第三幕『第一関門』

 当たれば確実に一撃一撃が致命傷になりうるであろう攻撃が途切れる事なく降り注ぐ。


「く、ふ……っ!!」


 だが、全てを躱し切れるほど彼我の実力差は小さくない。


 躱した攻撃が壁を削り家具を砕き、躱しきれなかった服や肌が切れ血が滲む。そして、その度に焼け付くような痛みが神経を切り裂く。


「はあ、はあ、はあッ!」


 今俺がこんなにも人狼の攻撃を凌いでいられるのは、今までの記憶からパターンの様なものを読み先に動き出しているからだ。

 それ故に、一瞬たりとも気を抜けない。僅かな妥協が、死へと直結してしまう。


 そんな気の抜けない攻防に精神と体力が限界に近くが、当然それが回復するのを人狼は待ってくれない。


 まぶたの上の汗を瞬きで払いながら、人狼が横薙ぎの一撃を振るおうと振りかぶるのを見て、俺はバックステップで避けようとする。

 だが、いつの間に後ろへ後退していたせいでベッドに足を取られ、俺はそのままバランスを崩してマットの上に倒れ込んだ。


「――うぉおッ!?」


 しかし、幸いにもそれによって一撃を回避する形となり、ベッドの装飾を粉砕して剛腕が目の前を通過する。


 俺はそんな幸運を噛み締めながら、更なる追い打ちが入るのを横に転がって避ける。

 すると、視界の端に突き出された爪が深々とベッドを切り裂きベッドを砕くのが見えた。


「っ、少しは加減しろよな、シャルルッ!!」


 顔を引きつらせそう叫ぶが今の彼女にはその声は届かない。

 だから、ベッドに仰向けの状態の俺は両足を体を小さくして引き絞り人狼の顔めがけて放った。


「グルル……」


 それを易々と片腕で阻まれるが、しかし思惑は攻撃ではない。腕を蹴った勢いで後転し、俺はベッドを挟んで距離をとる。


 そこからすぐに上体を起こし反撃を――、


「ご」


 ――と、そこまで考えたところで、思考は腹部に炸裂した鈍い衝撃により中断された。


 殴られる寸前、咄嗟に後ろへ飛んで衝撃を和らげることはできたが、その威力に壁まで吹き飛ばされ背中を打ち付けて倒れ込む。


「――カハァッ……!!」


 肺の空気を押し出され新たな空気を求め喘ぐがうまく呼吸ができず噎せ返る俺に、追撃をしようと人狼は青い炎に包まれた・・・・・・・・手を振り上げる。


「――?」


 そうして鋭爪を振り上げた人狼は、その“燃え上がっている”己が手を見つめる。


「――グゥウ……ッ!!」


 数秒後、理解が追いついたところで激痛に苛まれ、人狼は苦痛に声をあげる。


 目の前で起こる現象は、弱点の銀を触れた事による発火だ。


 原理は全く不明だが、こうなる事は今までのループで知っていた。だから、俺はあらかじめこいつが一番狙う事が多かった腹に銀製の鉄板のようなものを仕込んでおいたのだ。


 それを思惑通り殴りつけた人狼の手は発火したというわけだ。


 だが、すぐに手を離しているため、その炎は同じくすぐに白い煙を立てて鎮火する。


 しかし、人狼に与えられたその衝撃は計り知れないだろう。そのまま少しの間白い煙の立つ手を眺め思考を巡回させ姿からも、それがわかる。


 長々とした沈黙の末、人狼は最後に顔を上げギロリとこちらを睨みつけた。

 それに怒りを買ったかと内心焦るが体はうまく動かない。思考を巡らせ、打開策を必死に練る。


 ――しかし、人狼は何をするでもなくそのまま方向を変えると窓を突き破り闇夜に消えていった。


「……え?」


 その呆気なさは俺にとってはいい意味で予想を裏切ってくれたのだがその衝撃はかなりのものだった。

 具体的に言えば呆然とししばらくの思考の停滞を経てやっと状況が呑み込める程だ。


 しかし、飛び出して行ってしまったシャルルはいつ帰ってくるのだろうか?


 そんな益体もないことを考えつつ、横倒しになった体を起こそうと力を入れた瞬間鈍い痛みがさらに強まる。


「――ッ……いってぇ……ああ、肋折れたかなぁ……」


 そう言って鉄板をどけ腹部をさするが別段異常は無く胸を撫で下ろす。入っていたとしても罅くらいのものだろう。


 安堵してから部屋を見回すと前回同様散々な有様になっていた。

 削れた壁に割れた照明、穴の空いたベッドと割れたガラスが散乱する床。そして最後まで名前が分からなかった変形してしまった銀製の鉄板らしきもの。


「ああ、くそ。本当は最終手段の保険みたいなもんだったんだけどなあ……まあいい、助かった」


 それを見て渋い顔で毒づきながらずるずると壁にもたれかかった体を床に横たえる。


 俺にはまだ、アルバートさんの安否確認や皆への説明などやる事はたくさんある。


「くっ……!」


 ごろりと転がってベッドの横へ行き、そのベッドを掴んで上体を起こす。

 ベッドを支えに歩き、半ばドアノブに縋り付くようにしてドアを開ける。


「……づぁ!」


 その勢いのまま開け放たれたドアから廊下へ転げるように出る。


 なんとか壁伝いに廊下を歩き続けるが朦朧とした意識はなかなか回復しない。

 だんだんと視界が白濁し足取りがおぼつかなくなってくる。


「ヤバい……みん、な……」


 呟き支えきれなくなった体は床に倒れ込む。一切動かなくなった体と意識は切り離されていく。


 俺は何度目か分からない意識の断絶を再び体験した。


******************



  眠りと覚醒の丁度真ん中の様なまどろみ。その薄暗い闇の中で、聞き覚えのある声が響いている。


 それは、今にも消え入りそうなほど弱々しい、か細く悲痛な独白だ。


 それは悲しくて哀しくて愛しくて――ひどく小さな、か細い声だ。


「貴方……たん……ね。ごめ……さい」


 また聞こえない。何故聞こえないのか。何を言っているのか。


 わらかない。わからない――?


 いいや、違う。確かに聞こえなかった。


 でも、その意味を俺は知っている。

 でも、その言葉を俺は知っている。

 でも、その答えを俺は知っている。


「謝らなくて、いい……俺は…大丈夫、だから……」


「――え?」


 うわ言のようにそう呻く俺に彼女は驚いたように声を上げる。


「い、意識が……戻ったんですか?」


 目を開けていないが音や息遣いで彼女がどう動いたのかがわかってしまう自分に内心苦笑する。

 随分と気持ちの悪い技術が備わったものだ。


 しかし、その質問自体には『そうだ』と答えたいのに口が動かない。うまく言葉を紡げない。

 それに、今はうわ言という事にしておいたほうがいいのかもしれないとも思った。


 もっと、ちゃんとした形で伝える時が来るはずだ。


「寝言、ですか……そうですよね……」


 しかし、そう寂しそうに呟く少女の声を聞いて堪えきれない気持ちがこみ上げる。


 ふと、感覚が戻ってきた手が温もりと柔らかさに包まれているを感じる。懐かしく愛おしい温もりを感じる。

 きっと、うなされる俺を心配して手を握ってくれていたのだろう。


 だからその手を、代わりにはならないかもしれないけれど、


 ――強く握る。


「えっ……?」


 訳が分からないとばかりに困惑する少女に小気味良いものを感じる。


 ――散々振り回されてきたんだ。今回は振り回してやるよ。


 そんな陰険な誓いを立て俺はもう一度眠りにつく。


「はあ、仕方ない人ですね……」


 そんな呆れ混じり微笑混じりの囁きが聞こえた気がしたがそれを考える前に俺の意識は心地のいい睡魔に飲まれていった。


******************


 俺が次に目を開けたのはそれから1時間ほど経った後だった。


「――ん? あ、ああ……シャルルか」


「あ、やっと目が覚めたんですね」


「ああ、お陰様でな」


 まだぼやけている目を擦りながら、俺はゆっくりと体を起こす。そして、そのまま余計なことを口走った。


「え? ――お陰様?」


「ああ、いやいや! なんでもない! ただ寝ぼけてただけだ!」


 覚醒し切っていない頭では変な事を口走りそうなのであまり口を開かないようにしよう。

 まあ、お陰で眠気はすっかり消し飛んだがな。


 そうして鮮明になっていく思考を回転させ聞きたいことをまとめる。


「なあ、シャルル」


「はい、なんですか?」


「昨日の夜何か、大きな騒動みたいなことは起きなかったか……?」


 そう質問した俺にしばしの思考の巡回を経てシャルルは口を開く。


「貴方の部屋が荒らされていて、更に貴方がボロボロになって廊下で倒れているのが見つかった時のあれなら騒動ということにはなりますか……?」


「――それ以外は?」


「いえ、私のここ最近の記憶が正しければありませんよ」


「そ、それなら――、」


 つまり、今までのループでは確実に殺されることになっていたアルバートさんの死亡――その回避に成功したということだ。


「っぁぁああ……よかったぁぁ……」


 俺は一気に脱力し、両手をいっぱいに広げてせっかく持ち上げた体を柔らかい枕とベッドへ埋める。


 失言もこの時ばかりは許していただきたい。流石に初っ端から積むのではと心配し続けるのは気が滅入るものがあった。


「大袈裟、ですね……一体何があったん……です?」


 シャルルは所々詰まりながらそんなことを聞いてきた。

 そのままシラを切り通すか自分が人狼だと伝えるかを迷った様だ。


 正直に言ってもなにも進展しない上、下手をすれば周り全員を敵に回し殺される可能性もある。

 更にそれは自分の意図したことではなくだ。


 そんなもの迷わず誤魔化せばいいものを――だが、それを迷ってしまうからこその彼女なのだろう。


「あー、ちょっとでっかい犬に襲われてな。なんだろ、俺って美味しそうかな?」


「知りませんよ」


 へらへらと、そんな他愛もない軽口で場を濁す事しか出来ない自分に腹が立つ。

 だが、俺はそんな激情を薄ら寒い笑顔の仮面の下に隠して戯けてみせる。


「そういえば、さっきマルコスさんが血相を変えて誰かを探していたんです」


「……なんだ? 嫌な予感しかしないな」


 まさかあの仕掛けをしたのがバレたのか?いや、そんな筈はない。あの時、誰1人としてあの場にはいなかった筈だ。証拠だって残る筈がない。


「まあ、考えても仕方無ないか……」


「多分、あまり穏やかな事情ではないと思います。気をつけて下さい」


「気を付けろ、か。ははは、大丈夫だ。安心してくれよ。なんてたって俺はしぶといからな」


 事実、俺の体はそれなりに頑丈で、怪我の回復も早い。

 しぶといというか死ににくいというか――。


「は、はあ、……その自信がどこから来るのかはわかりませんが……なんとなく説得力がありますね」


「ははっ、だろ?」


「いいえ?」


「いや、そこは普通に『はい』でいいだろ……」


 天邪鬼なシャルルに若干の懐かしさを覚えつつ、俺は苦く笑う。


「本当に相変わらずだな……」


「何か言いました?」


 そんな気の緩みから発せられた失言に、シャルルは耳聡く反応した。


「あー、もっと胸部が豊かだったら許せたって言ったん――ブハァッ!!」


 目を細め肩をすくめて戯事をほざく俺の鼻っ面に分厚い本が叩きつけられる。

 あまりの痛みに視界が弾け、涙目になりながら血の滴る鼻を押さえて転がっているとベッドから落ちる。


「全く、これ以上馬鹿なことを言いってると怒りますよ?」


「台詞と行動の順番が違う!!」


 ベッドの奥側へ転がった俺を見下ろし、シャルルは呆れたと首を振る。それに対し指を刺して絶叫するが、もはや聞く耳すら持ってもらえない。


「はあ……まあ、いいや。それより――」


 そこまで言ったところで部屋のドアが手の甲の骨と軽くぶつかる不思議と軽快な音が響く。

 しかし、先程マルコスが俺を探していたという話を聞いていた俺は驚愕に目を見開き咄嗟に構えてしまう。


 それに呼応するかの様にシャルルも身構えている。どうやら彼女も同じ考えに至った様だ。


「凄腕剣士の殺意の篭ったモーニングコールとか冗談じゃねえぞ……」


 先程は大丈夫なんて言っていたが、あれはお互いに条件が同程度に整っている場合だ。

 手ぶらに気構えもなしで殺意満々の元一等騎士とやりあうなど無理難題もいいとこだ。


 更にシャルルまでいる。いや、彼女は人狼化してしまえば単純戦闘力ではダントツだった。


 それも、その力を意識的に操れればの話だが。


「どなた……ですか?」


 そこまで思考を回したところでシャルルが口を開く。あれだけ騒いでいれば外まで聞こえている筈だ。居留守は無理があると悟ったのだろう。


 頰を冷や汗が伝い体の芯が冷たくなっていく。しかし、そんな感情も目の前で強張った体を奮い立たせ立ち続ける少女をみて一瞬で消滅する。


「さあ、早く入ってこいよ。お出迎えの準備はできてるぜ」


 そう声を掛けるとしばしの間を置いてドアノブが回る。俺はシャルルを後ろ絵隠す様に前へ出てドアの向こう側へ全神経を集中させる。


 ――ドアが開き切った。


「いや、あ、えっと……なんというか――お邪魔してすいませんでした……?」


 ドアが開くなり頰を掻いて視線を泳がせながらなにやらごにょごにょと口を動かしていた少年は、上目遣いにこちらを気にしながら、恐る恐る頭を下げ謝罪の言葉を口にする。


「なんだお前かよぉ……」


「な、なんだってなんですか!!」


 脱力しフラフラとベッドへ腰を下ろして思わず失礼な事を口にする俺に不平不満を茶髪の少年――バレレン・アッチェンテは叫ぶ。


「ど、どういう……?」


 そんな俺と少年のやり取りを黙って見ていたシャルルは困惑をそのままに呟くことしかできなかった。

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