第38話 勇者の品格
頭が重い。
意識を手にした俺が最初に感じたのは、首から上がもぎ取れてしまいそうな頭の重さだった。
瞼は重く、開こうにもびくともしない。声は出ず、声帯が鉄の塊にでもなったかのよう力が入らない。少し冷静になって自身の状況を把握するに、どうやら布団の上にでも寝かされているらしい。
キャスの住む獣人族の村を目指して斜面を登っていたのだが、どうしてこうなったのだろう。
ヒナは上手くやっているだろうか。
里琴ちゃんとルココが待っているから、あまり寝てばかりもいられない。
俺はどっしりと重い身体を無理やり動かし、気合いを振り絞って起き上がろうとする。
だが頭が重い。
「ニャ? 動いたらだめニャ」
意識を朦朧とさせている俺に声をかけたのはキャスだ。
そこでようやく声を振り絞る。
「キャス、俺はどうしたんだ?」
「ケイタはキャスに殴られニャ。全く情けない事に、魔力を集中させて防御する事さえ出来なかったみたいニャ」
全く記憶にない。
「そうか……」
殴られ、ぶっ倒れたという事か。
そうであるならばこの状況も納得がいく。あまりの衝撃に、俺の記憶が飛んでしまったのであろう。
「ニャぁ……大丈夫かニャ?」
「ああ。少し重いが大丈夫そうだ」
ようやく瞼が開き、木製の天井が視界に映る。
「見えてるかニャ?」
「ああ。ちょっとぼやけてるが寝起きだからだろう」
俺の額にキャスの手が当てられた。
暖かい感覚に包まれるのは、回復魔法をかけてくれているからだろう。
「キャス、すまない」
「ほんとニャ。元勇者が聞いて呆れるニャ」
徐々に視界が鮮明になる。
「ケイタは死にかけたニャ。キャスにケイタを殺させる気なのかニャ。勘弁してほしいニャ」
キャスの手が額を離れる。
「死にかけたのか……キャスは相変わらず剛腕だな」
少しづつ感覚の戻って来た体を起こし、心配そうにこちらを見つめる可愛い猫耳の女の子と向き合う。
「キャスは変わらないな」
「ケイタは年取ったニャ」
そう言って微笑んでくれた。
この世界の獣人族は、人間に比べて多少寿命が長い。その影響もあってか、キャスの見た目はあの頃と大差ないように見える。
「そうだな、年取ったよ」
苦笑いで答え、体の調子を確かめるように腕を回す。
「全く酷いものニャ。頭は半分陥没して、右目は潰れて、左目は飛び出して、耳からは血と変な液体がダラダラ流れてたニャ」
恐ろしや。
それはもう死にかけたでは済まない。ほぼ死んでいたようなものだろう。
「よくここまで修復できたな」
俺は自分の頭をぺたぺたと触りながら、潰れたり飛び出したりしたらしい目の感覚を確かめる。
「おかげでキャスはヘトヘトだニャ。ケイタの体力もだいぶ消耗してる筈だから、一緒にご飯食べようニャ。いーっぱい食べないと元気にならないニャ」
「有難うキャス」
まだ多少重みの残る体で立ち上がる。
そしてキャスに先立って部屋を出ると、とても美味しそうな香りが漂っていた。
「右ニャ」
言われるままに廊下を進み、広い空間に入る。
そこでは多種多様な獣人の皆さんが忙しなく動き回り、巨大なテーブルには山のような料理が並べられていた。
「さ、食べるニャ!」
「ははは……相変わらずだな」
獣人族はとにかくよく食べる。
その身体能力を遺憾なく発揮するためには、摂取するエネルギーが膨大になるのは仕方のない事なのだろう。
この日はとにかく目いっぱい食べ、体力の回復を優先する事にした。
翌日。
体は不思議と軽い。
早朝から村の広場に呼び出された俺は、昨日の追手とは一風変わった人たちに囲まれている。
「獣人族の戦士達か。悪いが男に遠慮はしないぞ」
「ケイタはそれだからキャスに半殺しにされるニャ。闘いに男も女も関係ないニャ!」
木製の訓練用武器を手にした獣人族の戦士達は、総勢二十名。
「元勇者殿と手合わせ出来るとは、光栄ですガウ」
「遠慮などして頂かなくとも結構で御座いますゾウ。我らは獣人族の血を色濃く発現させた最強の戦士ですゾウ」
「昨日はやられたモグ。今日は負けないモグ」
簡単に表現すれば、大小様々、まあ色々といる。
「流石に素手では厳しいので、こちらも訓練用の武器を借りましょうか」
いくつか提示された武器から、剣サイズの棒を選んだ。
そして二度三度と素振りをすると、それを確かめるようにしてキャスが声を発する。
「準備いいみたいだニャ。それじゃ戦士の皆さん、ケイタをやっつけるニャ! ケイタも遠慮はいらないニャ。元勇者の実力を見せてほしいニャ!」
キャスの言葉が終わると同時に、数人が飛びかかって来る。血気盛んと言えば聞こえは良いが、猪突猛進ならば恐れる事も無い。
軽く往なし、次々に襲い掛かって来る武器を弾き、誰から仕留めるかを見定めながら反撃の機会を伺う。
「流石だシャー。素早く、そして柔らかく、時に硬く、基礎は完璧だシャー」
「だが動きが荒いケン。チャンスはあるケン!」
前後左右、更には上下、あらゆる角度から襲い掛かって来る獣人族の戦士達。武器、爪、牙、そして尻尾、時には魔法までが飛んでくる。
だが何より驚くのは、そのタフさだ。
訓練用の武器程度では、どれだけ適格に打ち込んでも簡単に倒れてくれる気配はない。
早朝から始まった一対二十の乱取りは、昼までかかってようやく相手の数が十まで減った。だがそこで俺の体力に限界が訪れる。
「はいストーップ! お昼休憩ニャ!」
キャスの声を合図に回復魔法を使える獣人の女の子達が駆け寄り、俺に打ちのめされた戦士達に回復魔法をかけていく。
「ケイタはキャスが治療するニャ」
「はぁはぁ……悪いな……」
俺はとうとう膝を折り、どうにも疲れ果ててそのまま後ろにぶっ倒れた。
「くそう……衰えたなぁ」
「そりゃそうニャ。そうじゃなければ昨日のアレはあり得ないニャ」
キャスは倒れた俺の横に小さくしゃがみ込み、所々ではあるが負傷した箇所を手当してくれた。
「けど昨日に比べてだいぶ勘は戻った気がするよ」
「そりゃそうニャ。まあ昨日はキャスがやり過ぎたニャ」
確かに、一撃で頭部が吹き飛んでいたらと思うとぞっとする。
辛うじて潰れる程度で済んだのは、やり過ぎたと言いながらも手加減してくれたからだろう。キャスが本気で殴ったら、ドラゴンの鋼鉄のような鱗さえもへしゃげてしまう。俺の頭など木っ端みじんだったろう。
「ご飯食べたらまた午後も乱取りニャ。バトルの勘を取り戻すには、とにかく体を虐めながら頑張るしかないニャ」
「ああそうだな。いい相手を用意してくれたよ」
体を起こし、汗を拭う。
「ちなみにニャ? 戦士二十人束になっても、キャスなら十分とかからずに全員ノックアウトニャ」
「……まあ、そうだろうな」
現実世界に戻って十二年。特に鍛錬に励んだ記憶もない。身に着けた筈の動きも、何も考えずに出来ていた動きも、魔法の詠唱も、全てが遅く思い通りにはいかない。
今の俺はチート勇者どころか、ただの冴えないオッサンだ。
「けど感心したニャ。絶対に退かないところは、あの当時のままニャ」
逆を言えば、今の俺に残っているのはそれだけだ。
「元勇者の意地ってやつだよ。それまで失ったら何も残らないからな」
「それが勇者の品格ニャ。だいぶ弱くなっちゃったけど、やっぱりケイタはケイタだニャ」
回復魔法を終えたキャスが、満面の笑みで抱き着いてきた。
「おかえりニャ。ケイタ」
「挨拶、遅くなっちゃったな。ただいま、キャス」
今ではこの村を束ねる存在として、獣人族のリーダーとして、それなりの重圧と戦っているのだろう。どこかよそよそしかったのは、その所為だろうと思う。
俺は猫耳頭を撫でながら、十二年ぶりにそのモフモフを堪能した。
ずっとずっと会いたかった昔の仲間に、ようやく再開出来た気がした。
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