第七幕『警鐘』

 爽やかな風の吹き付ける清々しい朝に不似合いな仏頂面を浮かべ、俺は鈍い痛みが反芻する額を押さえながら廊下を歩いている。

 そして、その少し後ろには靴底と床のぶつかる軽い音を立て、後を追う様にシャルルがついてくきていた。


「本当に広いな……ここは」


 この屋敷は、部屋も広いがそれよりも廊下が長いのだ。

 だが、その長い廊下の木製の床はそれでもくまなくしっかりと磨かれている。勿論壁も同様で、更に丹精に作りこまれた模様が丁寧に刻まれ、等間隔で取り付けられた窓からのぞく庭園の景色を太陽が眩しく照らしていた。


 そんな景色は一つ一つが絵画の様で、まるでそうなる様に計算されている気がする程だ。

 いや、もしかするとそうなのかもしれない。窓1つ1つにそこまでのこだわりを持つなんて、恐ろしい話だが、この屋敷を作った人物ならやりかねない気もする。


 そんな景色に賛美と恐怖を感じながら眺めていると、前からパキリと整った紳士服に身を包んだ、白髪の男性が歩いてきた。


「うおっ……」


 そういえばこの人とは、まともに話したことがなかった。とは言っても屋敷の人々とはほとんど会話をしていないのだが、まあ、仕方ない。それはおいおい――だ。


「おや、おはようございます」


「お、おはようございます……クローズさん」


「ん? 頭から血が……一体どうされたのですか?」


「あははは、いやぁ……そのですね」


 怪訝に眉を寄せ俺を案じて問いかけるクローズさんに含みのある声色でそう応じ、血の滲む額の包帯に手を当ててこの傷を再度開いた張本人であるシャルルを半目で見る。

 しかし、当の本人は全く顔色を変えず何処か別のところに目を逸らしている。我関せずといった具合だ。


 確かに9割はバレレンのせいではあるとしても、ノックなり声をかけるなり幾らでも方法はあったろう。少しくらいは悪びれるそぶりを見せないものだろうか。


「ギルさんは私が開けたドアに突然ぶつかってきて自分から頭をぶつけたんです」


 だが、俺の嫌味を受けシャルルは突然真顔でとんでも無いことを言い出した。


「は、はあ!? 何言ってんだ! いがかりにもほどがあるだろう!」


「はい? それはこっちの台詞ですよ。さっきはあんなに楽しそうに頭をドアに打ち付けてたじゃないですか。白々しい。怖いですねぇ。気をつけてくださいクローズさん。頭のおかしい人がいます」


「俺はそこまでトチ狂ってねえよ……あと、クローズさんに変なこと吹き込むなよ! なんかぶつけ心地のいい柔らかいドアとか持ってきそうだから怖いんだよ!」


「いや、そんな訳無いでしょう。頭のぶつけ心地がいい柔らかいドアってなんですか。偏見も甚だしいですね。――クローズさんが持ってくるのはぶつけ甲斐のある硬いドアです」


「お前こそクローズさんの事なんだと思ってるんだ!?」


「フッ……フフ、アッハッハッハッハ」


  ひとしきり俺の神経を逆撫でするシャルルに鼻息荒く反応する俺。

 それを黙って聞いていたクローズは耐えきれなくなったように笑い出した。


「ハハハ。全く愉快な方々ですな。久しぶりにこんなに笑わせて頂きました。しかし、仲のよろしいことで」


 ――笑われてしまった。


 しかし、同じ笑われるでもマルコスとは違いこの人には全く嫌な気持ちにならい。

 それに本当に楽しそうに笑う人だ。もっと剣吞とした人だと勝手なイメージを持っていた。


「そう見えます?それこそ俺は喧嘩するほど仲がいいってのは傍目からの勝手なイメージだと思いますけどね」


 皮肉たっぷりな声色で言いながら両手を上げ肩をすくめる大げさなポーズ。俺のシャルルへの儚いの抵抗だ。


「全くですね」


 しかし、そう応じるシャルルには全く効果はなかったようだ。がっくりとうなだれて横目に彼女を見るが丁度赤い頭巾に覆われて顔が見えなかった。


「ハッハッハそれもそうですな。ですが、それを踏まえた上でもお二人は仲の良いように見えますよ。全く、くたびれた老骨にはその若さは羨ましい限りです」


「くたびれた老骨って……あなたのどこがくたびれていてどこら辺が老骨なんですか?」


 彼の体が年齢に沿わないほど研ぎ澄まされているのはいくら素人目でも背筋の伸びた姿勢や服の張り具合などから容易に見て取れる。そこからは、老いはもちろん弱々しさなど微塵も感じない。


「もし老骨ってのがそんなカッコいいものなら是非ともなりたいもんですよ」


「いやはや恐縮ですな。そのようなこと言ってくれますか。おっと……少々話し過ぎてしまいましたな。実は私はお二人を呼びに来たのですよ」


「な、何かあったんですか!?」


「ま、まさか、また人狼が!?」


 一大事にしては穏やか過ぎる口調ではあったが、昨日今日で警戒度が最高潮の俺たちは同時に声を上げる。そんな随分と物騒な質問にクローズは柔和な表情で答えた。


「――いえ、朝食です」


********************



「うまい……なんだこれ。凄い美味しいぞシャルル!」


「やめて下さい。話しかけないでください。私までおかしい人だと思われてしまうと困ります」


「……………」


 興奮気味だった頭を冷水をかけて無理やり冷ますような返答に、暖かいスープが揺れるスプーンが止まる。

 相変わらず酷いことをサラッと言ってくる奴だ。唐突すぎて絶句してしまったが、せめて何か一言でも言い返してやろうと口を開く。


「あ、ありがとうございます……! お口にあってよかったです!」


 しかし、それを遮って料理を作った張本人であるリナさんが安堵した様な顔で声をかけてきた。

 そちらに顔を向ければ、彼女の顔が初めてしっかりと映り込んだ。


 確かに、バレレンの言う通り綺麗な顔をしている。


「な、なんでしょう……?」


「あ……い、いや! な、何でもないです」


 眉を潜め無遠慮に向けられた視線にリナさんは困惑の声を上げる。それに手と首をブンブン振りながら裏返った声で返答するとリナさんは少し首を傾げたが、何とか疑念を飲み込んでくれた。


  因みに今話に上がったバレレンはガツガツと真っ白なテーブル掛けを時折汚しながらリナさんが作った料理を貪っている。

 もう、時折『うまい!』と叫ぶ以外はもう喋らなくなってしまった。


「あいつはあれだな、少し変わってるみたいだな……」


 呟きながら視線を滑らせ他のメンバーの様子も伺ってみる。今この長いテーブルを囲んでいるのはシャルル、バレレン、リナさん、ガルディ、そして俺の5人だけだ。

 クローズさんとアンチェンタさんは先に食べ終わったようで自室に、マルコスは朝から見当たらないのだ。どうせ鏡でも見てほうけた顔でニヤついているのだろう。


 そう、頭の中で偏見も甚だしい想像をしながら俺は二口目を食べようとスープを掬う。


 しかし、俺はそれを味わうことはできなかった。


 後ろから歩いてきたガルディの肘が俺の後頭部に勢い良くぶつかったのだ。

 俺はその衝撃にスプーンだけでなく持っていた皿まで盛大にひっくり返す。


「ああぁぁぁあぁ!!?」


「うおォっ!? わ、悪い!! 大丈夫か!?」


 なみなみと注がれた白っぽいスープを思い切りぶちまけ、俺の約1日ぶりの朝食は終りを告げた。人参やら玉ねぎやらが無残にも散乱し絨毯にスープが染み込んでいく。


「ああぁぁぁぁ……」


 未練がましくスプーンに残ったスープを舐める。悲しいことにすごくうまい。しばらくそうしてスプーンをガジガジ噛んでいるとその惨事を引き起こした原因である大男がわかりやすく慌てた声を上げる。


「わ、悪かった! 俺の分をやるから許してくれないか!? ほら、この……あ、もう空だ。」


「もう、いいですよ……わざとじゃ無いんですから……」


「お、落ち込まないでくださいギルさん! 料理はスープ以外にもありますから! ほら!」


 虚ろな笑みを浮かべ、ソファに寄りかかっていた俺にリナさんはそう言ってサンドウィッチを手渡してくる。

 たかが朝食で絶望のどん底に落ちていた俺にはその姿はまるで救いの手を差し伸べる女神のように見えた。――というのは言い過ぎにしてもその時の俺の感激ぶりは筆舌に尽くし難いものだった。


 俺はその女神様に落とした斧を金の斧に変えてもらうが如く、スープとサンドウィッチを取り変えてもらった。

 まあ、この場合俺は別に正直者というわけではなかったけれど。


「ああ……ありがとう……」


 手渡されたサンドウィッチを次はしっかりと持ってかぶりつく。やはりうまい。さすが料理人といったところだ。


「トマトのみずみずしさと――パンの香ばしく焼けた――レタスのシャキシャキ感が――」


 なんて1人で解説しながらサンドイッチ5つほどを食べ終わるとさすがに満腹になっていた。――と言うか食べ過ぎた。


 ガルディが俺にお詫びと言ってサンドイッチをくれたのだ。意外とその手のことを気にするんだな。どうやら彼の事も俺は見た目で勘違いしていたようだった。


 ここにきてからいろんな人に出会った。その上、皆いい人だ。

 誰もいなくなってほしく無いと本気で思えた。


「って、まだ出会ってから大して時間経ってないぞ……なに感傷的になってんだ……――ん?」


 少し可笑しな自分の思考へ、懸念を口にしている途中、厨房に明かりがついているのに気がついた。まだ誰か残っているのだろう。

 そう結論付けて俺は重たい腰をゆっくりと持ち上げて厨房へ向かう。


「――あれ? ギルさん?」


 そこにはリナさんがいた。どうやら俺たちの食べ終わった食器を洗ってくれているようだ。


「あ、1人でやってたのか? えっと、よかったら手伝うけど」


「い、いいですよ! このくらいしかやれること無いですし」


「いやいや、そんなこと言ったら俺だってなんにも出来ないぞ?」


 自嘲気味に微笑んでそう言いながら作業に取り掛かる。リナさんは嬉しそうに礼を言うと、横にずれて俺の分のスペースを空けてくれた。


 ――この食器を洗えばいいのだろうか?


 積まれた皿の山から取り敢えず一番上に置かれていたものを手にとって洗剤につけてみる。


「あっ、すいません。それはさっき洗いました……」


「え!? あ、ごめん!!」


「ああ! それは雑巾ですよ! お皿を拭くのはそっちの――」


 宣言通り役立たずな俺は、後半なんとか快進撃を見せてリナさんに微力ながら貢献することができた。しかし、前半の体たらくを鑑みるとプラスマイナスゼロどころかマイナスだった。


「ふぅ……やっと終わった」


「ありがとうございました。ギルさん」


「いいっていいって。本当に役に立たずだったんだし……それよりもあいつらはどこ行ったんだ?」


 今頃各々の時間を過ごしているであろう屋敷の住人にふつふつと怒りが湧き上がり、俺は湿った拳を握りわなわなと震わせる。


「それよりもごめん。手伝うつもりが逆に仕事を増やしちゃったみたいだし……」


「い、いいんですよ!手伝ってくれたっていう気持ちが嬉しいんです」


「本当に人間ができてるな。あ、でも、実際足手まといだったのか……」


「否定はできませんね……」


「うっ……」


「あはは、大丈夫です! 最後の方はすごく上手でしたよ!!」


 ――皿拭がね。


 彼女の言葉にそう内心で付け加えて自分で凹むマッチポンプ。

 しかしまあ、彼女は本当に優しいのだ。俺は洗剤やらスポンジやらを使っての食器洗いはやったことがなく、なかなか馴染めなかったのだがそんな俺を彼女は根気よく嫌な顔1つせず教えてくれた。


「全く……こんないい相手に恵まれてバレレンのやつは本当に幸せだな。ああ、あいつ沢山君について話してたぜ?」


 俺の脳裏をバレレンの惚けたニヤけ面が横切る。そう言えば先程のお返しもしていなかった。あとでたっぷりお返しをしてやろうじゃないか。


 そんな悪巧みをしていると不意にリナさんが口を開いた。その目は驚愕に見開かれ、体は小刻みに震えている。


「彼が、そう言ったんですか……?」


 ――ん、なんだ? まさか、言ってはいけない秘密だったりしたのか……? そう言えば、喧嘩をしたとか言っていたな。


 なんとなく不安になってきた。


 踏み入れてはいけない領域に、分かっているのに進んでいってしまう様な感覚。


 普通に歩いていたはずの道が、気が付けば突然底なし沼になっていた様な感覚。


 とにかく引き返したい。


 とにかく逃げ出したい。


 そんな衝動に駆られた。


 だが、やっと俺の抱けるようになっていた屋敷での生活に対する期待も夢も幸せも彼女の一言によって無残にも、残酷にも――、


「私は……彼とは話したことも……ないんです……」



 ――間違っているのだと告げられた。



 いきなり視界が闇に包まれる。突然電気が消えたのだ。この部屋はほとんど光が入らないためかなり暗くなる。

 状況を確かめるため薄暗い部屋の向こうに眼を凝らす。見ればドアが少し空いていた。


「――ッ!!」


 誰か、ドアの向こうにいたのか!?それが、もし“あいつ”なら――、


 そこまで考えたところで、巡らせていた神経が全て、突き抜けるような熱に遮断される。


 それが発生する場所は背中側の脇腹だ。


「ぐ……ぁあっ!」


 それがわかった途端痛みが更に強まり、手足のしびれる様な激痛に喘ぎながら首を後ろに回す。


 ――そこにはいつもと変わらない微笑を浮かべるバレレンの姿があった。


「リナ、ひどいじゃないか。僕の事はあれほど拒絶したのに」


 平坦で機械的な声が耳元で鼓膜を揺らし、それにより訪れるのは無理解と驚愕に混濁した思考と感覚だ。


 そんな中で、唯一はっきりとした痛烈な感覚に俺は手を伸ばす。


 ――その手は赤く染まっていた。


「僕は、悪くない……悪くない、悪じゃない! 悪は――僕以外の全部だ! 悪は、お前ら全員だ!」


 何やら喚くバレレンの声は、どこか不鮮明でうまく聞き取れない。でも、それでもその内容が異常性を孕んでいるのは、痛い程わかった。

 それは彼の中で何かが決まった事を示していた。それは彼の中で何かが壊れた事を示していた。


「なんで、だよ……?」


「ふ、ふは、ははは、はははははははははははははははははははははははははははははははッ!!!」


 バレレンの絶叫のような笑い声と、それを聞いたリナさんの悲鳴が、狭く薄暗い厨房に響きわたり静寂と平穏を無残に切り裂いていく。


 反響する声は少しづつ崩壊していき、ただの音になる。

 焼き付ける様な痛みに呻きながら膝をつき、蹲って俺はそれを聞いていた。


  それは、まるで地獄の始まりを告げる警鐘のように――ただ、うるさく、けたたましく鳴り響いていた。


 日常は、終わりを告げた。


  惨劇が、始まりを告げた。

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