第十三幕『薬草探し』
「おーい。なあ、おいって。聞いてんのかよ?おーい!!」
「――んぁ?」
目まぐるしく移り変わる外の景色を、吹き付ける風と共に堪能していた俺の意識を、無粋な男の声が呼び戻した。
「おいおい、本当に聞いてんのか……? ――なあ、あんたは何でそこまでしてあの爺さんを助けようとするんだ?」
怪訝な顔でこちらを見る巨漢の男は、どこか上の空な俺の、気の無い返事を咎めはするが勝手に自己完結して質問に移る。そんな質問を《傭兵》ガルディに投げかけられたのは、馬車に乗って山へ向かう最中だった。
ちなみに馬車というのはクローズさんの物を借りたのだ。彼は御者という事で一台の馬車を持っている。その馬車を貸してもらい、彼を除いた中で唯一まともに馬車を扱えるガルディが手綱を引いているというわけだ。
「なんで……か。ああ、いや、別にクローズさんだから助けるってわけじゃないよ。俺はただ――」
「『誰でも助ける』とか?」
突然割り込んできた声に言葉の続きを取られ、不完全燃焼に終わった台詞に不快感を覚える。その横槍に苦言を呈するべく口を開こうとして、言葉を失って俺は口を閉じた。
なんのことは無い。自分で言おうとしていたその言葉を別の口から言われて初めて、その滑稽な程の驕りに気付いたというだけだ。
「…………」
「おや? だんまりかい?」
そう自覚させた声の主、アンチェンタさんの言葉を受け俺は返す言葉が見つからず、ただ押し黙る。
ただ、それに気付いたところでなにをするわけでもない。 吐いた唾は飲み込めないのだから。
快く屋敷での雨宿りを許可してくれた彼や、その屋敷で最初に出来た友人は、もういないのだ。
だが、その時に受けた衝撃や悲しみは、この胸に深く深く刻み込まれている。
弱い俺には、忘れる事などできないし、乗り越えるなど到底無理だ。だから、せめて“次”を無くす。二度と、あんな事はさせたくない。
「――ああ、俺はみんなを守りたいと思ってるよ。思ってる。それを実行するだけの力はなくても……せいぜい足掻かせてもらう。その結果が分かりきっていたとしてもだ」
「……意外に芯の部分は固まってるみたいだね」
そう言い切ってみると、含みのある声色を一変させアンチェンタさんは意外なほど好意的な声を発した。
どの言葉が彼女のお眼鏡に叶ったのかはわからないがどうやら警戒を解いてくれたらしい。
「もっと自分本位な気持ちでそういう言葉を吐いてるんだと思ってたよ。試すような真似をしてすまない。さっきはああ言ったが、やはりどこか不安でね。嫌に疑り深い……私の悪癖だね」
そんな言葉を、呟くように言うアンチェンタさんの様子はどこか、達観や諦めとは違う異様なもののようにも思えた。一体何なんだろうか、この人は。
「いいですよ。別に気にしちゃいないし。それに、俺は確かに――」
「あ、あのだな。もう少し簡単な話のつもりだったんだが……置いて行かないでくれるか?」
乱雑に頭を掻きながら話に割り込み、情けない顔でそうガルディが苦言を呈する。
「あ、悪い……! 先に話し掛けてきてたのはそっちだったよな。――うーん、でもいきなりそう言われてもな……」
「あ……だが、そうは言ってもある程度の常識は持っているつもりだ。少しくらいは小難しくても構わないぜ?」
「だってさ、アンチェンタさん。何かあるか?」
咄嗟にいい話題なんて浮かばず、俺は横で笑いを堪えていた占い師に雑に救いを求める。すると彼女は顎に手を当て、形のいい眉を潜めて静かに唸り、そして言った。
「えーっと……すまない無理だ! 君が分かりそうな会話を、私では思いつかないよ」
「……い、いや! 一般常識なら分かるって言ってんだろ!? な、なんかあんだろう? ほら、ほら!」
「いやいや、そんなこと言われてもな……無理をしない事だ、ガルディ。君が理解出来るのはせいぜい雄叫びとかで精一杯だって」
「いや、ふざけんなよお前! ってか雄叫びの意味が分かったら分かったで凄いだろうが!」
「ああ……! 確かにそうだな。凄いぞガルディ! さすが脳筋――って、痛ッ!? うわ、うわうわうわ! 危ないって! 落ちる落ちる!」
「よし、このまま叩き落とそう」
アンチェンタの軽口に少し同調してみると、タイミング悪く堪忍袋が千切れたガルディに頭を鷲掴みにされる。そのまま半身を馬車の外へ押し出され、死の恐怖に俺は悲鳴をあげた。
「あ、危ないから前を見ろよ!!」
「大丈夫だ。この馬は随分よく躾けられてて勝手に道を進んでくれるからな。安心して握り潰されろ」
「いっ……いだだだだ!!」
その上、万力のように締め付ける豪腕は頭蓋を握り潰さんとしているままだ。二つの恐怖に晒されながら、俺は必死に弁明する。しかし、そんな悪ふざけの過ぎたやり取りは――、
「大声を出さなでくれ、リナが怯えているじゃないか。――あと、うるさいから少し黙ってくれ」
「………………」
「………………」
最後に限っては一瞬誰のものかわからないトーンの落ちたアンチェンタの声に冷静にされた。
しばしそのままの姿勢で硬直していた俺たちは、驚愕と羞恥を同時に味わいながら縮こまるように隅により身をすくめる。
そうして喧しい馬鹿2人は、“喧しかった”馬鹿2人となって完全に沈黙した。
「理不尽だ……」
それに後から聞けばリナさんが震えていたのは馬車酔いのせいだった。しかし、それが分かるのはリナさんが胃の中身をすべて絞り尽くした後のことである。
そして俺は、この人達とは仲良くなれそうだな なんて呑気に思っていた。
呑気に――思っていた。
****************
その後、リナさんの乗り物酔いによる一悶着や、馬車から落ちかけた俺の救出劇、軽い流血沙汰となった穏やかな談笑を経て、最後に小一時間ほど再び目まぐるしく変わっていく風景に見入っていると、半日掛かってやっと目的地に着いた。
「おーい、ギル。着いたぞ」
「ん? あ……ああ、本当だ。アンチェンタ、リナさん! 着いたみたいだぞ!」
「ほ、本当に着きましたか……?」
「リナ。君は馬車酔いでさっきまで寝込んでたんだ。気をつけないと――」
さっさと降りてしまうガルディを追う俺に続いて、フラフラとおぼつかない足取りのリナさんと、それを熱心に介護するアンチェンタが降りてくる。
しかし、リナさんはいろんな人に愛されている様だ。それもなんとなくわかる気もするが――、
「おい、アンチェンタ。お前の占いってのは確かなんだろうな?」
「ん? ああ、そうだよ。百発百中と言っても過言じゃあないね」
馬車での道中お互いに気を使う必要性がないと判断し、俺たちの空気感は少し親密なものになっていた。
実際、変化したと言っても変わったのは呼び方と話し方の一部とそれぞれの扱いのみだが。
「って、結構変わったのか……」
「ん? なにか言ったかな?」
「い、いや。別になんでもないよ。あ、そうだ! じゃあなんか占ってみてくれよ」
「何が『じゃあ』なのかは意味がわからないけど……うん、いいよ。えっとだね」
「どうだ? 何か分かっ――」
「数秒後、君の頭に岩が降ってくる」
アンチェンタは目を瞑り眉をひそめて思案顔になったかと思うと、突然晴れやかな表情でそんな事を言った。しかも伸ばした人差し指を天高く突き上げるというオマケ付きだ。
「は……はあ? いや、やるならもっとマシな占いを――」
その、物騒な占い結果に物申そうとしながら、彼女が指差す上を見れば――大きな影が視界を埋め尽くしていた。
「うぐぉあッ!?」
悲鳴と共に咄嗟に前方に飛び退き、眼前に迫っていた死を避ける事に成功する。
体を大地に削られながら突っ伏し、先ほどまでいた地面にめり込む大岩を見て疑念は吹き飛んだ。
どういった原理かはわからないが彼女の占いは当たるようだ。
「あっぶねえ! ――ってか、これじゃあ占いじゃなくてもう予言だろ……!」
「お、予言! いいね、それもらおうかな!」
――前言撤回。当の本人がこれではあまり期待はできないかもしれない。
いや、それこそこれ、ただ岩が降ってくるのが見えただけなんじゃないか?
まあ、そんな疑念や不信感は残るが、現状彼女に頼るしかない俺には、そんな考えは不要だが。
その占いが頼りである薬草探しの舞台となる山は、やや小ぶりでお世辞にも大きい山とは言えないにしろ『山』と呼べるだけの面積は誇っていた。
そう――山なのだ。
そしてその山は細心の注意を払わなくてはいけないとシャルルには念を押された。時折露出する岩石は硬質で足を滑らせ、その上に落下でもすれば命は無いとの事だ。他にも、様々な曰くが付いている。
「あ、この洞窟みたいなでっかい窪み――頭巾の娘が言ってたガス溜まりの跡じゃないか? あー、うん。そうっぽいな、その岩一枚奥も同じガス溜まりだ。君、特に気を付けなよ」
「へぇー、おっそろしいな……って、特にってなんの話だよ?」
「あ、ああ、ええっと……君なんか危なっかしいからね」
「はっはっは! 一理あるな!」
「……っ、お前らなぁ!!」
揃って小馬鹿にしてくるアンチェンタとガルディを全力で糾弾しつつ、俺は岩山を見る。
不遜なアンチェンタが呟くように、更に注意しなくてはいけないのはこの山には意図的に作られた空洞が幾つかあり、そこに可燃性のガスを貯めているらしいという事だ。
確か数百年前の大戦の名残で、山そのものを巨大な爆弾として利用した事があったのだとか、なかったとか……ガルディの話なのでイマイチ真相はわからないが、そのガス溜まりがあるのは事実だろう。
「そういえば空洞を作った方法までは聞いていなかったな。どうやったんだ……?」
顎に手を当て目を細め、呟きながら眼前の、曰く付きの山を、今度はじっくりと見てみる。パッと見はゴツゴツとした岩肌が目立つが、よくよく見ればかなり緑が生い茂っている。
そして、木々の生い茂るその場所は俺にとっては馴染み深い場所だった。何せ俺は木こりなのだから、山や森は庭のようなものだ。あまり心配もいらないだろう。
「じゃあ、まあ……行こう!」
「おお!」
「はいっ!」
「ふあぁぁ……」
内心で随分と楽観的な憶測を立てながらではあるが拳を振り上げ捜索開始を超えた高々に宣言すると後ろから大男と少女の掛け声が続く。――最後のまるであくびのような掛け声は聞こえなかったことにしよう。
「ア、アンチェンタ……!」
「――へ? あ、しまった! ……え、えっと、おおっ!!」
遅れて聞こえた焦ったような掛け声を意識的に無視して、俺は山へ足を踏み入れていった。
*****************
生い茂った苔がクッションの代わりを果たし、意外に座り心地が良い倒木に腰掛けて体重を預けていると、汗の滲む熱を持った体を撫で付けるそよ風が冷ます。
そうして自然の恩恵を全身で感じ、清んだ森の空気を存分な味わって、俺は深い息を吐いた。
「ぷはぁぁあ! これは生き返るね!」
「ああ、同感だぜ! っと……ほら、嬢ちゃんも休むときゃ休んだほうがいいぜ?」
「は、はあ……」
今、俺たちは1時間にも及ぶ捜索を終え、溜まりに溜まった疲れを癒すべく休憩を取っている。
額から伝う汗が目に入らないよう拭い、乾ききった喉に川の水袋から冷たい冷水を流し込む。
喉を伝う新鮮で冷涼な喉越しは、火照った体と散漫した思考を覚ましていく。
そうして、辛い労働の後の至福を堪能し、休憩する団体の丁度真ん中に陣取るように腰を下ろしていた1人が立ち上がり、空に向かって声高らかに絶叫した。
「――おかしい! 全然見つからない!」
――と言うか俺だ。
そんな虚しい叫び声が割と静かな森に響き渡る。ちなみに割にと言うのは鳥やら虫やらの声で、静かが微妙なものだからだ。
「いや、ここの近くのはずだよ? 間違いないって。私を信じてくれ」
「ああ、そうだな……でも、それさっきも聞いたぞ!?」
両手で肩を軽く叩きながら『まあまあ、そんな焦るなって。』と、アンチェンタが俺をなだめる。しかし、それは逆に不満を爆発させ、俺は再び声を上げた。
だが、このやりとりも計8回目である。流石に仕方がないと言い訳させてもらっても良いだろう。
要するに疲労と精神はかなり限界に近づいていた。
「なあ、おい! ガルディ! なんか……ほら! 傭兵の知恵とかでどうにかできないのか!?」
「悪いが無理だな。生憎そんな都合のいい知恵は持っちゃいないんでな。……だけどそれとは別にこの皮鎧には仕掛けがあってな、実は二重に――、」
「おい、それは“今”役に立つのか?」
「いや、立たないけど……」
身勝手な期待を寄せられた傭兵はバツが悪そうに頰を掻き、最後にそう言って肩をすくめる。
「でもよ、森や山ってんならそれこそ木こりのお前の専売特許じゃないのか?」
「うぐ……」
自分から話を振っておいてなんだが、そう痛いところを突いてこられ俺は渋い顔で呻く。完全に墓穴を掘った。
実際、自分でも心の中で高らかに啖呵を切っていたのだ。しかし、まさかこんなにあの森とこの山の勝手が違うとは思わなかった。特に普通の土が岩みたいに硬く、その上生い茂った長草で滑る斜面は体力をガリガリと削る。
「くそッ、時間がねえのに……!」
床に伏す老紳士を思い、逸る気持ちをそのまま吐き捨てて俺は再度捜索を始めるため走り出す。
体力と水はギリギリだが、まだ無いわけじゃない。ならば、立ち止まってはいられまい。
「もう少し見てくる!」
「な、なら私も……!」
「駄目だね。リナ……君はただでさえ体力がない上に乗り物酔いでフラフラだろう? 逆に足手まといになるぞ」
「うぅ……」
「ギル、気を付けろよ! 俺らも小っちゃい嬢ちゃんが落ち着いたらすぐ追いつくからよ!」
「す、すいません……」
「ああ。悪いな、ガルディ! リナさんとアンチェンタを頼む!」
そう短い方針確認を終え、俺は岩を蹴って飛ぶように山を登っていく。緑の生い茂る森は逆に生い茂りすぎていてどれが解毒草かが判別しづらいのだ。
それに加え頼みの綱であるアンチェンタは蹲ってうんうん唸っている。そうなれば、頼れるのは己の目と足だろう。
あたりをつけた平地で足を止め、溜息をついて視線を周りに向けてみる。
そこには見慣れた森のような風景が広がっていた。
「見た目は似てんだけどな……」
ぼやきながら再度辺りを見渡す。すると、ぐるりと視界が回転し、たくさんのものが目に入ってきた。
ゴツゴツとした変わった幹の木やその枝に実よく熟したリンゴ大の赤い木の実、突き出すような背の高い草や苔むした岩、そして、大きな目があった。
大きな目と――目が合った。
「なん――ッ!?」
全身が一瞬で冷え切り、死を警戒する警鐘が痛みを伴う耳鳴りとなって頭の中で鳴り響く。
そんな状況とは裏腹に、瞬時に澄み切った脳内で俺は思考する。
暗闇の中で光る目。サイズに色に形。どう考えたって人じゃない。獣? いや、違う……そうじゃない。鋭い牙に二股の長い舌。これさ、もっと別の――爬虫類か?
まずい。動く。警戒、逃走、威嚇、様子見、どれも違う。
これは、多分――、
「くっそおぉおおッ!!」
攻撃――。
本能だけに突き動かされ、俺は落石から逃れた時以上の素早さで横に飛ぶ。
飛びのいた後、俺がいたであろう空間を巨大な顎が噛み潰すのを視界の端に捉えながら、大きく転がり態勢を立て直す。
「なんだあれ! なんだよあれ! なんっなんだよッ!!」
――すぐに追撃が来る。
だが、後ろを振り返る余裕はない。なら、前だけを見ろ。絶対に振り返るな、止まるな、焦るな。冷静に、全体を見て、その上で最善策を見極めろ……!!
震える身体をいなし、そう自分に言い聞かせて斜面を駆ける。目指すは大ぶりの大木だ。
「ぐっ、ふぅ――らぁ!」
坂でつけた勢いのまま木を駆け上がり、手近な太めの木の枝を掴みぶら下がると、空中逆上がりの要領で苦心しながら俺は枝によじ乗った。
「はあっ、はあっ、はあっ……!」
早鐘のような鼓動と切れる息をなだめながら下を見れば、下手な木よりも太い横幅を有する巨体が、およそ生物の立てる音でない重鈍な摩擦音をたてて地を滑るように這いずっていた。
太さもさることながら長さも尋常ではない。
だが、あれは蛇だ。それも規格外のサイズの――、
「――化け物だ」
化け物と言えば人狼だと思っていたが、こいつも十分化け物と言っていいだろう。その見た目は、少なくとも俺にとっては十分に異形だった。
長すぎる年月を経てきたであろう肉体は、硬質な鱗で覆われてギラギラと光っている。
また、口元から覗く凶悪な牙は、噛まれればいとも容易く骨をも貫くほどの鋭さと、更には人差し指と中指を重ねたほどの太さを持っていのが見て取れる。現に、先ほど避けた先にあった木には、4つの風穴が空いていた。
人間1人なら余裕で一呑みできてしまいそうな化物サイズ。
「みんな、聞こえるかッ! 聞こえるなら今すぐ全員山を下ってくれ!」
あまりの緊張に水分が飛んで乾いた張り付くような感覚の残る喉を震わせ、俺は全力で叫ぶ。
「理由は後で話すから! 今はとにかく――早くッ!!」
その切羽詰まった俺の声を信んじて皆が山を下るのを祈りながら叫び終えると、森は静寂に包まれた。今度は、鳥どころか虫の鳴き声ひとつしない、本物の静寂だ。
そんな中、返事が聞こえなかったのが気になるが、そう遠くでは無い。届いただろう。
「じゃあ、次はこっちに集中しなくちゃな……」
こいつを皆の元へ行かせるわけにはいかない。どうにか隙を作って逃げるか?
「いや、まだ薬草が見つかってない」
ならやる事は一つだろう。
「今度は、蛇かよ……」
――大蛇狩りだ。
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