆の想い、嬉しく思うよ。じゃあ、俺は絶対に無事に帰って来る! ヒナもルココも、無事に帰ってこような!」
「勿論よ」
「へへへ、そうでないとこうでないとですね。ボクも頑張るであります!」
里琴ちゃんも納得したのか、食材を手にキッチンへと戻る。
大きなリュックサックを誰が何個持つのか口論を始めた女神二人を他所に、俺は心の内に一つの決意を固めていた。
それは元勇者としてのプライドか、それともこの子達の保護者としての責任感か、俺自身よく分かっていない。
女神ヘステルの世界を救えなかったとしても、この子達は絶対に無事に帰還させる。
最大の目的はあくまで目的であり、なし得たい狙いである。
それに対してこの子達を守り切る事は、例え狙いを逸したとしても絶対に外す事の出来ない、ミニマムの目標値。
言わば必達すべき目標。
死守すべきライン。
俺はそんな決意を胸に秘め、クイからの連絡を待ちソファーに腰を下ろした。
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