第十三幕『愛を知らぬ少年』

 ある王国の城下町。その一角に強大な権力を持った有力な上流貴族の家があった。

 町一帯で知らぬものはおらず、数々の学問、経済共に秀で、気安く名を事すらおこがましいほどの名家だった・・・


 ――それは四十年も前の話だ。


 昔は名のある上流貴族であったそれは、気がつけば面影すら残らないほどの没落貴族となっていた。


 歴代の当主が一生使い切れないほどに溜め込んだ莫大な資産を、その後に続く何代もの当主が食い潰したのだ。


 一族の繁栄よりも、己が欲を満たすことに専念した末路。目の前の難題を、次の世代へと放り投げた代償。それにより、秀でていた学問は今や一足も二味も遅れをとるようになった。


 そんな一族の繁栄がかかった大一番に、家主ウィリアム・ルーズは新たな当主の誕生を望んだ。

 今までにないほど優秀で、完璧で、非の打ち所のない人材を。


 だから、より確実に、より迅速にそれが行えるようウィリアムは全財産を費やし、多額の借金までしてある計画に尽力した。


 その計画の内容は、優秀な人材を選出し捕らえて子を産ませ、生まれた子をウィリアムが養子として引き取るというものだった。


 そうして、三組のつがいから3人の子が生まれた。


 彼らは、物心着くとすぐに能力の試験を受けさせられた。

 知力、体力、才覚、五感――様々なものを数値として選出された。


 そして、ルーズ家の悪運か使われた親の性能かは定かではないにしろ、結果は良好だった。


 ――1人の少年を除いて。



******************


 ギル・ルーズは、平均的に見れば充分に優秀だった。

 容姿、知力、腕力、才能、技巧はすべて平均以上。ただ、感情の起伏が平坦で、笑いもしなければ泣きもしない。いい意味では手がかからず、悪い意味では無愛想な、少し変わっているだけのいたって平凡な子供。


 ――ただ、それでは足りなかった。


 ウィリアム等が望むのは、圧倒的に秀でた“全て”だ。それには、ギル・ルーズはあと一歩及ばなかった。


 『期待外れの失敗作』


 その烙印を彼が負ったのは、まだ3つの頃だった。


 それから、生活は一変した。


 まだ日の上らぬ早朝に悪臭と凍えるような寒さの中目を覚まし、馬小屋を出ると屋敷の家事をこなす。

 それからパンと水のみの質素な朝食を終えて夕飯まで働き続け、真夜中なってやっと食事と睡眠にありつく。

 その上、まともな衣服や環境は与えられず、『優雅さと残虐さを併せ持つ当主に相応しい人格を作るため』というお題目の元、ストレスのはけ口となって暴言と暴力を浴びる。


 それが、ギル・ルーズの現実平凡だった。


 普通なら、そんな生活が続けば人は壊れてしまうだろう。心が、体が――最悪両方壊れてしまう。


 だが、ギルはそうはならなかった。


 なまじ優秀だったためだ。全く出来ないこともなく、しかし完璧にこなすこともできない、どうしようもなく中途半端で、それ故の生き地獄。


 そんな生活にとっくに心は死んだ。

 だがそれでも、体はしぶとく生き続けた。







「――お前は少し人の心を学べ」

 

 ウィリアムの気まぐれから少年は書庫に連れてこられたのは、そんなある日のことだった。

 別段、慈悲の心だとかではない。あまりに感情の欠落した少年を、奇妙悪く思っていただけだ。


「ありがとうございます」

 

 そして、少年もこれを機に変わろうと考えた。感情豊かな、正しい《人》になろうした。

 ただ、その時彼の心にあった目的は、父の想いに応える事ではなく――これ以上の不利益を被らないための擬態だった。


 それからギルは、本の中からいろんなことを学んだ。

 喜怒哀楽から、偏りはあるものの様々な知識。ときには、専門家すら凌駕するほどのものを。


 泣く事はどうしてもできなかったが、笑った顔や怒った顔はできるようになった。


 その中でも笑顔は、人に好印象を与えると書いてあった。

 だから、ぎこちなくともせめて笑顔だけは絶やさないことにした。そうすれば、皆の見る目も変わるはずと。


 殴られても虐げられても罵られても、飢えても痛くても乾いても、


 ヘラヘラ、ヘラヘラ。


 虚ろな瞳で、ズタズタの体で、疲弊しきった心で、ギル・ルーズは笑い続けた。


 そうすれば、いつか自分も人として認められると信じて。

 『お父さん、お母さん』と、こちらに笑顔を向けることのない彼らを呼ぶことを許されると信じて。


 ニコニコ、ニコニコ。


 虚ろな少年は笑い続けた。それはもう必死で、必死に笑い続けた。


 その必死になって『笑う』という行為そのものが、目指す理想と程遠いなんて、露ほども知らず。




 ――それから数ヶ月。




 ある日の真夜中にこんな会話を聞いたのは、ギルが自然な笑顔を覚えた丁度その頃だった。


「もう限界よ。あれは頭がおかしいわ」


「……そうだな。本なんて与えなければよかった。――気味が悪い」


 うっすらと見える光をたどってドアの前に来て、ギル・ルーズはすぐに後悔した。


「でも、どうするの? 捨てるにしても場所に困るわ」


「ほら、近くに化け物が出るという森があったろう。そこに捨ててしまえばいい」


「ああ、そうね。あそこならいいわ」


 感情のある、彼の目指すべき『人』の言葉は、痛く彼の心を傷つけた。


「は、はは……」


 だから、いつも通りギルは笑う。悲しい時、辛い時こそ、大袈裟に。


「は……ははは、あは、……は」


 だが、どうにも今日はうまくいかない。

 喉が引きつったようにつっかえて、ほおがしびれたように固まって、目からはたくさんの熱い液体が溢れる。


「は、ははは……あは、はは――」


 そうしてやっとその時、どうしてもできなかった『泣く』という行為はめでたく成功したのだった。



******************


 目を覚ませば、目の前には鬱蒼とした枝葉が点を覆い隠すように広がっていた。

 それからすぐに、背に当たる硬い地面の感覚と隣に広がる薄暗い木々の群れから、自分は森で転がっているのだと理解する。冷静に、平坦に、無感情に。


「いっ……」


 起こそうとして傷んだ体に、また横倒しになることを余儀なくされる。


 なんでこんなことに――、


「そうだ……」


 一瞬考えて、すぐに思い出した。

 必死で、置いていこうとする彼らにしがみつき、代わりにしこたま殴られて意識を失ったのだった。


 そして、今に至るというわけだ。


「…………ははっ」


 だめだ、もう笑えない。涙も出ない。怒りも、どうしてか湧かない。楽しいだなんて、当然感じられない。


「はは……あは、は……」


 それでも無理矢理に声を出して、嫌われないよう、見捨てられないように振る舞う。

 もう何もかもが無駄で手遅れなのだと知っていても。


 少年は歩く。薄暗く、じっとりと湿った『迷いの森』を、笑ながら、歩き続ける。


 何をするでもない。ここは、名の通り地図や方位磁針を持たなくては出る事はな叶わないと言われている不気味な森だ。

 どうせこんな場所を通るのは奴隷商や闇商人とそれを取り締まる衛兵くらいのものだ。


 いや、衛兵に助けを求めれば或は――、


 或は、なんなのだろう。どうせ、帰ったところで無駄だ。今度こそ、殺されてしまうかもしれない。


「あ、あはっ……はは」


 その内に、何も食べていない体は限界に達し、ゆったりと足を止めた。


「――やっぱり……おかしいのかな……?」


 ぼんやりと、口角を歪に吊り上げたまま虚空に放った問いに、風に揺れる木々や草花は答えない。どころか、反応すらしなかった。


「……はは」


 当たり前だ。木なのだから。そのくらいは、自分でもよくわかってる。


 ただ、彼らは自分に酷いことを言いったり、強いたりはしないのだ。


 ――彼らはただ、そこにいるだけ。


「ああ……僕と一緒だ」


 それに、彼は落ち着いた。


 体は限界に達していたし、丁度眠くもあった。だから、ギル・ルーズは暖かくなってきた日差しの中で、ゆっくりと目を閉じた。



 初めて、気兼ねなく眠れたのかもしれない。


 ――温かい木漏れ日が、まぶたの裏の瞳を焼いていた。



*******************


 次に目を覚ましたのは、何か言い争うような声が聞こえたせいだった。


「……ん」


 目覚めは、あの生活のせいで随分といい。


 すぐに体の具合を確かめて、ギルは声の方へ向かう。


「こいつ病持ちだ……殺すしかねえ!」


「だ、だがよ……かなりの上玉だぜ? 売っちまえばバレねえよ」


「ああ!? お前っ、他の奴らごと全部死んだら終わりなんだぞ!」


「でもよ――!!」


 どうやら、奴隷商のようだ。手に入れた子供が病持ちだとかで、何やら言い争っているらしい。


 そこで、ギル・ルーズは考えた。


 見捨てて逃げるか、助けるかなどではない。

 彼女を『どうやって助けるか』をだ。


 見たところ、件の少女は大分やつれている。目や態度から察するに、ひどく心に傷を負っているらしい。


 あの状態の彼女を助けても、自分には何か出来る気がしない。ただ、苦しみを長引かせてしまう気がする。いや、きっとそうだ。


 だが、こんな思考はどうせ無駄なのだ。


 正しい事をする。それは、ギルが唯一彼らからもらった教え。いや、唯一彼らからもらったものだった。


 それは、何が何でも譲れないだろう。


 丁度、近くに衛兵がいるのが見えた。危険要素の高い賭けだが、それはきっと《正しい事》のはずだ。


「――うぉぉぉおおおおお!!」


 そうやって全てを失った少年は、唯一残った教えを胸に歪な正義を掲げた。



*******************



「――そうしてクレア・アッチェンテを救い、近くで見つけた廃屋に住み着いた。」


「…………」


「でも君の妹はもう壊れてしまっていたんだってね。口も聞いてくれないらしいじゃないか」


 ベラベラと調べ上げた情報をひけらかして、アルバートはくつくつと笑った。

 別に、忘れていたわけではない。だから、改めて言われたとしてもどうという事はない。


「ああそうだ。君が住んでいた家、あれから数年も経たずに潰れたんだってね。まったく……悲劇的だね。救いようも救いもない完全な悲劇だ」


 それも、知っている。することのなかった俺は、あれからも情報は集め続けていたのだから。


「……はあ、だんまりか。まあ、仕方ないよね。これは、君が自分を捨ててまで守り通した過去だ」


「…………」


 そんな事はない。こんな過去、とっくに区切りは付いている。


「でもさあ、少しの話との君は、噛み合わないよね」


「……っ、」


 だが、それだけは駄目だ。


「やっと反応してくれたね。でも、やっぱり違うよ。君は、もっとうまく自分を殺せたはずだ」


「黙れ……」


 それは、それだけは駄目なんだ。


「いや、今の状態がそうなのかな?」


「黙れ……っ」


 それを認識してしまえば、人の口から言われてしまえば、俺は――、


「だって君は」


「――黙れぇッッ!!!」


 続く言葉を遮って叫び、そのまま耳を塞ごうとするが、鎖に繋がれた手は耳までは届かない。


「――ギル・ルーズの作り上げた虚像。偽物でも、本物でもない《別物》。」


 そうしている内に、言われてしまった。


「あ、ああ、あああああッ!!」


 言われてはいけないそれを、言われてしまった。


「クレア・アッチェンテを救うため、次こそ誰かに愛してもらうため、熱心に考えて創り上げた仮初めの人格」


「あ、あぅ……うぁ、はは、はは」


「それが、君なんだろう?」


「は、はは……あは、はあはは……」


「さあ、全てを知って、全てを認めた君は、どうなる・・・・のかな……?」

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