第二十二幕『欠陥品』

 【 30分前 】


  シャルルが出て行ってしまって部屋にいる理由がなくなった俺は、数分部屋をうろうろした後、耐えかねて廊下に出ていた。


 薄暗い廊下は、奥が見えないほど暗く不気味だった。


「なんだよ……今更お化けが怖いってか?」


 そんな筈はない。俺の今までの体験は明らかに心霊体験なんかを凌駕しているだろう。

 今更、幽霊やお化けを怖がるのも変な話だ。


「いやでも、もしかするとびっくりはするかもしれないな」


 そんな益体もない軽口を呟いて原因がわからない漠然とした恐怖をどこかへ追いやる。

 シャルルは厨房へ向かってしまったし俺は部屋に戻るぐらいしかやることが無い。いや、そうだ風呂に入ろうとしていたんだった。


 それを思い出し、俺は風呂場へ向かうため薄暗い廊下を歩く。

 するとクローズさんとガルディの部屋のドアが開いているのに気付いた。


「……ん?」


 だが、クローズさんの部屋には電気が点いておらず、そちらを特に不審に思った俺は半開きのドアをノックする。


「クローズさーん! 寝たんですかー? ドア、開いたままですよー!」


 そう声を掛けてみるが返事はなかった。なんとなく中が気になって顔を入れて覗き込んでみる。


「う……っ!!」


 すると明らかに異質な匂いを――むせ返るような鉄の匂いが鼻腔に充満する。


 その匂いを嗅いで、俺の頭にある光景が過る。思い出す。


 あの薄暗い寝室と、庭園での血の海がフラッシュバックする。


「――っ!!」


 嫌な予感どころでは無い明らかな恐怖が、俺の体を支配する。

 硬直し動けなくなる。息を吸うこともままならず荒い呼吸を繰り返す。


 そんな体を無理やりに動かしてドアをこじ開けようとするが、ドアは何かに引っかかったようでなかなか開かない。


 不審に思った俺は、ギリギリ入る肩までを部屋の中に入れ明かりをつけた。


 ――すると部屋の中が照らし出され鮮明に見えるようになった。


 その部屋の中は少し変わった色をしていた。


 部屋の奥の真っ赤なベッドに、手前右側の真っ赤なタンスと、中央を陣取る真っ赤な絨毯。そして、ドアを塞ぐ真っ赤な人。


 ――要するに、血まみれだったのだ。


「うわぁぁぁああぁッ!?」


 俺は目の前の凄惨な光景に後ずさる。その足が血で滑って尻餅をつく。


「あぁぁ……ぁぁ……」


 頭を抱え蹲って恐怖に喘ぐ。

 やはり幽霊なんて怖く無い。本当に怖いのは、人間だ。


「み、みんなッ!! マルコス!! ガルディ!! 来てくれ!! クローズさんが……早くッ!!」


 俺は裏返ったような甲高い叫び声を上げる。しかし、その悲鳴は薄暗い廊下にこだまするだけで意味をなさない。


 いろんな人の安否が気になる。皆は大丈夫だろうか。いや、部屋に入って鍵さえかけていれば――、


「シャルル……!」


 そうだ。今危険度が一番高いのは、間違いなく外にいる彼女だ。


 彼女はどこに向かうと言っていた?


 思い出せ、


 思い出せ、


 『調理場で水を――』


「まずいッ!!」


 短く叫んで部屋を飛び出す。靴底が血で濡れて滑るが、構わず走り出す。新調してもらった服が、早速血で汚れたが、構わず走り続ける。


 真っ暗闇の中、階段に差し掛かる。それでも、下が全く見えない階段を全速力で駆け下りる。途中で足を滑らせて転げ落ちるがすぐに立ち上がって走り出す。


 痛みなんて感じなかった。今、頭の中は血の海と命の恩人である彼女の事でいっぱいだった。


 ガルディの部屋のドアも開いていたことには目もくれず、俺はただ全力で走り続ける。


 その途中で階段横にある騎士像から少々長めの剣を拝借する程度には余裕はあったが、刃の削られたその剣に殺傷能力がない事には気が付けなかった。


 その剣を無造作に担ぎ、調理場のドアノブを乱暴に捻り、ドアを開ける。


 そこには探し求めた少女と、


 全く望んでいなかった人物の姿があった――。


*******************


 薄暗い部屋で俺は剣を切り結ぶ。『剣を切り結ぶ』と言っても相手は斧を使うのだが。


「なんでだ……ッ!!」


 俺は絞り出すように声を上げ、意味がわからないと続ける。だが、実際わけがわからない。

 何故こいつはこんな事をするのだろう。こんな事をして、なんのつもりなのだろう。


「ガルディィイッッ!!」


 しかし、そんな思考は湧き上がる憎悪と怒りに支配される。


「アァアアッ!!」


「うお……っ!?」


 叫び声と共に力任せに斧を弾くと、俺は肩を体ごと半回転させ、その遠心力で切るのような形で剣を引き絞る。

 右手に持った剣の右から左への斬撃。


 しかし、そのせいで自然と体の部分のガードが甘くなる。そんな安直さから生まれる隙をこの傭兵は見逃さない。


「胴体が……ガラ空きだぜ!!」


 そう言ってガルディは斧を横薙ぎに振るう。

 だが、ハナからそれを誘うつもりだった俺は、彼が振りかぶったと同時に姿勢を限界まで斜めにずらし、髪の一房と引き換えに迫り来る刃を回避した。


 狙いを損ねて振り切られた斧に引かれて、巨体がバランスを崩し今度はガルディに隙ができる。それを逃さず、俺は振りかぶったままの剣を振るう。


 ――が、ガルディは態勢を立て直すのではなくそのまま倒れこむように斧を振るう。体勢が斜めになっているガルディの斬撃は左下から切り上げる様に振るわれた。

 だが、位置の関係から上側の俺が有利のはずだ。このまま押し切り、首を切り裂けば――、


「オォラッ!!」


「なっ、ぐ……っ!」


 お互いの得物が交錯し、つばぜり合いになったガルディは、優位な位置立つ俺を無理な姿勢から持ち前の筋力のみで押し返してくる。――まったく、デタラメな怪力だ。


「くははは、やっぱりてめぇは戦い慣れてる気がするぜ……! なあ、ギルッ!!」


「ひとつ……訊きたかったことがある……!」


 嬉しそうに声を上げて目を見開く男の言葉を無視して、俺は質問を投げかける。


「お前がバレレンを、殺したのかよ……ッ?」


 あの少年の無残な死体。あれは相当な切れ味の刃物でぶつ切りにされたようなバラバラぶりだった。それこそこ、人狼の爪か――この大斧のような武器でだ。


「なんだ、やっぱ気づいてやがったのか。チッ、教えて反応みようと思ってたのによ……ああ、でもなんで分かった?参考までに聞かせてくれよ。」


 それに対する答えと結果は、無慈悲で無常で救いようのないものだった。


「……何が『参考までに』だ。――暇潰しに、だろうがッ……!?」


「くははは!まあまあ、そうカリカリすんなよ。――で、なんでだよ?なんでわかった?こりゃあ純粋な興味だ。聞かせてくれ。」


「別に特別なことはなにもねえよ……“普通”に考えればわかることだ……」


 あの時、遅れてきたその理由を彼はシャルルに訊かれた彼は『鎧の新調』と言っていた。

 だが、ガルディがあの時人狼に受けた攻撃は籠手で受けた一撃のみだったはずだ。しかし、ガルディはあれ以来あの革鎧ではない普通の服装に身を包んでいたため、それを指摘できるのも気がつけるのも俺だけということになる。

 それに、『鎧の新調』という言い訳には返り血を浴びた鎧の処分という目的も含まれていたのだろう。


 バレレンを人殺しにしないためでもあった『薬草探し』は、奇しくもガルディの犯行の絶好な隠れ蓑になった。いや、偶然ではなく必然か。奴は、それを織り込み済みで孤立したバレレンを襲い、何食わぬ顔で証拠を処分して俺たちの目の前に姿を現したのだ。

 その上殺害の疑いは、人狼という大きな脅威が肩代わりしてくれるというわけだ。

 

 また、誰にもバレずにあんな事を行えるような人間は、あの門の前に皆が集まるとわかっていたこの屋敷の住人で、尚且つバレレンをああも一方的に殺す事ができる者に絞られる。そうなれば、実力的にマルコスとクローズさんとガルディしかいないのだ。

 そして、その内クローズさんは傷と毒で床に伏し、マルコスはシャルルによる説得中だった。


 ――となれば、残るは彼だけだ。


 最後の理由は最も決定的で、バレレンの殺され方までは、また俺しか知りえない事実だった。


 つまり、俺ならわかったはずなんだ。俺なら気づけたはずなんだ。裏切り者の正体に、ガルディの本性に、気づけた――はずなんだ。


 そう全てを話し終えた俺の後悔を知らずか、はたまた察してか、ガルディは心底楽しそうに笑みを浮かべた。


「普通に考えれば……ねぇ? まあ、仕方ねえよな。何せ大切なお友達を亡くして傷ついている時に、それをやったのがまさかまた自分たちの誰かなんて、信じたくねえよな?」


「黙れ……!」


「そこに人狼ってわかりやすい脅威だ。そりゃあそっちに行くよなあ?」


「黙れよッ!!」


 もう、聞きたくない。その声を聞くたびに、俺の心は面白いように引き裂かれていく。それはもう、痛くて痛くてたまらなかった。


「じゃあ、クローズさんを殺したのも……お前なのか……ッ?」


「ああ、あの爺さんな……そうだ俺がやった。あっちは闇討ちみたいでつまんなかったけどなァ……まあ、あの爺さんは俺1人じゃ簡単にはやれねえしな。仕方ねえ。――ってか見っけんのが遅えだろ! こっちゃあ、命令通り見つけさせるために部屋のドアまで開ける羽目になったぜ?」


「ふざけんな……!!」


「いやいや、ふざけてなんていねえよ。俺は真剣そのものだっての。それに、ふざけてんのはあいつらのほうだぜ?」


「な、にを――!!」


「――だってよ! あのガキ、俺が殺してやるっつたら命乞いもせずに『みんなには手を出すな。』なんて言い出しやがったんだぜ?」


「……ぁ」


 ここぞとばかりに楽しげに口元を歪めてガルディは語る。少年の、凄惨な最期を。


「だからよ、『抵抗もせず、悲鳴もあげずに入られたら殺さないでやる。』って言ってみたんだよ」


「や、やめろ……」


「だからなるべく痛めつけてみようと思ってなァ! 目ん玉くり抜いてやったり指が輪切りにしてやったんだよ!!」


「やめろ……っ!」


「そしたらあいつ、本当に悲鳴もあげずに死にやがったんだぜ? あいつの努力に感謝しろよな?」


 その悪びれもしない、むしろ愉しむような態度に、悔恨と無力感すら殴り捨てて俺の中の憎悪が爆発する。


「まァ、結局全員殺すんだけどなァ……」


 あの時の感情が蘇る。殺意が、憎悪が、思考を全て塗りつぶしていく。


「てめぇぇええ!! 殺すッ!! 殺してやるッ!! 許さねえぞ!! クソ野郎がぁぁぁあ!!!」


「おいおい、そう吠えんなよギル……仕方ないだろ? 生きるためさ。な? 他の奴らだってなってるんだ。なに、普通のことだ。」


「ああ!?なに言ってやがる!!

――お前は殺すのが楽しいだけだろうがッ!!」


「くははははははは! なんだよ、よくわかってんじゃねえか!!」


「は、あ……?」


 そう言ってガルディは楽しそうに腹を抱えて笑う。その狂態を目の当たりにして、沸点すら通り過ぎた一気に自分の中で燃え上がっていた憎悪が、一瞬沈下する。


 ――なんなんだ?こいつは本当にあのガルディなのだろうか?


 確かに、見た目や声色は同じだ。


 だが、違う。


 ――これは比喩や、現実から目を逸らしているみいなことではなくだ。


 よく考えれば更におかしな点が出てくる。こんな人殺しも辞さない――どころか楽しんでいるような奴が、命を張って誰かを助けることがあるだろうか。


 人狼の時や薬草探し、大蛇との戦闘など、逃げるか俺たちを殺すことで自分の安全を守ることができる場面は山程あった。

 だが、こいつはそれをせず逆に率先して自分の身を投げうった。


 ――これでは1つの人格として矛盾している。


 恐怖によって怒りが少しおさまった頭に、浮かんだ新たな疑問を、俺は口にした。


 今までの謎みたいに、複雑に問うことなく答えのわかる問いだ。

 

「――お前は誰だ?」


 そう、俺はガルディに――いや“何者か”に問う。


 それを受けて“何者か”は答える。


「あ、そっちもバレたか?」


 すると、彼はまるでちょっとしたいたずらがバレてしまった時みたいな、あまりにも軽い調子で驚いた。そして、彼は続ける。


「――そうだ、正解だよ。俺はお前の知っている“ガルディ”じゃあ無い。俺の名前は……いや、まだ無いんだったな、確か……じゃあまあ、あいつみたいに欠陥品とでも呼べよ」


 彼はさも平然とそう名乗った。その明らかに人の名前では無い異質な名は、名付ける人物とそれを平然と名乗る目の前の男の異常性を、まざまざと物語っていた。


「それはどういう……それに欠陥品? なんだよそのふざけな名前は?」


「あー、説明するのが難しいんだが……あいつが言うには俺は、こいつに植え付けられた『人工的な多重人格』だそうだ。口で言ってみても頭おかしい内容だな……」


「人工的な多重人格……?」


 こいつはなにを言っているんだ?こいつはそれを、本気で言っているのか?


  ――いや、


 こいつはそれを本気で言っていて、本当にそうなんだろう。

 こいつの今の人格を表すには、多重人格と言うのはあまりにもはまりすぎている。


「人工的な多重人格ってのはわかった……分からないけど分かったよ……」


「はは、どっちだよ?しっかりしろって」


  またも楽しそうに笑って茶々を入れてくる“欠陥品”を無視して話を進める。


「だが、欠陥品ってのはどういう意味だ?それにお前は……誰に“そう”されたんだよ?」


「ああ、悪いけどあいつの名前は言えねえんだ。“そう”作られてるからな。だけどそいつの事についてなら話せるぜ? ――まあ、ここも欠陥品たる所以ってとこか?」


「意外と……饒舌なんだな。聞いておいてなんだが正直まともな答えが返ってくるのは期待してなかった」


「はっ! そりゃひっでえな。俺だってこんなクソつまんねえことはしたかねえんだぜ? だが、それをしなければいけないように出来てる。出来ちまってる。まァ、殺すのは楽しいがな?」


  『そういう風にできてんだよ』と、そう話す男の口調はどこまでも平凡なそれで、どこにも異常さは感じられない。まるで、広間で談笑しているようなそんな雰囲気。


 俺は、それがただただ不自然で気持ちが悪かった。


「まあ、いいや。いい暇つぶしだ。これから殺す相手と話をするってのも無意味な気がするがな」


「そこは安心しとけよ。俺は殺されるつもりも無いし……殺すつもりも無いからな」


 ガルディの人格が別として残っているのならばこいつは殺せない。気絶させてふん縛って、それから元に戻す方法を探そう。


「ははは! やっぱりお前は面白いな! 最高だぜ! ――そんな最高なお前に免じて話をしてやるよ」


「――ああ、助かる」


「まず……どっから話すかなあ。あ! そうだそうだ俺を作ったやつの話をしよう。そうだったそうだった」


 話し方や考え方を見る限り、こいつはあまり頭脳派では無いらしい。これは沢山の情報を引き出せそうだ。

 だが、そのせいで話の進みが遅すぎる。


「早くしてくれないか……?」


 俺は露骨に苛立った口調で急かす。


「そう焦るなって! ――まあ、簡単に言うとあいつは心理学の研究者らしくてなあ。そっちではかなり有名らしいぜ……? で、そいつは薬品や洗脳がどこまで人間の精神に干渉できるかってのを調べてるらしい。この館はその実験場みたいなもんだ。つまり今ここにいる奴らは実験用の鼠と同じ実験材料ってわけだな。はは!」


 その、さらりと言い放たれた単語を理解できず少し固まる。

 だが、その言葉も意味がだんだんとわかってきた。


「薬物と精神汚染か……」


 そうか。つまりバレレンが握りしめていた本の切れ端の内容。あれはやはり黒幕を指し示していたのか。

 そして、それは言ってしまえばあの少年や老人の死を研究による仕方の無い被害とでも言っているようで、鎮火したはずの怒りがふつふつと湧き上がる。


「精神に干渉する研究……? ――そんな由で……そんな理由でッ!!」


 怒りに任せて怒鳴り散らしそうになるが、後ろに蹲っているシャルルを見て頭の中の別の自分がそれではダメだと冷静にさせる。

 件の多重人格では無いが、なんというか今の俺は理性と感情がバラバラになっているような感じがした。


 湧き上がる憎悪をなんとか理性で押さえ込み、それ以上の脱線を回避する。


「悪い……感情的になった。話を続けてくれ」


「おお……俺も大概だがてめぇもかなりやべえな? いいや、お前は多分本物だ。天然物ってわけじゃねえだろうが……壊れてきた年月が違う」


「あ?なに言ってんだよ……いいから、早く話を続けろよ」


「悪い悪い。続ける、続けるよ。俺もこの退屈な時間を少しでも減らしたいんでね。えっと……どこまで話した?」


「お前らのボスの頭のネジが飛んでるってのがわかったとこだ」


「ああ、そうだな。そこからか……まあ、もう大して話すことは無いからもったいぶらず話そう。……あいつは俺に――いや、ガルディの野郎にある洗脳をしたんだよ。――だが、それは失敗した」


「失敗……」


「ああ、失敗だ。こいつはこれでかなりの精神力の持ち主でな。薬を使って洗脳を施しても中途半端に終わるのが限界だった。――こいつは俺をなんとか押さえ込み、植え付けられた異常性を他人格として処理したんだ」


「それで、その人格をどうにかするために再び館に招き入れられた……か?」


「ああ、そうだそうだ。話が早くて助かるな。こいつはこの俺を完全に消し去る方法を探し出すためにここに来た。招いたのが自分をそうした張本人だなんて知らずにな。まあ、他の面々もそんな理由で集まったんだと思うぜ? まあ、ほとんど死んじまったけどなァ」


 俺は、ちらりと後ろにいる少女を見る。彼女もまた何か理由があってここに来たのだろうか――、


「まあ、結局はここに来たせいで俺に完全に乗っ取られたわけだけどなァ? あ、心配すんなよ? お前と話していた男はこいつ本人だからよ。――ああ、今日からはずっと俺だったかな。上手くモノマネできてたか?」


「ああ、まるで別人みたいだったぜ」


「そりゃあ、よかった」


 そういう事か。今日やけに鬱陶しく感じたのは、彼の中身が別物の――それこそ彼の真似をした異常者にすり替わっていたせいか。なるほど、確かに似ていた。虫唾が走るくらいに。


 だが、今はシャルルを逃すことに専念しよう。正直この会話は時間稼ぎのつもりだったのだが、よく考えれば、この少女が危険にさらされている人間を置いて1人で逃げるようには思えない。


 あんな危ない滝の近くで気絶していた俺を救ってしまうようなこの少女が――、


 まだ聞きたいことはあったが、もうこれ以上は彼女の身に危険が及ぶ可能性がある。

 話し方や話が通じることで印象が薄れそうになるが、こいつは殺しを楽しむような異常者で、いつ何をするかはわからない。


「話は終わりだ欠陥品。理由もわかったし、お前がなぜそんなことをするかも分かった」


「おお! そうかそうか! 分かってくれるか! ……やっぱりお前はこっち側だな!」


 自分の言い分を理解してもらえた子供のようにはしゃぐ欠陥品に、俺は『だけど』と続ける。


「お前の言っていることや行動の原理は“理解”できないし許すつもりも無い。それにもちろん、二度とさせるつもりも無い。お前と俺じゃ、そこが決定的に違うんだよ」


「あ……あはっ、あははっ、あはははははっ!! やっぱり楽しい!! 愉しいぜ!! あいつの言っていた通りだ!! お前はやっぱり――」


 大事な部分に思える言葉を、俺は遮るように剣を振るう。もうこいつの話は飽き飽きだ。あとは気絶させて黙らせて、ガルディの人格を取り戻してしまおう。


 そう決心して、俺は手に持った黒剣で欠陥品の頭を狙う。


「くそ……っ」


 それを、彼は易々と手の甲を使って受け止めた。


「まあァ、予測や機転は効くみたいだが……動きはまだ凡才を脱してねぇ。そんなとろい剣速じゃあ、いつまでたっても擦りもしねぇぞ!!」


 返した手に剣を捕まれ、逃げ道のなくなった俺にガルディは蹴りを食らわせる。ミシミシと、肋骨が軋む音を聞かされた。


「――ぐぅっ!?」


 弾かれるように吹き飛んだ俺は、壊れかけの小さな椅子を木片に変えながら部屋を転がる。


 ――パワーが桁違いだ。下手をすれば一撃が致命傷になる。


 まだなんとか動く体を動かしてフラフラと立ち上がり、そのまま剣をきつく握り前傾姿勢で相手の懐へ突っ込む。

 それを見た欠陥品は斧を盾に振るう。その体重の乗った一撃を前傾姿勢で走り込んでいる俺は避けることができない。かと言って受け止めることも不可能だ。


 それに気付いたのだろう。欠陥品は露骨につまらなそうな顔をする。期待していた相手が呆気なく散る事への失望。


 しかし――それは大きな間違いだ。


「勝ったとか……思ってんじゃねえぞ!!」


 叫んで、俺は剣を盾にするように持って地を蹴る。ただし剣を左斜めに傾けてだ。


 当たり前だが、人間の腕は体の右と左についていて、それは決して真ん中ではない。本当に当たり前のことだが、今はそれが重要だ。それによって、何か物を真っ直ぐに振り下ろしたつもりでも、その軌道は、利き腕側に傾くのだ。

 つまり右手に大斧を持ち、それに添えるように左手を使っているだけの欠陥品の斬撃は若干右斜めになる。


 それを利用して俺は受けるのではなく滑らせるようにして、斬撃を“逸らす”。

 軌道がずれた大斧は、それでも俺の頰と服の一部を切り裂きながら地面に叩きつけられ埋まる。


「うぉ……!?」


 必然的に隙のできる欠陥品の後頭部にしゃがみ込むような姿勢から回転をかけて飛び上がり、剣の腹を叩き込む。


「……どうした? 攻撃当たったぞ?」


 突然後頭部に炸裂した金属の衝撃にフラフラと二、三歩進むと、欠陥品は頭から血を垂らしながらゆっくりとこちらを向き怒声を放った。


「あァ……いってぇなァ!! てめぇ!! ぶっ殺してやるよォッッ!!」


 そんな大男に、俺は薄い笑みを作って応じる。


「怒ったふりとかしてんじゃねえよ……気持ち悪い」


 それを聞いた欠陥品は更に怒りを露わにするでもなく、驚きを露わにするでもなく、ただ口角を吊り上げた。



「――あ、バレたか。やっぱこういうの向いてないみてえだな。」


 そういう彼の口元は、終始いびつに歪んでいた。それでは、バレるもなにも全く隠せていない。


「さあ、続きだァ!! かかってこいよ!! ギル・ルーズ!!!」


 手を広げ声を張り上げる男に一瞥もくれず俺は少女の手を握る。

 今はあいつに構ってやる暇は無い。まだ、斧が床から抜けていない今がチャンスだ。


「シャルル! 逃げるぞ!!」


「え……?」


「はあ!? てめ、待てよこの――」


「え……? じゃねえよ! らしく無いな! ほら立てって!!」


 つかんだ彼女の手は冷たく、微かに震えていた。それに心が痛むが、こんな状況では仕方ないと割り切る。

 それに掴んだ手は、俺の体温で少しづつあったまっているのか、だんだん熱くなってきている。


「チャンバラの次は鬼ごっこだ。――ついてくんなよ?」


 そう欠陥品に言い放って調理場を出る。まずは彼女の安全を優先しよう。それからあいつをどうにかしてやる。


 ――俺は全力で走り続ける。


*******************



「シャルル、だっけか? ――そっちを選ぶか……まあ、いいと思うぜ?」


 部屋に取り残された欠陥品は壊れかけの椅子に腰を下ろしひとりでそう呟いていた。

 床に突き刺さった斧を楽しそうに見る。


 斧から視界を外しゆっくりとした動作で青年と少女が走り去った方向に目を向ける。


「――面白そうだ」


 そう言って彼は口元を歪めた。

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